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オタクの天日干し
皆さん、こんにちは。だいたい人は皆、何かのオタク。木賃ふくよし(芸名)です。
えー。かつて、1980年代に「オタク」と言う言葉が作られましたが、それまで「オタク」はいなかったのか? いいえ。いました。いたんですよ。単に、
マニア
って呼ばれてただけで。
コレは私見ですが、ワタクシはマニアって言葉が好きで、家の一室が何かの趣味で埋め尽くされているような光景には憧れさえあります。
逆に80年代から登場した「オタク」は、主に「アニメ・漫画」のマニアであり、後に他のオタクは「〇〇オタク」と呼ぶ感じでした。
オタク的に言うと「ハカイダー」と言えばサブロウであり、レッドハカイダーやブルーハカイダー、シルバーハカイダーを意味しません。
ボクシングはボクシングであり、タイ式ボクシングを意味しません。オタクはアニメ・漫画オタクを意味したのです。それが時代とともにTVゲームや鉄道、アイドル、模型など内向的なインドア趣味を指すようになり、いずれ度を越した熱狂的なファンは趣味のカテゴリを問わず、〇〇おたくと呼ばれるようになりました。
そして、「電車男ブーム」あたりを境目に「脱オタク」や「オタクはピュア」という、元来の「オタクは気持ち悪い」のイメージに変化が生まれたと思っています。
この辺はこちらの記事にも書いてあるので、興味のある方はどうぞ。
で。ワタクシはマニアという言葉には好感触を持っていますが、オタクという言葉があまり好きではありません。
ぶっちゃけて言いますが、別にどんな趣味を持っていようと、そこに偏見はありません。ホラー映画であろうと、萌えアニメであろうと、ロリコンであろうと、屍体愛好癖であろうと。
ただ、その偏見とは関係なく、実体験で言うけど、
アニメ・漫画オタクって、
コミュニケーション
取れない奴が多いねん。
小学校の時は鉄道オタクに多かったけど、アニメ・漫画オタクは会話が成立しない奴だらけだったんだよな。
なので、ワタクシ自身が経験則としてアニメ・漫画オタクを忌避してる部分があるのは間違いない。
そう。コレはあくまで私見。
逆に若い世代と話すと、「オタク」は明るいイメージで、「マニア」って言うと怖い印象を受ける、なんて意見もあったりして、なるほど、言葉の持つヴィジュアルイメージの差は大きい。
いずれにせよ、ワタクシはアニメが好きな人を悪く言うつもりはないが、オタクと言うと「趣味に没頭するあまり、コミニュケーション能力が欠落した人」という定義付けがされている。
したがって、オタク=キモい、のイメージはワタクシに取って当たらずとも遠からずなのである。
先ほどのリンク先にも書いた話だが、宮崎勤事件によって「オタクの迫害」が、「宅八郎」の登場によってオタクは実に可視化される事となった。
これらに対しては諸説あるが、ワタクシに言わせれば、
オタクは昔からキモかったし、
オタク側はそれが
カッコいいと思ってた訳である。
わかりやすく言おう。オタクって言葉が生まれた当時、不良やヤンキーは人気があった。
山ほどヤンキー漫画は描かれたし、横浜銀蝿やナメ猫も大人気だった。
しかし同時に、「あんな馬鹿な格好」とか言われて、親世代や真面目なタイプには嫌われてたのである。
実際、不良のファッションしてる奴はろくでなしが多かったし。
要するに、ヤンキーファッションやヤンキーに憧れを抱く奴もいれば、嫌う奴もいた。
同時に、オタクファッションやオタクに憧れる奴も、嫌う奴もいた。それだけの事である。何も特別な事じゃない。
前述のリンクで書いたように、岩清水スタイル、岩清水イズムは憧れだったのではないか。
それが宮崎勤事件以降で、オタクが攻撃対象になった。それまでの「あいつら何か気持ち悪い」が具現化したのではないかと思っている。
そして、前述のリンクと内容が被るが、「宅八郎」の出現でステロタイプ化されただけなのではないだろうか。と、ワタクシは考えている。
したがって、オタクがオタクという言葉やカテゴライズで差別されているのではなく、言葉やカテゴリがなかっただけで、そもそも気持ち悪がられていた、と言うのが正解ではなかろうか。
ヒョロガリでも男らしい岩清水がカッコいいのは、他でもない。熱血ヒーローの対極であるヒョロガリは貧弱で軟弱で陰湿だというイメージだろう。
確かに、「宅八郎」をTVに出演させ、「共演者や視聴者に気持ち悪がらせる」という行為は、褒められたものではないかも知れない。
わざわざ裏山に行って、石をひっくり返して、その下に棲むダンゴムシやミミズを「気持ち悪い」と言って捕まえて日光に晒すような行為である。どう考えても褒められた行為ではない。
ただ、時計の針は元には戻せないのだ。起きた事件をなかった事には出来ない。
かつてオタクが迫害されていた事実はあるだろう。そして今もあるかも知れない。しかし、ダンゴムシやミミズを気持ち悪いと日光に晒す行為、コレを見て、「やめなさい。ミミズもダンゴムシも生きているんだ」という意見を出し、知らしめる効果もあったと思うのだ。
人間は馬鹿なので、過ちを犯すまで、それが過ちだと気付けずに過激化する。あるいは、気付いていても止めようがない。
戦争なんてそんな感じで始まっている。
「宅八郎」と言えば「とんねるず」の番組に出演していたが、同じステロタイプとしては石橋が演じた保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)というホモ役のキャラクタがいる。
ワタクシは単にとんねるずが好きではなかったので、そもそも好印象を抱いてはいないが、近年、アレがLGBTへの差別ではないかと問題になった。
まあ、昔から保毛尾田保毛男に限らず、ホモやオカマってのは漫画でもドラマでもネタ枠だったりした訳で、特別にとんねるずが悪だとは思わない。好きではないが。
しかし、コレがまさに「ミミズやダンゴムシも生きている」事を知らしめる行為だったのではないかと思う。
今の若い世代には信じられないかも知れないが、LGBTなんて言葉が出てくるより昔、同性愛者は普通に差別されてた。
ワタクシの時代にはもう表立って迫害されるなんて雰囲気はなかったが、充分に差別されてた。
それでもLGBTのタレントはTVに出てたし、それらが市民権を獲得する礎となったのだと思う。
オタクもLGBTも、隠れてひっそり生きてるから、干渉しないで。という意見はあるし、とても理解できる。特に権利なんざ要らないし、普通に隠れて生きるから、放っておいて欲しい。実にわかる。
しかし今の時代の自称「人権派」なんかの行動を見てると、裏山どころか、山奥の大きな岩をひっくり返してでも見つけて「気持ち悪いと迫害されている、可哀想な人がいる!」と叫びたがる連中だ。
それを考えると、望む望まざるに関係なく、文字通り日陰者ってのは、日光に晒された方が、未来の同胞のためには良い事なのかも知れない、と思うのだ。
それに、LGBTの人達を幾人か知っているが、彼らの中には「自分が異端である事を自覚し始めた時、タレントがLGBTである告白をしていて、それが心の支えになった」という体験をした人がいた。
要するに「自分が異端で孤独だと思っていたが、LGBTでいてもいいんだ」という指標である。
そう考えると、今は「オタクである」事を自称するタレントも多い。
LGBTほど深刻じゃないかも知れないが、オタクは「オタク」というカテゴライズされた事により、住処がある事や仲間がいる事を知って、助かった部分もあるんじゃないかと思うのだ。
(´・Д・)」 個人的には、LGBTやオタクってのがネタ枠にされてもされなくてもいい、称賛もされるし、笑い者にもされる、それが目指すべき場所だと思う。今はまだ遠いけど。
ただ、最後にコレだけ。
コレは勘違いしてほしくないが、オタクがキモいと言うのは差別だが、キモいオタクを沢山見てきたので、言う。
お前個人がキモいのは、
お前の問題だからな?
(´・Д・)」 あと、話の流れであって、オタクやLGBTをダンゴムシやミミズのように思ってる訳じゃないから誤解しないでね。
え? いや、お前個人のことは(以下検閲削除
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。