メキシコ生活

結婚のきっかけになった「メキシコ駐在になった」という主人(当時は彼氏)の言葉。

メキシコ?アメリカの下だよね?タコス?
もうそんなレベルの認識しかなかった。

コロナで延期をして、やっとメキシコ生活が始まったのは2022年4月のこと。
きて初日は高山病で頭が痛かったけど、翌日には治った。
わたしが今住んでるメキシコシティは標高2000メートルほどのところ。
治安は、良くはない。
時々邦人が被害に遭うこともあるし、通りで携帯を出すなとか、強盗に遭ったら抵抗するなとかよく聞く。

でもメキシコ人の方々は優しくて、困っているとすぐ助けてくれる。
陽気でパーティー大好きで、でもすごく緩くて、、、
修理の依頼をしてもすっぽかされることもしばしば。
主人が先に来ていた時、大手のデパートでベッドを注文したらしいけど、最初に届けるってお店の方が言った日には来なかったみたい。
そして次に届くと言った日も来なかった。
3回目でやっと届いたって。

でもわたしは来てすぐ、メキシコのそういう緩さを受け入れられなかった。
治安の悪さも怖かった。
隣の州ではとんでもない事件が報じられてるし、本当に日本に帰りたかった。
主人ともかなり衝突した。
お互い慣れない生活でストレスが溜まっていたんだと思う。

そして来てすぐ2人目を妊娠。
上の子の後の子を1人流産しているわたしは不安で仕方なかった。
でもメキシコの産婦人科の先生はすごく優しくて、行くたびに「絶対大丈夫だから!」と励ましてくれた。
そんな先生のところで産みたかったけど、言葉の壁で断念。里帰り出産した。

その里帰り出産でいた日本では、メキシコの良さも日本の良さも感じられた。
最初は嫌だと思ってたメキシコの緩さもいつの間にか好きになってた。
日本のあらゆる設備が整ったところも、日本の良さとして再確認出来た。

ついに里帰り出産の期間を終えてメキシコに戻る日が迫ってきていたある日、下の子のお食い初めを日本でやろうということになった。
メキシコだと材料が揃わないし、何よりイベントを母や祖母、義父母みんなと一緒にやりたかったから、、、
そこで事件は起きた。
義母が手配してくれていたお食い初めのお食事が一向に届かない。
時間を30分過ぎて、1時間過ぎて義母が電話をすると、予約はできていたがお店への手配がされていなかったとのこと、、、

メキシコに住む前のわたしだったら、怒り狂って終わりだったと思う。
でも今のわたしはメキシコに行って強くなった。予約なんてあってないようなもの。

主人とスシローにお寿司を買いに行き、道中で近所中のスーパーに電話をしまくり尾頭付きの鯛を探した。
幸いヨーカドーにあり、取り置きしてもらった。

お買い物を終えて戻ると主役は寝ていた。
ありがたいことにお赤飯大好きなわたしのために祖母が炊いてくれていたお赤飯があったので、それをお食い初めの御膳に加え、さらにフルーツの盛り合わせもあり、当初よりも豪華なお食い初めの御膳ができあがった。
みんなで作り上げた最高のイベントになった。
そのおかげか下の子は食欲旺盛な食いしん坊に育った。

メキシコのおかげで切り替えがはやくなったわたし。
メキシコはイベントは盛大にやるし、家族を大切にする文化がある。
メキシコのおかげでそれを学べた。

そして2024年8月、メキシコを離れ日本に帰ることが決まった。
最初はあんなに帰りたかったけど、今やすごく好きで離れたくないとまで思うようになった。
「ここがわたしのanother sky!」ってはっきり言い切れる。笑
メキシコにいられるあと少しの間、ちょっとでも成長できるといいな。

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