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死合わせかい?
皆さん、こんにちは。幸せかい? 木賃ふくよし(芸名)です。
さて。先日、ここの記事にて、成功体験がなきゃ努力なんて続かない、という話をお送りしました。
ぶっちゃけ、
(´°皿°)」成功体験ぐらい
てめえで見つけろヴォケが!
って思うんですよ。ええ。
てめえは赤ちゃんかよ、と。
そりゃね? 努力するにも色んな才能がある。ツラくても続けられる才能。ツラさを感じない才能。ツラさを楽しさに換える才能。愚直に続けられる才能。
効率よく努力する才能。努力の方向性を間違えない才能。言い出せばキリがないぐらいの才能を要求される。
けど、ワタクシが知ってる限り、ツラくても続けられる才能がないから、必死に努力して続けてる人はいるんだよ。
ツラくて楽しくないから、泣きながら笑ってるヤツを知ってる。
努力の方向性を何度も何度も間違えて、それでも、もう一度始めるヤツを知ってるんだよ。ワタクシは違うけど。
そりゃ「成功体験がなきゃ努力なんて続かない」のは事実だよ。
でも、
(´・Д・)」それぐらい自分で探せ。
見つからないなら、見つける所から始めろよ。
走れとは言わん。道を間違っても、歩いてでも、目標地点を目指して歩く事が「努力」だろ。
なに? もう歩き疲れて一歩も動けない?
(´・Д・)」誰か休むな、
なんて言ったか?
休んだら、また歩き出せばいい。歩くのが嫌なら這ってもいい。転がってもいい。ワタクシはそう思うよ。
そりゃ中には足の速い奴もいる。何なら自転車に乗ってる奴や、自動車に乗ってる奴もいる。
だから何なんだ? それと比べても仕方なかろう? そもそも他人とは移動方法や移動速度も違うが、
(´・Д・)」目的地も違う。
そいつがパテックフィリップにアストンマーチン純白のメルセデス、プール付のマンション、最高の女とベッドでクリュッグドン・ペリニヨンを目指してるかも知れんが、お前さんはそれが幸せの到達点だと思うのかね?
誰かが遠い高い所に目標を定めてるなら、移動手段も速度も違って当然だろ。
お前さんには2本の脚しかない。走るのも得意じゃない。
だから、目的地を遠くに定めるな。
それだけの事だ。もし、思ったより早くに目的地に着けそうなら、もう少し先まで目的地を変更すればいい。
それをお前さん、
(´°Д°)」誰か俺を
車に乗せてけよ!
ってのは、ただの甘えだろ。赤ちゃんか? 赤ちゃんなのか? ベビーカーが恋しいのか?
断っておくが、ワタクシは努力なんて報われないものだと思ってる。
努力が100%報われるなら、
(´・Д・)」誰も
ズルなんかしない。
そして、ズルする奴は、それでも何にもしない奴よりは「ズルしてる」分だけ努力してんのよ。褒められた行為じゃないけどね。
「成功体験が欲しい」なんてのは、本当にただの甘えなのよ。
よしよしして貰わなきゃ何にも出来ないなんてのは赤ちゃんでしかない。
これも誤解なきように断っておきたいが、ワタクシゃ別に、
(´・Д・)」キミが何か
ふにふに言ったまま
努力しないでいても、
何にも困らないんだ。
だから別にキミに努力しろ、だなんて事は思わない。ただ、
(´・Д・)」ワタクシは
努力をして来なかった
ぐうたら人間なので、
努力の重みは知ってる。
そして、成果を期待しなければ、別に誰にでも努力は出来るのだ。違うかね?
更に、成果が1ではなく、0.1あるいは0.01、下手すりゃ0.001程度で良ければ、大概の場合において努力が無駄だなんて事はない。
そりゃ努力が仇になる事はある。何なら割とある。
(´・Д・)」しかし、
失敗ってのも経験なのよ。
要はゴールに向かって進み続ける「意志」ってのが「努力」でさ。
回り道もするし、迷いもするし、見失いもするだろう。だけど、それでも目的地には向かってるのよ。長い目で見りゃね。
それを斜に構えて「努力なんて無駄」って何もしなきゃ、千載一遇のチャンスなんて訪れる訳がない。
いや、訪れても見逃すし、見つけても掴めない。
出掛けさえすれば、5億円が当たる宝くじを拾うかも知れないが、引きこもってたらそのチャンスさえないのだ。
宝くじ自体が当たる確率は1000万分の1。それを拾う確率はその何分の1だ?
部屋に引きこもってても、風に舞った当選くじが窓から舞い込んでくるかも知れない。それは拾う確率の何分の1だ?
引きこもって、窓も閉ざしてたら、その確率は?
だからワタクシは、窓を開けた方がいいと思うし、部屋を出た方がいいと思う。
別に、引きこもった世界で幸せならそれでいい。だが、その割には、
(´・Д・)」ネットを通して、
世界に干渉したがってるよな?
って思っちゃうのよ。うん。
ま。成功体験なんてのは「窓を開けました。風が気持ち良かったです」程度でいいんだよ。
その小さな努力と小さな成功体験の積み重ねが「成果」だと思う。
風が気持ちいい。太陽が暖かい。飯がうまく炊けた。飯が美味かった。ワタクシにとっちゃそれで良い。
誰かにとって、何が幸せなのかは知らん。だから成功体験なんて自分で見つけるしかねえだろ、と。
さて。そんな訳でそろそろ本日の本題と行きたいんだが、
(´・Д・)」QOLと
いう言葉がある。
クォリティ・オブ・ライフ。要は生活の品質、ひいては人生の品質、という奴だ。
皆さんにとって、このQOLがどんな意味合いを持つのかは任せる。
ワタクシは単純に、
(´・Д・)」生活水準
に近しい意味で捉えている。別に他人と比べての生活水準ではなく、自分にとっての「暮らしやすさ」みたいなモノだと言うのがワタクシの解釈だ。
要するに、住みやすさ、過ごしやすさ、暮らしやすさ、生きやすさ。そんなもんだと思ってる。
(´・Д・)」つまりQOLが
高いに越した事はない。
(´・∀・)」そう思うやろ?
それがな? ワタクシはコロナ禍以降になって気付いたんだよ。
(´・Д・)」QOLを上げねば!
という想いを捨て、こんなモンでいいや、ってぐらいにまでQOLを下げたら、
(´°Д°)」結果として、
QOLは上がるんだよ!
要は期待値を低くすれば、達成が容易である、という事だ。
つまり、前述の話と繋がるのだが、自分の身の丈に合わせて、目標値を低く設定するほど、
(´・∀・)」幸せを
掴みやすいぞ?
という事である。とは言え、
(´・Д・)」ワタクシのレベルまで、
QOLを下げる事はオススメしない。
↑ 足の踏み場もない散らかった部屋で、毎日毎食カップ麺を啜ってる。
(´・Д・)」マジで。
※ この記事はすべて無料で読めますが、QOL再度引き上げのために投げ銭(¥100)してください。
なお、この先には謝罪が書かれています。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。