「彼女が男子と対等にプレーできるようになることは、日本サッカーが世界で勝つことに通じるものがある」永里優季×中西哲生。7年越しの挑戦が目指すものとは?
9月10日、1人のサッカー選手の移籍が日本、いや世界に衝撃を与えた。なでしこジャパンのストライカーとしてW杯優勝、五輪準優勝など数々の栄光を手にしてきた永里優季が、神奈川県2部リーグの男子チーム「はやぶさイレブン」に移籍することになった。
ドイツやアメリカなど海外のトップレベルで活躍し、名実ともに女子サッカーの頂点を極めた永里。とはいえ、男子チームへの参入となると完全に未知の領域だ。前例のない挑戦はFIFA公式サイトでも取り上げられ、記者会見にはテレビや新聞などの大手メディアも多数詰めかけた。
約1カ月後の10月18日には神奈川県リーグの山王FC戦で男子デビュー。3タッチにとどまったものの、試合終盤に兄である永里源気のゴールの起点になるなど、短い時間ながらも確かな存在感を放った。これから試合を重ねていく中で、どんなプレーを見せるのか期待は高まるばかりだ。
「彼女が男子と対等にプレーできるようになることは、日本サッカーが世界で勝つことに通じるものがある」
パーソナルコーチとして永里の個人指導を長年行ってきた中西哲生氏は言う。世界中を驚かせた男子挑戦は、どのように始まったのか。永里が新たなステージに行くうえで大きな役割を果たした中西氏の言葉に触れてみよう。
男子の中でプレーすることは目的ではない
「もし叶うんだったら、男子の中でいつかやってみたい気持ちがある」
そう永里優季選手から初めて聞いたのは7年ぐらい前だったと思います。びっくりしましたね。ぶっ飛んでるなと(笑)。だけど、決して不可能じゃないと思ったし、何よりもこの挑戦は日本サッカーにとっても大きな価値があると感じたんです。
男子のピッチで永里選手を活躍させることができたら──。そこには日本人が世界のトップ・オブ・トップで戦うためのヒントが見えるかもしれない。彼女が日本代表で、男子チームを世界のトップととらえるとわかりやすいでしょう。フィジカルで上回る選手、チームに対して、それを凌駕していくためには何が必要なのか。そういうものを見出せる可能性があるんじゃないかと。
大事なのは、男子の中でプレーするのが目的ではなく、男子の中でも存在感を出せるような選手になるということです。若き日の久保建英選手には、試合に出場することじゃなく、その中で最も輝く選手になることを目指してやろう、と常に話していました。
「ゆっくりを、よりゆっくり」に見せる
身体能力的には男女差というのはどうしてもあります。
その中で重点的に取り組んだのが「ゆっくりを、よりゆっくりに見せる」ことでした。どんなに肉体改造をしても、男子ほどのスピードを出せるわけではないですから、速くしようと思っても限界があります。でも、ゆっくりとしたところから突然速くなれば相手は実際のスピードよりも速いと感じます。野球に例えるならば、120キロのボールを140キロに見せるようなイメージです。
フォームというのは速くなれば速くなるほど崩れやすい。相手の方が速いからといって、プレースピードを速くしようとすると技術の精度が落ちてしまう。だから物理的に速くするというよりも、視覚的に速くなったように感じさせることが大事になるんです。
もう一つ、重要視しているのが「止まること」。自分がずっと動き続けていれば、相手も動き続けるし、こちらへ速くアプローチできる可能性があります。でも1回止まれば、相手は止まらざるをえません。止まった瞬間に動けば、マークは外すことができる。
自分よりもスピードで上回る相手に対して、主導権を取るためにどうするか。相手が止まった瞬間を見極めて、スッと動き出せば、ディフェンスを無力化することができる。身体能力の違いがあったとしても、自由な時間を作り出すことができるんです。そのために必要な技術や、体づくりをトレーニングしてきました。
本人も話していますが、永里選手は女子の中でも決して身体能力が高い選手ではありません。でも、世界のトップでずっと活躍してきている。ワールドカップ決勝でもオリンピック決勝でもゴールを決めた日本人選手は、彼女だけです。女子の中でやれていることを、男子の中でもやれるようにするのが、僕たちの新たな目標になったわけです。
男子挑戦の手応えをつかんだ「さがみはらドリームマッチ」
実は今回の男子挑戦の5年前にある“テスト”を行なっていました。
2015年に行われた「さがみはらドリームマッチ」です。元日本代表や元Jリーガーが相模原の男子高校生と対戦するエキシビションマッチに、名古屋グランパス時代のチームメートであるSC相模原の望月重良会長にお願いして、彼女をメンバーに入れてもらいました。
(写真:SC相模原)
FWとしてスタメン出場したのですが、一緒に出場していた福西崇史さんは「お世辞じゃなく、普通にやれている」と話していました。これは本人にとって大きな自信になったはずです。
当時、本人が話していたのが男子のほうがボールスピードが速いからトラップが止まるということでした。中西メソッドではトラップで「軸足を抜く」、「重心を上げる」、「ボールの上半分を触る」という3つを中心に教えています。それは速いボールであればあるほど止まりやすい。そしてボールがピタッと止まりさえすれば、オン・ザ・ボールの局面で主導権を握ることができますから。
元プロ選手から蹴られた速いパスをピタッと止めて、自分の技術を発揮することができた。男子高校生とはいえ、身体能力としては高い相手にボールを失わなかった。味方にも相手にも順応できたことで、「このまま続けていけば男子の中でもプレーできるんじゃないか」という手応えを本人も僕も感じられました。
今では信じられないかもしれませんが、僕とトレーニングを始めた頃の彼女は本当にボールが止まらなかった。相手を背負ってクサビのパスを受けるのは、どちらかといえば苦手だったんです。トラップがうまく止まらずに慌ててしまうことが大きな課題でした。
でも今や、ボールを収めるのは彼女の最大の武器と言えるぐらいになっていますよね。男子の中でプレーするという未来を想定して、そのために必要なトレーニングをしてきたことが今につながっているのは間違いありません。
僕は引退してから20年も経っていますが、僕なりにコンディションを整えて、永里選手とトレーニングする時はハイパフォーマンスでプレーできるよう常に準備をしています。インスタグラムに上がっている動画を見ると、僕がガチでプレッシャーをかけているシーンがあります(笑)。それは本人が男子のプレッシャーの中でやることを、ずっと目標にしていたからなんです。
完璧主義者・永里優季がたどり着いた場所
さまざまなタイミングも重なって今回の男子挑戦が実現しましたが、個人的に一つ目のハードルはやっと超えたという感覚です。Facebookに彼女が「僕との出会いがなかったら、この選択をしようと思える自分になれなかった」と書いてくれて、それがとてもありがたかった。でも、僕自身も彼女が男子に挑戦すると話してくれたから、新たなトライをすることができたんです。
永里選手は完璧主義だから、自分が完璧にできないと、なんで51歳の僕にはできて「私にはできないの?」とイライラしてきます。そこで僕は、逆にまたイライラするようなことを言う。そうするとさらにできない。だから試合中イライラしてしまうと、良いプレーにはならないと気づく。
普段は「この人はなぜ私をイライラさせるんだろう」と思っていたかもしれないけど、他の選手とのトレーニングでは、同じ内容でも順番も声がけも、アプローチもすべて違います。私にはこうしていたのに、あの人にはこうしている。そこには必ず明確な目的と理由があると、本人はもうすでに気づいているはずです。
僕が感じる永里選手のすごさというのは、うまくなりたいという気持ちに対して、どこまでも純粋なこと。だから僕もそれにできる限り応えたいと思ってきたし、そのためにずっと一緒にトレーニングしてきました。今は7年ぐらいかかって、ようやくそのスタートラインに立ったのかなと。彼女が男子のピッチでプレーする中で何が見えてくるのか、今はそれがとても楽しみです。
■プロフィール
中西哲生(なかにし・てつお)
1969年9月8日、愛知県名古屋市生まれ。現役時代は名古屋グランパス、川崎フロンターレでプレー。名古屋では1996年天皇杯優勝、川崎では1999年キャプテンとしてJ2優勝、J1昇格に貢献し、2000年に引退。現在は(公財)日本サッカー協会参与、川崎フロンターレクラブ特命大使、出雲観光大使などを務める。著書には『魂の叫び』、『ベンゲル・ノート』(幻冬舎)、『日本代表がW杯で優勝する日』(朝日新書)などがある。 TBS『サンデーモーニング』、テレビ朝日『Get Sports』でコメンテーター、またTOKYO FMで毎週金曜日15:00〜16:55『TOKYO TEPPAN FRIDAY』のメインパーソナリティを務める。またパーソナルコーチとして、様々な現役プロサッカー選手を指導している。
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