WBUと僕 by たっくん
会ったことがない。
全てを知っているわけでもない。
知っていても、きっとほんの一部。
それでも「つながっている」と確かに思えて、一人ではないと思うことができる。
そんな、不思議な魅力が、このWBUにはあります。
元気をもらって、みんなの笑顔の中で、一緒に笑う。
僕の知らない世界を、たくさん見せてくれる人たちが、
日本中に、海を超えた先にはいます。
きっとこれまでも可能なはずだったけれど、
今、この時代だから僕は出会うことができたんだと思う。
それはまるで、
お父さんやお母さんのようで、
おじちゃんやおばちゃんのようで、
お兄さんとお姉さんである。
それなのに、毎回少しだけ感じる、わずかなドキドキも、
「この場所では、ありのままにいていいんだよ」
ということを思い出させてくれる。
直接的には感じることのできない温もりに
優しい気持ちになれたりもする。
生まれも育ちも、環境も年齢も、一緒なことの方がきっと少ない中で、
共通した「何か」で強く結び付いている。
それがきっと、
「Well-being」なんだと思います。
しかし、この言葉に辿り着くまでのプロセスはみんな違ったはずで。
僕の知らない、それぞれの人生があって、ストーリーがある。
いつもキラキラしていて、惹きつけられていた人たちの、
その背景は決して、キラキラしていないことの方が多かったりもした。
その瞳の奥で色んなものを見て、感じたことがあったことを知るとき、
それがまた、その人を引き立て、美しさを感じる瞬間がある。
苦しさも辛さも悩みも全て、
美しさと、幸せの要素には必要ならば、
僕たちは、
それを受け容れることができるだろうか。
そして、この場所では、
それぞれの「Well-being」の形があって、
それぞれが、それぞれに、やりたいことをしている。
自由だ。
そのフットワークの軽さと、チャレンジする姿は尋常じゃなくて。
その速度が、想像を超える。
単純に、
「すごい。」を超して、
「ビビる。」
その反面、
僕は居るだけで、流れにただ身を委ね、ぷかぷかと過ごしていることの方がきっと多くて。
それでもいい。と僕は思っている。
だけど、
そろそろ、僕の想いを過去形にしたいと思う。
どうしても「自分」にベクトルが向いてしまうことで、
僕は、アクセルとブレーキを同時に踏んできたんじゃないか。
これからは、
ブレーキを少しだけ緩めて、生きたい。
「誰か」や「何か」の間で
「自分」が生きやすくなるように。
そして、「誰か」や「何か」の力になりたい。
きっと、不安定にもなるだろうけど。
僕には、その反対がちゃんとある。
だから、「きっと、大丈夫。」
多分この先、
直接、ありがとうが言えない人がいて、
直接、温もりを感じられない人もいる。
だからその恩返しを、
僕の周りにいる、大切な人たちに返していきたいと思います。
「いつも本当にありがとうございます。」
文字に想いを込めながら、WBUを思い、「僕」を感じる。