「ホモにするな」が封じられたお前は次に「いや捏造全部ダメだよね」と言う
ここ最近の、半生は隠れろいやこれは隠れなくていいという騒動を見ていて、改めて我が身を振り返って思ったことを書きます。先に断っておくと、生や半生の話ではありません。それはまた時間があればあとで書きたいと思います。(が、この記事もおそらく生/半生炎上のたくさんある争点のひとつだと思いますので、タグをつけます)
あえて耳目を惹きそうな(そうでもないか)タイトルを入れましたが、この騒動を横目で見ているうちに、カップリング二次創作をやっていて今までは「そういうもの」として深く考えていなかったことが見えてくるようになったので、その自問自答をメモした覚書です。ちなみに私は、
「尊い友情や敵対心をクソ腐女子が勝手に"ホモにして"すみません」
という気持ちを抱えつつ男性同士カプ創作をしてきた者です。
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例として、漫画を原作とする同性カップル的な二次創作をWEBで発表していてオタクコミュニティ内外から非難されるとき、大きく分けて
①勝手に原作にない恋愛関係を捏造しないで
②勝手にホモ/レズにしないで(あえてこう書きます)
という怒られが非常に発生しやすいと思うんですが、①については結局のところ見た人の勝手だと思うんですよ。人の考えなんて千差万別で、同じものを見ていても本当に思いもよらないほど多彩な感想が出てくる。
(金銭の発生する同人活動については別の話になり、それはまた長くなるので割愛しますが、今のところ「商取引が発生していない二次創作」の話をしています。作品によってはネットで無料で発表する事すら禁止しているかもしれないし、金銭が発生しようがしまいが二次創作全般ダメという考えの人も世の中にはいますが、現状の日本において二次創作をしたというだけでは罪にはなりません)
問題はより怒り対象を細分化した②で、なんで同性同士だといけないのか?ということです。
「いや、同性同士じゃなくても関係性を勝手に捏造するのはよくないよね」
すると次にくるのはこの発想です。でもその発想、①に戻りますよね。感想なんて人それぞれで、たとえ他人からはそう見えなくても、多くの人がその解釈を嫌いでも、作品を見て特定の感想や印象を持った、そして作品にして発表したということそれ自体は何も悪くない。
たとえばこちらのnote。
こちら大変理路整然としていますし、現状は生も半生も隠すべきという結論については賛成です。しかし、
>性差別が問題になるのではありません。一番大きいのは実在の人物を使って勝手に妄想し、それを娯楽としていること。あるいはキャラクターを勝手に使って妄想し、娯楽としていることです。
LGBTQの権利がどうこうなど話題にしていません。著作権の話をしています。
何度も繰り返して言いますが、キャラクターを勝手に使って妄想し、娯楽とし、二次創作をすることそれ自体は罪ではありません。二次創作をめぐって裁判が行われた過去の例を見ても、二次創作は発表された時点で二次創作者にも一定の著作権が発生し、原作をコピーした海賊版であるとは認められないという判例が出ています。(ドラえもん最終回同人誌事件などもありますが、あれが問題になったのは「二次創作だから」というざっくりした理由ではなく、装丁や絵柄など全てがあまりにも原作そっくりに仕上げられ、大部数が出回っていたのが原因です)
まあでも公式から二次創作ルールが発表されていない作品においては、ちょっとは申し訳なさそうにすべきだよね、肩身狭そうにすべきだよね…という感覚が湧いてくるのは当然だと思うんです。でもその中で、なんで同性同士だと"より"いけないとされるんだろう。
なんで同性同士の創作はオタクコミュニティ内外から重点的に怒られやすく、特に男性同士だと書き手も内心罪の意識を覚えやすいのか。という話をしています。
「勝手にホモにしてすみません」が隠れる正当な理由として挙げにくくなってきたとき、すかさず出てくる「いや、捏造は全部ダメだよね」というざっくりした理由によって、我々が目をそらそうとしているものは何か?ということです。
当事者でない者(腐女子)が勝手に男性同士の世界を描くから?ゲイをおもちゃにしているから?
それこそ現実のゲイとBL/やおいを混同しているし、どんな立場の人間がどんな関係を描いたっていいはずです。
「子供が見るかもしれないし…」
よく考えるとなぜお子様が見たらいけないんでしょうか?
もちろん、まだ小さい子に二次創作という概念を理解するのは難しいと思うので、混乱を避けるためにも個人的には見せるべきではないと思いますし、言わずもがなですがエロ描写を子供に見せてはいけません。
ただ、例えば二次創作でなくとも「性的/暴力的な表現をまったく抜きで、男性Aが男性Bを恋愛的な意味で好きだと思っている」という描写を、なぜお子様に見せてはいけないと思ってしまうのか?
さらに言えば、なぜ同性カプの話をするとすぐエロに結びつく気がしてしまうのか?
さっきも言ったようなまったく性表現のない同性カプ作品はたくさんあります。もっと突っ込んで言うと、男女の話はその先に肉体関係があることを内包していても特に構わないのに、なぜ同性同士が肉体関係を持つのは"いけないこと"だと思ってしまうのか?
「でも結局"一般人"からは同性愛は気持ち悪く思われるからダメでしょ…原作にも反してるし…」
では、自分があるべきだと思っている「原作の正しい姿」とは何か?どうして「脳内で思い浮かべる"一般人"が同性愛を気持ち悪く思う」のか?
その「一般人」とは誰か?実際にゲイビデオの出演者をおもちゃにして遊ぶムーブメントが大きな勢力として存在するけれど、その同性愛者を嘲笑う感覚の根本にあるのは何だろう?
「『クソ腐女子』が『勝手に』『ホモにして』『すみません』」
何に謝っているんだろう?
それは単に「キャラクターを私物化して申し訳ない」というだけではなく、"男と女が愛しあうことのみが普通"だと思っている世間への顔色伺いじゃないのか?
男性同性愛を嫌悪し怒り抑圧するホモソーシャル男性に対しての、「きっとホモなんて嫌いであろう(と勝手に推測している)公式の中の偉い人」「"純粋"なファン」へのへつらいじゃないのか?
そして、今まさに担い手である"腐女子"たる自分自身でさえも、「ゆーて結局は男女カプが"普通"だろ」と何の根拠もなく思っていないか?
これがまさにヘテロノーマティビティ(異性愛規範)というやつじゃないか?
で、ここまで考えてLGBT問題を絡めて怒ってる人にようやく納得がいったんですよね。最初は「いや…創作と現実を一緒にされても…」って思ってたんですけど、結局のところは全ての創作は現実に取り巻かれてるんだから、価値観の根っこは一緒なんだと。
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ここまで論じてきましたがもちろん、作品それぞれで事情は違うと思います。たとえばそれぞれに永遠の愛を誓い合ったヒロインがいるのにライバルくんと主人公くんをカップルにしてしまうとき、「勝手に別な人とくっつけてすみません」という気持ちになるのは自然なことだと思います。作中年代の価値観や作者自身の価値観によっては同性愛嫌悪が感じられ、それに逆らう罪悪感があるかもしれません。作者や公式が二次創作を作らないでくれと公言したならそれに従う他ないでしょう。
ただ、内心でそういう解釈が湧いてくることや、男性キャラ同士のカップルそれ自体は、べつに罪深いものでもなんでもない。
世間はそう急には変わらないと思うので、私はこれからもpixivで腐タグをつけると思いますし、腐女子と名乗ることも変えないと思います(侮蔑感のある言葉なので使わない方が良いという向きもありますが)。
でも、「ホモにしてすみません」という感情がどこから来ていたのか?その感情をろくに分析しないまま、「捏造は全部ダメだよね」というデカい蓋で覆い隠していいのか?ということは、絶えず意識し、折に触れて周囲の腐女子仲間にも問いかけていこうと思います。
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