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ケミカル探偵


 彼の名前は、毛見川琉偉。人呼んでケミカル探偵だ。
 ケミカル探偵とは言っても、ただの大学生で、別に職業探偵ではないし、難事件を解決したりする訳ではない。
 単に化学知識が豊富で、色んな事を言い当てたりするから、誰ともなく、彼をケミカル探偵と呼び始めただけのこと。
 そう。今夜この、雪のペンションに閉じ込められてしまうまでは。
 僕たち8人は、先輩の親戚が経営するペンションに格安で遊びに来ている。格安と言うか、ほぼ無料だ。交通費なんかは自費だけど、それも先輩が車を出してくれているから実質無料。食費も酒代も先輩持ちだ。
 ちなみに、ペンションとは言ったけれど、ほぼ無人の別荘と言っていい。
 元々はゴルフ場開発に合わせて、この一帯もペンションが多く立ち並ぶ予定だったそうだ。しかし、噂に聞くバブルの崩壊とやらでゴルフ場開発が中止。ペンション計画も頓挫した。
 先輩の家柄は金持ちで、この計画にいち早く着手し、モデルケースとして自費でペンションを建てたのだ。
 かなりの山奥で、インフラも整備されていなかったらしいけど、隣接する県と県を繋ぐルートの少なさと、ゴルフ場計画、ペンション建築が相まって、電気ガス水道は通っている。
 ちなみに冬は小さなスキー場として運営される筈だったと言う。
 そんな訳で、この地域にはわずか数軒の民家があるだけ。人口としてはおそらく、限界集落以下だと言える。しかし、自治体がここを含む広域あること、隣県に繋がる数少ない道路であること、地元を支える金持ちが所有するペンションがあること、などの理由から、まだお取り潰しにはなっていないのだとか。なので、実際のオーナーはほとんど顔を出さないが、夏はアウトドア、冬はスキーと、遊び盛りの親戚に使用させる事で、ペンションが腐らないようにしているらしい。
 そんな訳で先輩を含む僕たち8人は、優雅で無料なスキー旅行に来た訳だ。
 ちなみに毛見川はスキーなどには露ほどの興味を示さなかったが、地域と気候の関係上、本土では珍しいダイヤモンドダストが見られるかも知れない、と言う条件を知り、急遽参加する事になった。
 なお、僕はと言うと、やはりスキーには大して興味がなかったけど、好意を寄せている女の子が誘われてしまったため、先輩たちの毒牙に掛からないよう、エスコートしに来た訳だ。
 菱川美織。皆、同じゼミ生である。
 実際のところ、彼女にエスコートが必要だったか有難迷惑なのかはわからないが、なるべく彼女から目を離さないようにしていたが、事件は起きた。3日目の夜のことである。
 残念なことに、その日は朝から猛吹雪で、とてもではないがペンションを出られる状態ではない。逆に、外部からの侵入も不可能である。
 犯人は残る7人の中の誰かと言う事になるだろう。
 ん? 彼女から目を離さなかったのに事件は起きた? いいや、彼女から目を離さなかったからだ。
 殺されたのは、彼女の親友、呉田瑞稀。
 12部屋あるこのペンションの、未使用の部屋で首を吊って死んでいた。
 そしてその遺体の下には、小さな血痕。
 あまりの衝撃的な出来事に僕たちは大パニックを起こしたが、毛見川は冷静だった。
 何とか死体を下ろしてあげようと主張する僕らに、警察の鑑識が入るまでは現状維持と言い張り、互いに譲らなかった為、現場写真を撮る事で合意を得た。
 当の警察が来るのはいつの事になるやら。元々山奥であるため、新しいインフラである携帯電話は通じにくく、積雪のためか、固定電話さえ通じない。
 警察への連絡が可能になるには、少なくとも吹雪が止むのを待つしかないようだ。
 「血痕があるからと言って、他殺を疑うのは早計だ」
 床に下ろした死体を見下ろすように眺めながら、毛見川はそう言った。
 「でも、自殺するようなコじゃ…!」
 菱川の反論を遮るように毛見川が続ける。
 「呉田が食後に飲んでいた薬にSSRIが含まれていた。いわゆる抗うつ剤だ。鬱症状からの自殺という事は充分に考えられる」
 「いや、ちょっと待って。それはおかしいよ。ちゃんと抗うつ剤は飲んでたんでしょ? だったら自殺なんて…」
 次は僕が反論しようとしたが、これも毛見川の言葉に遮られた。
 「馬鹿か、お前は。鬱症状が強ければ、自殺さえもする気にならん。鬱病患者が自殺をするのは決まって『自殺をする気力が湧く』ぐらい快方に向かっている時だ」
 「そ、それは、そう…なのか…」
 毛見川の言葉が真実なのかどうかを確かめる術はないが、毛見川が嘘を言うタイプではない事は皆が承知している。
 「それに、殺した後に首吊りを装うのは簡単じゃない。呉田の体重は少なく見積もっても50kgある。この高さまで死体を抱え上げるのは至難の業だ」
 「確かに…」
 では、何故、死体の足元に血痕があったのか。その疑問を口にはしていないが、毛見川はそれに答えるように、呉田の着ていたニットを捲った。
 「下腹部に刺し傷。4度、5度刺しているな。見たところ、2ヶ所を除いて傷は浅い。使用された凶器は、おそらく…」
 毛見川が呟きながら、ベッドの下から凶器と思われるナイフを発見した。
 「キッチンにあった果物ナイフだな。その手から落ちたものを、呉田自身か、犯人が蹴飛ばしてベッドの下にでも転がっていったんだろう」
 「犯人…? 自殺じゃないの?」
 菱川が問う。
 「さあな。2つばかりわかっているのは、刺し傷はおそらく、呉田自身が付けたものだと言うこと」
 「も、もうひとつは…?」
 先輩が問う。
 「呉田1人じゃ、首吊り縄にギリギリ届かないって事だ」
 「それって…!?」

 残された7人が、リビングに集められる。
 全員が憔悴していたからか、珍しく毛見川がコーヒーを淹れてくれた。全員に砂糖やミルクの有無まで聞いて回る姿は毛見川らしくないが、案外、気の利く奴だったのかも知れない。
 「ここで集まってもらったのは他でもない。呉田が死んでいた件についてだ」
 「…自殺じゃないのか?」
 持木先輩が、覗き込むように問う。今は完全に毛見川のペースだ。
 僕らは用意されたコーヒーに口を付け、呉田が死んだと言う衝撃から、気持ちを落ち付けようとした。
 「さあ、詳しくはわかりません。ただ、呉田の刺し傷は、おそらく彼女自身が付けました」
 「何故そんな事がわかる?」
 毛見川だけは冷静沈着だ。いや、少し嬉しそうだとさえ感じる。
 「傷の深さと、傷口の向きですね。他人に刺されたなら、傷口の向きが一定にはならない。そして、傷の深さを考えると、我々全員が容疑から外れるんですよ」
 「全員が容疑から外れる?」
 頼りになるのかどうかはわからないが、毛見川の分析力は随一だ。
 「全員が右利きなんですよ。まあ、ひょっとすると左利きを矯正した人がいるかも知れませんが、右利きなら傷口の向きに合わない。そして、彼女の身長は150cm強。ここにいる男性全員の身長からすると、刺すのに適している位置じゃない」
 言われてみれば確かに、男子全員が170cm以上ある。
 「いや、女子なら?」
 「傷の深さを考えると、女性の力とは考えにくい。特に我々は理系の体力なしですから」
 男性の先輩2人だけは運動部に所属している。毛見川は先輩が怪しいと踏んでいるのか。
 「だが、だとすると自殺じゃないのか?」
 持木先輩が疑われている事を察したのか、自殺のセンを問う。
 「血痕があった所為で他殺の疑いが出てしまいましたね。でも、困った事に、現場にあった椅子じゃ、用意されていた首吊り縄には届かないんですよ。先輩方が死体を降ろす時に気が付いたんですけどね」
 「…なるほど」
 持木先輩が神妙な顔つきで現場の椅子と、死体を降ろす状況を思い出しているようだ。
 「懸垂するように首を吊った可能性は?」
 ペンションの借主である岡田先輩が食いつく。
 「まずないですね。呉田は体育会系からは程遠い。おそらく腕立て伏せの1回も出来ないタイプです。懸垂なんてとてもとても」
 「確かに」
 頷いたのは持木先輩だ。
 「するってぇと、犯人は呉田を抱え上げられる人間って事になるのか?」
 岡田先輩が問う。体育会系の体格をしているのは岡田、持木の両先輩のみ。さすがに疑われている事は明白だった。
 「さあ、それはわかりません。少なくとも僕は僕自身が犯人じゃない事は知ってます。自殺でなければ残り6人。そして、特殊なトリックを使わない限り、身長的にも腕力的にも、女性陣3人は容疑から外れます。残り3人ですね」
 少なくとも、菱川が僕の眼前から長時間いなかった時間はない。菱川が犯人ではあり得ない。また、僕自身も僕が犯人じゃない事を知っているから残るは2人。
 呉田の最後の目撃は僕と菱川。特に誰かが大声で言い争ったりした形跡はない。ただし、外の吹雪のせいで、音や衝撃に気付かなかった可能性はある。
 「最後の目撃情報から、死亡推定時刻は3時間ほど。まだそれなりに体温は残っていましたが、使用されていない部屋で暖房が効いていないため、正確な時間はわかりません。失血による体温消失も考えられます」
 体温消失は通常、1時間に1度ほど。ただし、ペンションとは言え、吹雪の日に暖房のない部屋では1時間に2度以上が失われる。
 手で触れた感覚では完全に冷たくなっていたが、実査の体温は20度以上あったらしい。
 「毛見川、犯人はわかってるのか?」
 持木先輩が苛立たしげに問う。
 「外部からの侵入者である可能性は考えにくいですね。もしそうなら、彼女が自分で自分を刺す理由がない」
 この猛吹雪の中を出歩くリスクが大き過ぎるのだ。
 「それはそうだが、今イチ、状況が飲み込めん。なんで呉田は自分を刺したんだ? しかも、放っておけば死んだかも知れない、そんな呉田を殺す理由があるのか?」
 持木先輩が詰め寄る。直情型の持木先輩からすれば、毛見川の持って回った言い方が癪に触るのだろう。
 毛見川は開いても通信の出来ないスマートフォンの画面を確認してから、ゆっくりと話し出した。
 「憶測でモノを言うのは好きじゃないんですが、彼女は妊娠しているのではないかと思います」
 「妊娠!?」
 菱川が素っ頓狂な声を上げる。親友の妊娠を知らなかったのだ。無理もない。
 「この中にお相手の男性がいるとすれば、何となく筋は通ると思うんですよ。手首を切るでもなく、刺しやすい腹を刺すのでもなく、わざわざ下腹部を何度も刺した理由が」
 普通、自殺と言えば手首だろうし、切腹となれば腹を割る。確かに、わざわざ自分で下腹部を刺したとなれば、そこに意図があったと言わざるを得ない。
 「その相手が毛見川って可能性もあるだろ」
 岡田先輩が半笑いで呟く、が、毛見川の様子に動揺はなかった。
 「可能性は否定しませんが、それなら犯人当てゲームをする理由がありません。僕がどうして全員をリビングに集めたか、わかります?」
 「証拠隠滅を防ぐ」
 「持木先輩が即答するか、
 「それもあります」
 毛見川は無表情に答える。
 「次の犠牲者が出ないようにする」
 岡田先輩が続ける。
 「それもあります」
 しかし、毛見川はにっこりと笑うだけだった。
 「じゃあ、一体…」
 「皆さんに、コーヒーを飲んでもらいたかったんです」
 毛見川が、もう一度スマホの画面で何かを確認し。ここ数日で最も嬉しそうな表情を見せた。
 「コーヒー?」
 毛見川が小さく、口の中で「よし、30分」とごちた様子が、妙にハッキリと見えた。
 「ええ。皆さんが飲んだコーヒーには、アトロピンが入れられてました」
 「アトロピン…? 薬品…? 毒か!?」
 聞きなれない単語。そう言えば、毛見川はコーヒーを飲んでいない。
 「全員…」
 ちょっと待て。しばらく前から妙な倦怠感を感じると思っていたが、これは「事件からの時間経過で落ち着きを取り戻している」のではないのか?
 妙な喉の渇きは、緊張感から来ているものではなく、薬物由来なのか!?
 「一番怪しいのは岡田先輩なんですけど、特に証拠もない状態で、特定個人を疑うのは良くないですからね。全員に飲んでもらいました。助かりたければ自供してください」
 「冗談でしょお!?」
 女の金切り声が聞こえるが、菱川ではない。菱川は気付いたら眠っている。いや、眠っているのか? まさか死んではいないだろうな? こんな非常事態なのに、何処か夢見心地で他人事のように感じる。
 「おかしいだろ! それは!」
 岡田先輩が怒鳴る。同じ量を飲んでいるとしたら、体格の大きな先輩2人は薬の効きが遅いか鈍いかする事だろう。
 金切り声はたぶん、宮村先輩だ。コーヒーはあんまり好きじゃないって言ってたから、あんまり飲んでないのかも。
 「犯人が名乗り出なかったら!?」
 持木先輩の声が聞こえる。あれ? おかしいな。先輩の方を向くのもおっくうになってきた。それでも、
 「ぼ、僕が犯人って言ったら、ぜ、全員助かる?」
 声を絞り出して、何とか問う。しかし、
 「神田は、ほぼ菱川と僕と一緒にいたから、犯人じゃないね」
 一蹴された。確かに。
 「お前を殺して解毒薬を手に入れる手もあるんじゃないか!?」
 もちぎ先輩がもっともな事を言う。そうか、その手があった。
 「ご安心ください。解毒薬は隠してあります」
 そうか。その手があった。
 「ハッタリだろ!? カマかけて墓穴を掘るのを待ってるんだろ!?」
 おかだ先輩の声がうるさい。ものすごくねむいのに、とてもふゆかいだ。
 「いえ。それだと効果が確かめられないので」
 毛見川ぐらいおちついた声でしゃべってほしい。
 「効果、だと?」
 おかだ先輩が、殴りかかりそうな声でうなるけど、ぼくのまぶたはとっても重くて、せんぱいの方をむけない。
 「古くはベラドンナ。『真実の血清』と呼ばれたオオカミナスビ。チョウセンアサガオから抽出されるアトロピンの効果です」
 べらどんな。美女のイミだったかな。ベッラ。いたりあ語?
 「それって…?」
 だれかのこえがする。
 「神田くん、僕のことは好き?」
 けみかわのこえがやさしく耳にとどく。
 「返事に、困る…」
 けみかわのコトはきらいじゃないけど、こうどうがいつもよくわからないからな。
 「じゃあ、質問を変えよう。神田くん、菱川さんのコトは好き?」
 「うん…」
 そんなの、好きにきまってるじゃないか。ヒシカワがねててよかった。いや、おきてるほうがよかった?
 「恋愛対象として?」
 「うん…」
 けみあわ、はづかしいことおきくなよ。
 「じゃあ、そろそろ皆さんに真実を問いただすとしましょう」
 けみあわのこえがやさしくまどろみをさそった。

 ※ この短編小説はすべて無料で読めますが、お気に召した方は投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先にはどうでもいいあとがきしか書かれていません。

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。