ウェルビーイングと私 あきこ
私がウェルビーングと出会ったのは、たぶん数十年も前のことだった気がする。 某企業でスタッフの育成に携わっていたが、様々な伝え方を模索する毎日。女性が 9 割 を占める企業。当然ながら様々な生活環境という背景が彼女たちの思考を占拠していた。 「嫁はこうなくてはならない」「仕事との両立とはこういうことだ」「子どもがいるから」 「長男だから、女性だから、新人だから、店長だから・・・・」
さらには周囲にそれを求められる。求める。
彼女たちを縛る「見えない背景」を見える化して、そこに合わせた考え方をレクチャーし ながら、『それぞれが目指す【本音】を徹底的に大切にする』それが仕事だった。 スタッフが理想としている自分の姿と今の自分のギャップという、見えない大きな重り を自ら作り出していることが多いため、それをひとつづつ外していく日々だった。 しかし、当時はそれを「ウェルビーング」と呼ぶことはおろか、どう表現して良いものや ら分からなかった。多分、「個人的な価値観」に過ぎない扱いであったと認識している。
ある日、スタッフから「あなたはいいですよね!そんな風に生きていい選ばれた人なんで しょ!?」と、彼女はそのまま退職して行った。
彼女には、彼女が懸命に生きてきて作り上げた、彼女の正義がある。 どんな人もそう。
懸命に生きている。
まるで一部の人間だけに許されるように見えている【本音で生きる】ということを、だれ でもそれで良いんだと受け入れやすい形でここ数年広まってきている。 その最たる表現の一つがウェルビーングだと私は感じている。
現在も、たくさんの経営者やミドルマネージャーなどに関わっているが、これまでパーソ ナル障害や隠れ鬱の人にも多く出会っている。センシティブだが自ら命を絶った人も知 っている。
そんなだから、飽きもせず、研修会社を運営しているのだと思うし、辞めるに辞められな い、諦めきれないのだ。本音の笑顔を見るまでは・・・。
かくも日本人は良くも悪くもカタカナに魅了されやすい。最新のことをやっているよう な気持ちの高揚が得やすいのかもしれない。楽しい高揚感は行動力にもなる。ブームにも なる。
なんだっていい。
日本語で言うなれば【本音で生きる】ということ。
子どもの頃のような純粋な自分を心から抱きしめて愛しさを感じる日々をただ重ねるだ けという ‘シンプルな日々に戻る‘ 作業を、一人でも多く人が分かりやすく受け止められる なら幸せだと思う。
だれの目も気にしなくていい。自分の【本音】を 1 番気にすることを皆に伝えたいと思 う。
そこから今一度、活躍とは何か、人とつながるとは何か、そのためにどんな事を実践する かを伝えていきたいと思う。
諦めの悪い私の道は得体のしれない希望に満ちて、輝いている。
それは、日本人は本当にすばらしいと思う瞬間に多く立ち会っているから・・・。