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京都編#2
地元 "奈良" から飛び立ち、北へ進み、京都の地へ
⬆オープニングでちょこっとした動画を作りました(笑)
動画の載せ方がわからなくて、こんな形になってしまいました…
実は私、京都に少しだけご縁が。
というのも、高校は京都の学校に通っていました。
そのおかげもあって一層地元愛が強くなり…でもその一方で、京都と向き合えてなかったのが現実。
この日を境に知らない・知らなかった「京都」と出会いたい・向き合いたいなぁて思います。
それでは本日はどんなストーリーと出会うのでしょうか。
お楽しみに。
【目次】
1.知られざる伏見のはなし
2.伏見区のはなし+
3.ちょこっと木津川市のはなし
4.上京区のはなし(おまけで嵐山も)
5.洛外・洛中のほんま?
6.京都北部のはなし
7.新撰組ゆかりの地のはなし
1.知られざる伏見のはなし
たいにぃ:伏見ってどんな街なのか、紹介します。
まず、京都市伏見区は日本の区の中でも、東京23区を除くと10番目に入るほど、実は人口が多い街。京都の中でも一番人口が多いことで知られています。
面積は神奈川の平塚や東京の町田とほぼ同じくらいの大きさ。関東に住んでないと伝わりにくいか…
きだ:ちょっとわかんないですね(笑)(一同笑い)
たいにぃ:日本の自治体ランキングでは1000位くらい(笑)
大体、「京都と大阪のベットタウン」という立ち位置に。
京都(約10分)・大阪(約50分)・奈良(約40分)へのアクセスは1時間以内で可能なことから、伏見の人たちはどこへでも行きやすいことが一つの特徴です。
伏見稲荷に寄ってみたり、日本酒好きの方が「ついでに」というような感覚で観光で訪れる街としても有名です。
たいにぃ:続きまして「過去の栄光」。
みなさん、「銀座」といえばどこを思い浮かべますか?
にしま:東京ですよね。
わこ:東京!
たいにぃ:ですよね。東京やと思うんですよ。
でも実はあれ、二番煎じなんですよ。
というのも、1601年に「銀座」というのが誕生したのですが、
その誕生したのがココ "伏見” なんですよ。
「銀座」とは、銀の貨幣を作る場所のこと。
徳川家康さんが伏見に銀座を作ったのですが、
みなさんのイメージする場所として「江戸幕府・江戸・駿府・駿河」があると思うのですが、
実は最初の江戸幕府、始めの5年ほどは「伏見」から政治を行っていました。
その関係があって、伏見で銀の貨幣が作られていました。
安土桃山時代(織田信長から関ヶ原ぐらいまで)や鳥羽伏見の戦い(幕末)ともあることから、坂本龍馬や歴史に名を残す人々が伏見を舞台に活躍していたという歴史がある街です。
たいにぃ:といっても、今の伏見にある魅力は何なのでしょうか。
3つのテーマでまとめてみました。
「 街並み・歴史・飲食 」
伏見の街並みはとっても面白いんです。
過去の歴史が長いことや、平安京を開いた桓武天皇のお墓があることなど…1500年や1300年くらい前からずっと歴史を築いている街なので、
鎌倉時代では別荘地、安土桃山時代では日本の中心地でもあったこと、幕末での戦争…数々あったことが脈々と受け継がれている街です。
中でも、住民の生活は何が起ころうと変わるものではないので、
ちょっと歩けば平安時代のものがあったり、安土桃山時代のもの、幕末のもの、でもその一方で京セラなど現代を代表するような会社もあります。
ちょっと歩けば、変わる街の風景。
でも受け継がれているものなので、特異なものではなく、時代の連続性を感じる街。
(わこ心の声:す、素敵すぎる!高校生の時に知っておきたかった…!!!)
たいにぃ:「歴史」という点でも、いろんな歴史の形があります。
例えば東京では江戸時代以降を見れば、大森貝塚(約3000年前)まで遡る。
伏見では脈々と受け継がれている、しかも京都の町中の華やかな文化ではなく、地元の住民たちが築いてきたものが残されているのが「伏見の魅力」だと思います。
「飲食」という面でいうと、
日本酒の製造が盛んで、灘の「男酒」、伏見の「女酒」って呼ばれるほど。
(上のリンクは男酒・女酒と言われる所以が書かれています。気になる方は是非チェックしてみてください!)
「関西の二大酒所」「日本の三大酒所」とも呼ばれていて、
20ぐらいの酒蔵があって、宝酒造や月桂冠など有名な日本酒を作るところがあります。
それに伴って、日本酒が盛んということは
日本酒だけじゃなくて、他の食べ物も一緒に食べるじゃないですか。
ということで「食べ物」という文化も実はすごく盛ん。
(こんなお祭りもあるみたい!!あ、未成年の飲酒は厳禁ですよ…!!)
華やかな料理ではなく、町の人達に根付いた「大衆文化」の料理が多いので、僕ら学生でも行きやすいような飲食店があります。
飲食店のクオリティも高いことも「伏見」の魅力だと感じます。
総合的に、ふらっと入ったお店が美味しいとか、
「絶対にこれを見る」よりも「その街を知る」気分で来てもらえると
実はとっても楽しい街だと思いますね。
たいにぃ:幹線道路が中心になっている街(大体道路沿いにUNIQLOやイオンがある)って一本の道を入れば、景色が随分変わるんですよね。
そういう面で実はどこにでもありそうで、ない街。
それが僕の育った街「伏見」です。
わこ:ちなみにオススメの飲食店など詳しく教えてもらってもいいですか?
たいにぃ:大手筋商店街ですね。
(京阪伏見桃山駅・近鉄桃山御陵前駅下車すぐ)
日本酒ツアーを主催しているお店があったり、有名なおでん屋さんや、和食、鳥羽・伏見の戦いの弾痕が残っている格子もあったり…イタリアン・スペイン料理など現代料理も楽しめる場所でもあります!
なり:桃山御陵前ってラウンドワンの最寄り駅のところですよね(笑)
たいにぃ:そうです。全員がラウンドワンに行って遊びの選択をするほど、中高生には人気の場所ですね(笑)
にしま:伏見稲荷の御神体がウカノミタマ様(女の神様)という方です。最初は「豊穣」の神様だったのですが、会社を守り立てるなど、時代とともに神様の性格が後付されているんですよ。
もともと米の収穫が良い=繁栄という考えから、ウカノミタマ様は田んぼの神様として崇められていました。それから収穫はお金にも繋がるということから、今の伏見稲荷大社になったのです。
【伏見稲荷大社のご利益】
商売繁昌・五穀豊穣の神様として、篤い信仰を集める伏見稲荷大社。
安産や、万病平癒、学業成就などの祈願にも。
時代によって、神様の性格も実は混ぜられているところが、伏見の街並みと少し似ていますね。
日本の経済が発展すると共に日本の神様の性格も変わってきますね。
2.伏見区のはなし+
きど:伏見区って外国にルーツを持つ子どもが多いと聞いたのですが、それって本当ですか?実際にその子達を見かけることって多いのですか?
たいにぃ:伏見区は色んなものが組み合わさっている場所。
区役所の支部が5つ(淀・深草・伏見・羽束師・醍醐)あって、地域によっても特性は出るのですが、海外にルーツを持つ子ども達は多いですね。
全体的にブラジルとかなく、アジアにルーツを持つ子ども達が多いです。
元々、伏見が港町であったことが、外のものの文化を受け入れやすい傾向があるのだと思います。
伏見は内陸部なのですが、大阪湾から川を上り、都に物を運搬する役割を担う街でもあった。
たいにぃ:暗い部分としては、京都伏見区は部落の問題が拭えないこともあったりすることから、そういう地域は警察がしっかりしている、また単純に地価が安いことが、海外から来た方にとっては住みやすい所でもあるのかなと思います。
3.ちょこっと木津川市のはなし
わこ:奈良県民の私ですが、京都には自転車で20分ほどで行ける距離に住んでいるので、ちょこっと木津川市の知ってる部分を紹介します。
(でも、本当に分かりきってるわけじゃないので、木津川市民の皆さんにはとっても申し訳無いです…)
※木津川市は京都府の南端に位置する奈良県と隣接している市です。
わこ:まず何よりも木津川市に来て是非行ってほしい場所は高の原イオン!
日本で唯一県境に位置するイオンとして有名なんです!
実際はこんな感じ。
一見、普通なんですけど、よく見れば京都府と奈良県の境目が!
たいにぃ:僕そこで反復横跳びしたことあります(笑)
わこ:まじか(笑)そうですね、このイオンが物珍しくて、インスタのストーリーにアップしちゃう方とかテンション上がっちゃう方多いですよね。
もし近鉄京都線に乗る機会があれば、「高の原」という駅で降りて、反復横跳びでもしに来てください(笑)
続きまして、「木津花火大会」通称「木津花」
別に何か特別ってわけではないんですけど、
あのこじんまりした雰囲気がたまらなく好きで。(記憶にある限りですが、実は花火大会は木津花か琵琶湖の花火大会しか行ったことないという…)
もうなんと言っても、ここは私の青春の地!
こじんまりしているからこそ、花火との距離が近いことが最大の魅力ではないでしょうか…!!
特に高校2年生の時に行った木津花がもう忘れられなくて。打ち上げ花火を下から見るかのような、あの大迫力、、未だに覚えています。
4.上京区のはなし(おまけで嵐山も)
なりちゃんはgoogle map を画面共有して案内してくれました。
なりちゃん:今回は中にあるカフェを伝えたいと思います!
まず一つ目、さらさ西陣。
わこ:知ってるかも!(と言っていたのですが、どうやら違うお店でした。私が行ったことあるのは clamp coffee SARASAさん。でも、よく調べれば、同じ系列のお店らしいです。ホッ)
なりちゃん:元々ここはお風呂屋さんで、ご飯も美味しくて…
ちなみに店構えはこんな感じ
京都では銭湯があちらこちらにあって馴染みのあるものなんですけど、他府県の方からしたら実はそうやないって聞きました。
わこ:京都ってそんなに銭湯が多いんですか!?
なりちゃん:昔、お風呂が無い家が多くて。長屋といいましょうか…
それで銭湯が盛んで。私の家から徒歩5分圏内で、銭湯が3〜4軒あります。
にしま:えっ、凄い。
なりちゃん:ご飯も美味しいし、カフェメニューも充実しております。
たいにぃ:タイルが可愛いですね。
なりちゃん:続きまして… 山中油店って知ってはりますか?
一同:…??
なりちゃん:京都に「山中油店」って所があるねんけど、
店構えがすごくて、こんな感じ!
で、少しその店先を真っ直ぐ歩くと、水車があります。
なんで水車があるのか、幼い頃気になって近くの人に聞いてみたんです。
油って水車使って作るらしいです。
炒った菜種を水車の力で粉にするので手間がかからなくなりました。搾った油は人力搾りの油となんら変らなかったのですが、油の抜け方が悪く、粕の値段は人力搾りより少し劣っていました。しかし人力搾りにくらべ多く搾れることから、水車搾りの採算は非常に良く灘目の水車搾りは大変盛んになりました。 ー山中油店さん HP より
ここのお店がカフェとショップを作らはりました。
綾綺殿(りょうきでん)といいます。
で、油屋さんだけあって、揚げ物がめちゃめちゃ美味しいんです。
揚げもんって食べ過ぎたら、胃がムカつくはずやのに
めっちゃあっさりしてるんです!!
ここの揚げ物は2人前位食べても絶対大丈夫な自信ある(笑)
昔の家の雰囲気も残していて、素敵な空間です。
ちなみに、綾綺殿という名前は平安京の中の、源氏物語でいう弘徽殿女御(こきでんのにょうご)さんがいた弘徽殿のような場所。そして、ここはそれの跡地ですね。
わこ:インスタでもよく#京都カフェって調べるんですけど、見たこと無いかも…!!(てことは穴場だったり)
なりちゃん:ちなみに、この前マップで「寺」って検索したら、こんなにもお寺が出てきて…!身の周りにこんなにあるのに驚きすぎて(笑)
最後に、一つオススメのお寺があって、
嵐山に普段行こうってなったら、阪急使って行く人が多いけど、
あえてJRの嵯峨嵐山駅。それかた北に13分ほど歩くと、
大覚寺というお寺があります。
ここの庭がめっちゃ綺麗!!
ワンピースと京都市がコラボした企画が数年前にあって、
それを機にこのお寺を知りました。
にしま:すごっ!!!石ですか?花…?
なりちゃん:そう、石です!
嵐山もいいけど、嵯峨嵐山の方も良いので是非行ってみてください。
5.洛外・洛中のほんま?
ここを読む際、少し気分を害するかもしれません。あくまで一部の意見ですので、参考にしすぎない程度に。「そうなんだぁ」っていう感覚で。
きど:以前勉強した、京都の山科区や醍醐の話が聞いてみたいなって思って。勉強するまで知らなかったんですけど、京都でもあんまり良い印象が無いと聞いたんですが、本当ですか?
なりちゃん:山科は大きい無印良品のお店があるの知ってます(笑)
きど:他と比べて貧困率が高いと聞きました。実際の所どうなんでしょうか…?あ、僕だけ勉強チックな話になってすみません。
なりちゃん:勉強することも、旅の一つだよ!
たいにぃ:伏見から山科、宇治から見る山科、上京から見る山科…場所によって見方って結構変わってくると思うんですよね。
どうも僕らにとって (伏見や山科に対して)”洛外” って意識があって…
きど:聞きました。洛外と洛中で土地の値段が違うかったり。
たいにぃ:平安時代のお堀の中か外かで分けられていて。
わこ:その話、『京都ぎらい』って本で知りました(笑)
(高校生の時、古典の先生に勧められて、興味本位で買いました。正直、面白かったです…でも読んだ後はより理解できたからか、逆に京都が好きになりました。)
なりちゃん:そうなんかなぁ。
たいにぃ:意外に知られていませんが、そういうトピックが根強い文化もあります。でも、(僕らの世代では)洛外の人がまだ意識しているだけで、洛内の方はそうじゃないかもしれないです。
なりちゃん:昔から京都にいた人と、京都に引っ越してきた人ではまた感覚が違うのかもしれないね。(おじいさんが滋賀出身だそうです)
たいにぃ:僕からすると山科は見方感はあります。
伏見・山科・西京は区として新しいので、区の力ランキングで最下位やないぞ!って小競り合いしてるので、それで連帯感が生まれたのかも知れない(笑)
どんぐりの背比べと思われるかもしれないけど…
6.京都北部のはなし
きど:実は将来、京都最北端の地でお世話になる可能性があるので、少しだけ北部の話を聞いてみたいです!
なりちゃん:宮津とか?
きど:そう、宮津とか京丹後!
なりちゃん:めっちゃ海鮮美味しいで!
たいにぃ:このHPは知ってますか?
北の北部で頑張ってる人をまとめているようなサイトがあって、
北部で色んな取り組みが勧められているようです!
南の京都とはまた違った文化圏なので、
どうやって人を呼ぶか、観光客を呼ぶかに力を入れているみたいですし、
そもそも町づくりとして、海があることが大きな武器であったり。
それこそ、伊根町の舟屋とか話題になっているので、
観光資源を使いながら、そうやって呼ぶこむこととかしていますね。
わこ:海の京都とかよく言いますもんね。
きど:丹後って移住が進んでるって聞いたんですけど、そんな雰囲気はあるのですか?
たいにぃ:そうですね。それに、元々あったものに焦点を当てる事が多いので、例えば、古代の酒米を復活させて、古代の酒から日本酒を作るようなところがあったり、あと、日本で唯一の外国人の杜氏さんがいる酒蔵が京都の北部にあったり。
元々あったものに焦点を当てて、それこそ漁業もですね。
新しくなにかやるというよりかは、元からあったものを盛り上げていこうという感じですね。
わこ:ちなみに北部までの交通のアクセスを教えてもらってもいいですか?どうもわからなくって…
たいにぃ:電車はJR(西舞鶴まで)を使い、途中で京丹後鉄道を利用して北に上ることができます。
なりちゃん:福知山から特急を乗るのもありだよ!
たいにぃ:是非北部もめっちゃいいトコあるんで…
魚も美味しいし、京都市とまた違った魅力が詰まっています。それに、京都や大阪に近いからこそできた文化もあるので。軍港が舞鶴にあるとか。
なりちゃん:イージス艦ありますよね!?めっちゃ見に行きたいんよねぇ。
たいにぃ:あ、琴引浜って知ってます!?ここが日本の砂浜100選にも選ばれていて。
無料の温泉がついてたり、しかもとにかく透明度が高くて。
日本海とは思えないくらいなんですよね…
琴引浜の名前の由来も、琴を弾いてるかのようなキュッキュッって音がなることから名前がついたそうです。
7.新撰組ゆかりの地のはなし
にしま:光縁寺という場所がありまして、近くに新撰組の馬小屋があったってこと。また、山名圭佑って方がいらっしゃりました。(新撰組では上の立場の方)で、その方の家紋が似ているということで、親交を結ぶきっかけになりました。
次は壬生寺ですね。ここは少しご縁がありまして、適当に昔京都を散策していたら、このお寺についたんですよ。
壬生浪士っていう新撰組の前の名前のときの由来となったお寺なんですね。
ココに住んでるから、ここの名前をお借りしよう。みたいな。
つまり、彼らが最初に本拠地にした場所ですね。
境内でも稽古が行われていたとも言われています。
その横に壬生塚っていうのがあって、そこにお墓があると言われています。
=====
(ここで少し余談:なりちゃんが面白い情報を教えてくれたので↓
現当主、八木勢一郎さまよりお伺いした内容を下記にご報告いたします。
○どうして壬生が屯所として選ばれたのか
江戸からやってきた(何処の馬の骨かもわからない)浪士達を洛中に入れるのは危ないとの判断で、隣接していた壬生村が選ばれたのではないか
壬生郷士の家(壬生村旧家10件ほど)の長老であった八木家は
京都守護職や所司代とも深い関わりを持っており、屋敷の一部を提供することになった。
当時の壬生は長閑な農村で、壬生菜や藍・菜種などを栽培
新撰組の羽織の浅葱色(あさぎいろ)は、その藍で染めた色で
壬生村のシンボルカラーでもあった
旧前川邸(八木邸とともに屯所となった家)のHPには下記のような記述もありました。
http://kyu-maekawatei.com/shinsen/kanren.htm
前川本家(京都油小路六角)は、掛屋として御所や所司代の公金の出納、奉行所の資金運用の仕事など、色々な公職を兼ねていたため、奉行所や所司代との密接なつながりがあった。
上洛する浪士組(後の新選組)の宿舎を選定するにあたり、市中情勢にも詳しく、役人の信頼も厚かったことから、前川本家が、その仕事を任された。前川本家では、壬生の地が、京の町はずれにありながら、二条城に近いという点で、地理的条件にも合ったことから、自分の身内である前川荘司の屋敷を提供。
○八木家での新撰組の様子
1863年の上洛から1865年3月西本願寺へ屯所を移すまで、八木家を宿所とした。(途中隊士も増え、手狭になったため、向かいの前川邸や南部邸も利用)
芹沢鴨が寝室として使っていた部屋が現存していて見学できる
暗殺の場でもあり、刀傷も残っている!!
〇八木家に伝わるエピソード
・隊士たちは礼儀正しく、八木家のご主人はもちろん奥様やご家族にも敬意を表していた
・悪く描かれがちな芹沢鴨、「お酒さえ飲まなければ、とても良い人だったのに・・・」と、おじいさんたちが言っていたそう
西本願寺に拠点を移した後も、八木家隣の壬生寺で兵法訓練をしたりして、江戸に下る最後まで深い繋がりがあった
○新政府軍から八木家に対する圧力や攻撃はなかったか
鳥羽伏見の戦いの頃には、屯所を西本願寺に移していたため、直接的な影響はなかったと思われる。
ただし、新撰組消滅後、攻撃の対象となるのを避けるため、様々な記録を処分した)
=====
島原住吉神社。
新撰組が結構な頻度で通っていた花街の中にある神社です。
大阪の住吉神社から御祭神様を分けてもらった…?まぁそこの神社と御祭神様が一緒なんです。
そこの三柱の神様がいて。
イザナギ様が禊(汚れを落とすこと)を行っている時に、誕生したのがここの三柱の神様なんです。だから、船の神様とか言われていますね。
ちなみに、今は縁結びの神様ともいわれてますね。
花街が栄えていた縁もあって、お祭りもありました。(今はお祭りは実施していないそうです)
続きまして、角屋。
ココは芹沢鴨さん(よく悪役として知られています)が新撰組によって討たれた場所なんです。あ、元々この方、新撰組の内部の方でした。
にしま:みなさんと少し馴染み深いかなって思う、八坂神社について。
御祭神様がスサノオノミコトの妻のクシナダヒメです。
御祭神様として祀られているのはスサノオノミコト様とクシナダヒメ様です。
そうそう、私がこの八坂神社で一番訪れてほしい季節。『春』なんですね!!
八坂神社の坂を登っていただくと、桜がとってもきれいな場所があるんです。そこから下を見渡してみると、提灯の明かりがボゥっと灯っているところや、商店街の光が相まってとってもきれいなんです…!!
にしま:祇園祭りは869年に商人の方が疫病を治すためにって始めて、ずっと続いてきている伝統のお祭り。応仁の乱で一時できていなかったらしいのですが。
なりちゃん:今年多分中止やんな。祇園祭…
180年ぶりらしいよ。
にしま:えっ。
たいにぃ:戦時中もやってはったんですかね。
なりちゃん:そういうことになりますかね。
たいにぃ:180年前って何があったんでしょうか。
にしま:多分、応仁の乱…?あれ?
なりちゃん:江戸くらい?
たいにぃ:憲法改革とかそのあたりだよね。
にしま:飢饉とかですかね?
わこ:天皇家が京都から江戸に移ったからショックで祇園祭できなかったんかな。
なりちゃん:でもその移った後の京都、めっちゃ廃れたらしい。全然元気なくなったらしい。天皇家があったから商売成り立ってたところもあったみたい。
(その後、急遽なりちゃんが調べてくれました)
なりちゃん:はっ…!!蛤御門の変や!(禁門の変とも呼ばれています)
長州藩が京都に攻めてきて、御所に向かって火を放った事件。
=伝える・広げるタイムの終了=
今回も充実した…!!
距離が近いからこそ気付けてないこと・知ってそうで実は知らない事実があって、とても面白い会でした!
高校に久々に訪問すること兼ねて伏見をもっとゆっくり時間かけてみてみようかな。
さぁそれではまたいってきま〜す!!
きど:いってらっしゃいって言わせられてる
(そこは触れない…!!笑笑)
次回は山形編6/ 14(日)!人生はじめての東北、楽しみやなぁ!
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