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ウェルビーイングと私 多元的ウェルビーイングを探して としちゃん

ウェルビーイングについてWHOは、肉体的にも精神的にも社会的にも、すべてが満たされた状態と定義している。そしてOECDは主観的ウェルビーイングについて、心の良好な状態と定義している。その学問的背後にはポジティブ心理学があり、それが米国で主として発展してきたことから、そのウェルビーイングの定義にはどうしても能動的かつ、みなでつかみとる、達成するというニュアンスが入っているような気がする。

みなで能動的につかみとるウェルビーイング。それはそれでよいのだけれど、この40年間の間に地球のあちらこちらに旅したり暮らしたりして、ウェルビーイングの評価には、文化的な背景が大きく影響しているような気がする。

二軸図を頭の中に浮かべてみよう。縦軸は「達成」の軸で、「つかみとる(能動)-受け入れる(受動)」として、軸の二つの先端を置く。次に縦軸は「誰と」という「場」の軸で、「ひとり(独居)-みんな(集合)」として、軸の二つの先端を置く。

その二軸図を考えてみると、ポジティブ心理学が主として想定している主観的ウェルビーイングは、「つかみとる(能動)とみんな(集合)」の象限にあるもののようである。つまり対極の象限にある、「受け入れる(受動)とひとり(独居)」の象限にあるウェルビーイングは、これまでのポジティブ心理学のアプローチでは、うまく掬いとれていない気がする。

日曜日に家族で縁側の陽だまりでゴロゴロしていて、何も起きなかったときの幸せな感じ。それは、三十年ほど前に仕事の担当国として訪れたブータンで、現地の友人に「いつ幸せを感じるか」と尋ねたときに、「沈む夕日を見ながら、ああ、今日も一日何ごともなく平穏に暮らせたなあと、しみじみ思うとき」という返答をもらったときの小さな驚きに重なる。国民総幸福量(GNH)を国王以下が率先して唱道する、「幸福追究大国」ブータンの幸福観は、能動でも集合でもなかったからだ。

森で、島で、海辺で、空を眺めながら我が家で、ぼっとひとりでしばしば過ごす。わたしにはそれがなによりもウェルビーイングだ。

自然と対話することは高いウェルビーイングと相関することは先行研究からよく知られている。戦間期の作家・中島敦が短編小説「名人伝」で書いたような、弓矢の名人が晩年に仙人のような隠遁生活を森で送り、老年的超越というウェルビーイングの極みに達して、弓矢が何であるか忘れてしまう逸話が、この「受け入れる(受動)とひとり(独居)」の象限にあるウェルビーイングをよく表している。

三十年前に暮らしたインドでは、どこに行っても人で溢れていたけれども、独りで静かに行う瞑想はまことにマインドフルで、信ずる宗教や思想の枠を超えて、みなが微笑を浮かべて実践していた。雨季に多いタイの僧院での瞑想、そして日本の禅宗寺院での座禅の安らぎの体験がそれに重なる。

日本ではいま、人里離れて一軒家で暮らすシニアを訪ねるテレビ番組が人気で、そこに出てくる、多くは独居のシニアは総じて主観的ウェルビーイングが高い様子だ。人里離れた一軒家に独居している彼らは多くの場合、最高の笑顔でテレビクルーを迎えている。

しかしこれを、老荘的あるいは東洋的ウェルビーイングというのは言い過ぎかもしれない。なぜならば、バックパッカーとして放浪したヨーロッパの国々にも、「つかみとる(能動)とみんな(集合)」の象限の外にある主観的ウェルビーイングが存在していることをわたくしは体験しているからだ。

例えばデンマークのヒュッゲ。デンマークの友人によれば、例えば、家族や気のおけない友人たちと気兼ねなく集まり、赤々と燃える暖炉の周りで、みな食べたいもの、飲みたいものをスモーガスボードからめいめいでとり、たわいのない雑談をして過ごす、幸せのカタチだという。それがデンマークの多くの人が感じるウェルビーイング。そこには集合はあるかもしれないが、つかみとる感じはない。

さらに旅の記憶を辿ってみる。フランスやスペインで、教会広場に面したバルの屋外の椅子に座ってコーヒーを飲んでいた日曜日の午後。コロンビアの海辺の町の突堤の端に腰かけて、カリブ海から吹いてくる夕方の強い風に当たりながら、屋台で買ったおやつを相棒と頬張って、夕陽が沈むのを見送っていた夕方。朝霜にしっとりと濡れた、すべて若緑の茶畑のそばのコテージで、甘いチャイを飲みながらぼうっとしているスリランカの夏の朝。

わたくしの心の中でウェルビーイングの記憶の多くが、デンマークのヒュッゲをはじめ、これまでの主観的ウェルビーイングの枠組みでは必ずしもうまく掬いとれなかった象限に置かれている。

これらのウェルビーイングの記憶を、多元的ウェルビーイングと呼ぼうと思う。ウェルビーイングの感じ方は、文化的な背景もあり、多様だからだ。そして、多元的ウェルビーイングをこれからも探していきたい。そしていつか、中島敦が描いた「名人伝」の主人公のように、こう呟きたい。「ウェルビーイングって何だったかなあ」。


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