ウェルビーイングと私 あきら

世界とのつながりを体現すること、そして全ての感情や思考を受け入れること
それが、私にとってのWell-beingである。

・世界とのつながりとは何か?
最近、つながりとは既にあるもので、自分で気づくものではないか?と気づいた。
きっかけは、曾祖母が亡くなってから、私が日々思い出すことで繋がれている実感を得られたことだ。
さらに、バタフライエフェクトのような複雑系科学から、「この世に影響を与えていない出来事などない」とつながりを一層感じられ、このことに気づいた。

・感情や思考を受け入れることがなぜ大切か?
意識は無意識をコントロールしておらず、感情・思考を認識しているだけ(記憶をするために存在しているだけ)という仮説がある。
これに従えば、感情や思考はコントロールするものではなく、受け入れるものであるほうが自然ではないだろうか。
その方が実体験でも生きやすいと感じた。
そんな経験を伝えさせてほしい。
かつて感情や思考が生まれる度に「こんな感情は抱いてはダメだ」とか「こんな思考をするなんて、情けない」と判断をしていた時期があった。
まるで頭の中で、常に有罪判決を下される裁判が繰り広げられているようだった。
感情や思考が生まれると判断しそうになることに気づき、「どんな思考や感情もいいも悪いもない。人間にとって大切なものだ」と言い聞かせて判断を止めた。(こう言い聞かせられるようになったきっかけとして、生存本能によって沢山の感情が引き起こされることを学べたことが大きかった)
感動している自分の感性に気づき、その感性に喜ぶことで、判断を止めることに努めた。
最近は、感情や思考が生まれた時「そう思ったんだね」と言い聞かせるだけになると、常に頭の中が裁判状態だった状況から一転し、静寂で安心した状況に変わった。自然と、自分のことをより一層肯定できるようになった。
自分の感情・思考を判断せず受け入れ続けることで、純粋にワクワクすること、感動することに気づき、好きなことが見つけられるのではないだろうか。

・つながりと受け入れることを通じて何が生まれるか?
私を深く受け止めて、相手を広く受け入れることができる。やりがいとつながりが深まる。そして、私と考えられる範囲が広がり世界を深く知り愛おしく思えるのではないか。(今まで「あなた」と読んでいる対象が「私たち」と変容していく経緯に似ているのではないか。なんと、私と私たちの区別がない国もあるようだ!)
「私が」や「私の」というこだわりや責任感に囚われすぎず、時間が蓄積するものでなく、過去や未来に思いを馳せている今があるだけと感じ始めるととても穏やかな気持ちになれる。
どうか、この世界が幸せでありますように。


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