心療内科を巡回する旅
今回は、私が心療内科に行っていることと、その理由を話していく。
内容を読み、共感し、理解してくれたのなら嬉しい。
まず、私が心療内科に行き始めたのは、2021年7月からである。
被害妄想が強く、不安感が強かったため受診した。
その時に医者に言われたのが、「ASD(自閉スペクトラム症)の疑いがある」というものだった。
ASDの人によく現れる症状が、被害妄想だそうだ。
他にも、こだわりが強い、イレギュラーなことが起こるとパニックになる、などがあったそうだが、当時の私にはあまりよくわかっていなかった。
そして2022年4月、私は新社会人として、社会に送り出された。
環境がガラッと変わったため、不安感も一層強くなっていた。
そして入社して数ヶ月後、私にある違和感が襲った。
会社には作業手順が書かれた「マニュアル」というものが存在するが、ある日、そのマニュアルから外れたことが起きた。
作業手順が前後し、私は焦った。
「どうして、なんで」「これはこうじゃなきゃダメなのに」と思いながら、仕事をしていた。
その日だけではなく、その数日後も、マニュアル通りにいかないことが多く、私はとてつもない不安感に襲われていた。
そこで私は思い出した。
1年前、「ASDの疑いがある」と診断されたのだった。
もしかして、私が生きづらい理由はこれなのではないか?と。
インターネットやYouTubeで調べたところ、私にいくつもの症状が当てはまっていた。
そして、私の心の中で確信がついた。
そうだ、私はASDだ。だから、生きづらいんだ。
それから私は、自分がASDであることを周りに話した。
仕事の先輩、上司に言ったら、理解してくれたし、相談にのってくれた。
私の居場所がようやく見つかったのだと、私は安心した。
ところが、入社して3ヶ月ほど経った頃、被害妄想の悪化と幻覚、幻聴の悪化、イレギュラーなことに対応できない、との理由で退職をした。
退職については、私の別の記事、「トラウマ」を読んでいただきたい。
詳しい理由が記載してある。
仕事を失った私だが、私はあることを思いついた。
もう少し配慮してくれる職場で働きたい。
私のASDをきちんと理解してくれる職場で、安心して働きたい。
そう思ったので、「就労移行支援」というサービスを使おうとした。
何回か体験しに行き、自分に合っていると思ったので、親に相談をした。
利用条件は満たしているので、あとは親の同意だけである。
しかし、何度相談をしても、親は就労移行支援を使うことを許してくれなかった。
ここで私と親との食い違いが起きた。
就労移行支援は、医師の診断書があれば利用できると聞いていたため、1年前の「ASDの疑いがある」と書かれた診断書を持っていこうとしたのだが、親がそれに反対したのだ。
「まだ疑いの段階なんだから、お前は障害者ではない」と言われてしまった。
私はひどく傷ついた。
疑いの段階であっても、私はASDである。
私の中で確信していたのだが、親はそれを否定した。
許せなかった。
親にはプラスで、「仕事中に鬱っぽくなる、イレギュラーなことが起きるとパニックになる、こだわりが強い、これらがあるから、私はASDだ」とキッパリ言った。
だが、親が認めてくれることはなかった。
「それは誰にでもある」「他の人もそうだと思うよ」と言われてしまった。
ここで問うが、このような悩みは本当に誰にでもあるのだろうか?
・被害妄想、希死念慮、幻覚、幻聴、鬱
・イレギュラーなことが起きるとパニック
・こだわりが強い
これらが誰にでもあるはずがない。
ASDだからこそ、このような症状や困りごとが起きるのだ。
誰にでもあると言われてしまったのが、悔しくてどうしようもない。
また、親は障害者に偏見が強いことがわかった。
私が発達障害者として、配慮した職場で働きたいだとか、安心して働きたいと言ったら、「正規雇用じゃないとダメだ」と言われた。
違う、そうじゃないんだと、私は言いたかった。
私が新卒で入った会社は確かに正規雇用だが、仕事に支障が出ていたので、不安がある。
また正規雇用のところで働いたら、同じことの繰り返しである。
早期退職にも繋がってしまうのだ。
親に何回もこの話はしたが、結局話が通じることはなく、最終的には、「発達障害の疑い」ではなくて、きちんとした診断をもらってこい。との結果になった。
就労移行支援を使うことは叶わず、私は諦めた。
なぜ私が折れなければならないのかも理解できなかったが、もう仕方のないことだ。
私が我慢すればいいのだ。
そしてここから、私の「心療内科を巡る旅」が始まるのだった。
私が生きづらく、苦しい思いをしているのは、「正しい診断がもらえない」からである。
ASDの「疑い」と言われている限り、私は発達障害グレーゾーンで生きなければならないのだ。
周りから見たら一般人に見えるし、普通の扱いをされる。
それが私の中でたまらなく苦痛である。
被害妄想が強いのだって、幻覚や幻聴が見えたり聞こえたりするのも、「誰にでもある」の一言で片付けられてしまうし、ないがしろにされてしまう。
イレギュラーなことが起こってパニックになっても、誰も助けてくれない。
私は、こんな扱いをされるのは嫌である。
私はもっと、生きやすい環境で生きたい。
周りの理解がある状態ならば、症状も少しは緩和されるだろう。
理解してもらうには、診断書でもなんでもいいが、診断が必要である。
私が生きづらい理由には、確実に何か理由が存在する。
だから私は、お金が何円無駄になろうが、医者に否定されようが、「診断」をもらうまで、心療内科に行き続ける。
病院を変えてもだ。
医者にASDであると診断をもらうことが、目標である。
別に他の病名でも構わない、そこに私が生きづらい理由があるのなら。
そして診断書をもらったら、親に見せつける。
小学生が100点のテストを持って親に見せる時のように、ワクワクしながら見せる。
心の中で、「ほら、私は発達障害者だ!理解しろ!」と笑ってやる。
私が生きづらい理由が証明されることの、何が悪いというのだろうか?
私が私であることの証明は、診断でしか得られない。
人生で今まで抱えてきたもの全て、診断がおりれば解放され、一瞬で楽になれる。
診断をもらうことが幸せだ。
私は幸せや自由のために生きている。
だから早く、私をもっと見て、理解して、診断をしてくれ。
ここまで読んでみて、どうだっただろうか。
少しでも応援をしたいと思った読者がいるならば、とても嬉しい。
私の記事を読んでもらい、理解してくれることも、私にとって幸せである。
ぜひ他の記事、遺書、トラウマ、も読んでみてほしい。
共感する人が必ずいるはずだ。
それでは、この記事を終了する。
~終~