ウェルビーイングと私 もっさん
「幸せ」という概念を初めて意識したのは、大学生で経験したメキシコ留学の時だった。メキシコで暮らし始めて、人々が笑顔で幸せそうなのに気がついた。どの街に行ってもその印象は変わらなかった。なぜだろう、と暮らしながら考えた結果、とにかくメキシコという国が「人が好き」なのである。褒められて愛情一杯に育ったため、自分の中に蓄えられた愛情を自分の家族はもちろん、見知らぬ人々にも気前よく分け与え、愛情が社会に循環している国、当時そんな印象を持った記憶がある。今風に言うと、愛情の恩送りが根付いている国とでも言うのだろうか。
それから時は経ち、メキシコでの日系企業への就業にも挑戦し、彼らの家族への愛情第一主義のために仕事が犠牲になり日本人がその穴埋めするという事態も、人との触れ合いの場を楽しむあまりにメキシコ人研修生が日本で騒音問題を引き起こすという問題も経験した。
それでも、メキシコで暮らしていた時の日々の幸福感という感覚は強く体に残っており、なぜそこまで強く幸福感を感じたのか、ということは長年言語化できずにいた。The World Happiness Reportではメキシコの幸福度ランクはそこまで高くなく、世界トップランクの幸福な国という訳でもない。
この謎を解くきっかけになったのが、ウェルビーイング大学で参加しているOxfordプロジェクトで、幸福度を測る尺度において認知的側面と感情的側面があると説明されている章を担当したことだった。章の説明では、認知的側面では人生の出来栄えや生活満足に関する尺度であり、感情的側面はポジティブ感情・ネガティブ感情についての尺度ということである。前述の通り、愛情が循環する国であるメキシコでは、その場の感情や雰囲気を重視するように思う。実際、メキシコ人も「誰かが悲しい顔をしていると、他の誰かが冗談を言い必ず笑顔にしようとするのがメキシコ人だ」と言う。一方で、場の感情に優先度が置かれ、人生全体の出来栄えや目標などへの優先度は少し下がるように思う。この差が、The World Happiness Reportの結果に反映されているのではないだろうか。
ウェルビーイング大学で学んだことに照らして考えると、メキシコ人は、学長 前野先生が説明される幸せの4因子の「やってみよう因子」「ありがとう因子」「何とかなる因子」「ありのまま因子」のうち、「ありがとう因子」「ありのまま因子」が強いと分析している。ありがとう因子は愛情を基にした他者との関係性の強さ、「ありのまま因子」は、メキシコでは無理して自分を何者かにしようとしている人を見なかったからだ。これは、自分そのままで愛されるという実感が根付いているからではないだろうか。
もちろん、私が現地滞在中に出会ったメキシコ人に該当するというだけであり、メキシコ人全てがそうではないだろう。また、当時の私が幸福感を強く感じることができたのは、一定期間滞在する外国人という特殊な立場にいたこと、初めて目にした異文化が新鮮だった等々、いろいろな要因はあるだろう。ただし、メキシコでの生活が当時の自分の幸福感に響き、幸せな体験を得たことは自分の中の真実である。
以上から、長年言語化できずにいたメキシコでの幸福感は、その時々で自分が必要な幸せ因子や幸福度に関する側面(感情的側面)をタイムリーに受け取ること・実践することによる幸福体験は強烈に自分の中に残るため、と結論づけたいと思う。
さて、今の自分が必要としている因子は何だろう?自分の幸せは健康診断のように客観的に見つめることができ、筋トレのように能動的に作ることができる、ということもウェルビーイング大学の活動を通して学んだことだ。日常に追われてつい忘れがちな自分の幸せを改めて見つめ、能動的に幸せを作り人生を彩っていきたいと思う。