D.a.d.
いつもの事だけれど、アパートの鍵は開いていた。
「ただいま」
そう言って、玄関を開ける。
「おう」
とお父さんがくぐもった答える。こんな暗い道を歩いて帰って来たと言うのに、「遅かったな」の一言もない。アタシはホントに心配されてるんだろうか。
帰宅は、随分と遅くなった。こんな時間まで制服のままでいるのは、お母さんが死んだ時以来のような気がする。
学生鞄を起き、スカーフを外す。何と言う事はないけれど、それで随分と気持ちが楽になった。
壁にはまだ、前の学校の制服が掛けてある。
テーブルには、ビールの空瓶が3本。お父さんがお酒をやめれば、もう少しマシなアパートに住めるだろうに。
深呼吸ひとつの決意の後、
「お父さん」
とアタシが声を掛ける。
「ん、何だ。真紀」
きっちり一秒遅れて答える父。まだ、アタシの声よりも新聞とビールに気を奪われている。
「お父さん、昔、ココに住んでたって言ってたよね?」
おう。と答えるけど、生返事もいいところだ。多分、ウチの借金が1億円もあるって本当?と訊いても、おう。と答えるだろう。
「いつぐらいの話?」
続けざまに問うと、ようやくコッチを向いた。
「あ? ああ。ココに、うん。住んでたよ。20年ぐらい前かな」
まだ新聞を手放さない。TVに出てくるダメ親父の模範例みたいだ。
親父臭いランニングシャツを押し出すビールっ腹。脂気の多い、薄くなった髪の毛。
何処にでもいる、典型的な親父。
「20年前だったら、モテモテだった頃?」
アタシは、小馬鹿にするように挑発する。
「当ったり前だ。モテモテだ」
そう言って、また新聞に視線を戻す。
今でも、と言わないのがせめてもの誠意だろうか。だけど、そうは言うものの、お父さんが昔はモテたかも知れない事を、アタシは知っている。
今でこそ情けないおっさんだけれど、若い頃の写真を見た限り、間違いなく男前だ。
少々、濃い顔立ちである事は否めないけれど、いや、むしろホストでもやってそうなハンサムだと言える。
驚いたのは、その、写真の中の父が、動いているのを見たからだ。
「学校の、バスケ部の先輩にね、日高さんって言う人がいるんだけど」
「うん」
一秒遅れの返事。まぁ、いい。
「その人がね。誠治ってお父さんと同じ名前で」
「うん」
やっぱり真面目に聞いていない。アタシはそろそろ、用意していた爆弾を設置することにした。
「顔がね、びっくりするぐらいお父さんに似てるんだ」
「うん?」
その頓狂な声の後、お父さんはようやく、新聞を下げた。
そう。あんまりにも似ていた。若い頃の写真の生き写しだ。いや、写真を見ていなくても、父に似ている事がハッキリとわかるぐらいに似ていた。
それも、父がモテたなんて与太話を一瞬で信じてしまうぐらいに、日高先輩はカッコ良かった。
「お父さんに似てて、カッコ良かったか」
お父さんは、少々照れ臭そうに言う。トボケているのか気付いていないのか、アタシが聞きたいのはそんな事じゃない。
アタシは、準備していた言葉の爆弾に点火する。
「ねぇ、お父さん。生瀬って名前の人、知ってる?」
「いや」
やっぱり一秒遅れで答える父親。この一秒が単なる間なのか、思案なのか。今ひとつ判断しかねる。
生瀬と言う苗字は珍しいはずだ。知っているなら、もう少し反応しそうな気がしたけど、期待よりも薄い。
「その、日高先輩のお母さんが生瀬真紀子って言うんだけど。真紀の字がアタシとおんなじ」
ココまで言えば、さすがにわかるだろう。
それから数秒の沈黙の後、お父さんが口を割った。
「・・・ん。ああ。そう言うことか。その人とお父さんが昔の恋人同士で、その先輩がお前のお兄さんじゃないかと」
鈍いのか鋭いのか、演技なのかどうなのか。
「今日、写真見せてもらったんだけど、先輩とお父さんが、これまた、ちっとも似てなくてねえ」
今日、遅くなったのはそれが原因だ。ひょっとして、なんて話をしていたら、止め処なく続いてしまったのだ。
ひょっとしてどころか、顔の酷似、年齢や時期を考えると充分に可能性がある。
「それで、お父さんの隠し子だと」
「そう」
ジッと顔を見るけど、動揺は見えない。呑気なのか鈍いのか、隠してるのか忘れてるのか。それとも本当に無関係なのか。
「ははは」
大して面白くもなさそうに笑う父。顔を近付けて詰め寄るアタシ。
「どうなのよ」
父は、テーブルの上のビールをひょいとつかんで、一口飲んで、それからまだ一秒の間を空けて続ける。
「あのな。お前の好きなブラピと、若い頃のロバート・ブラックフォードもそっくりで隠し子だって騒がれたけど違ったぞ。ポール・オールドマンとヘイゼル・ブランドも言われたけど違ったな」
悪いけど、後半の二人は知らない。
「この場合の話をしてるの」
再びテーブルに置かれたビールを、取り上げるアタシ。お父さんの手がビールを求めて、少しだけさまよった。
仕方なくアタシの方を見るお父さん。それでも、まともに取り合う気はないらしい。
「お前の好きなソリマチと岩鬼晃一もそっくりだし、隠し子だって騒がれてなかったか? 結局は違っただろ?」
アタシが好きなのは竹之内だと言い掛けて飲み込む。お父さんのペースに嵌まっちゃいけない。
アタシはすぐさまに言い返す。
「ソリマチは岩鬼の隠し子よ。当人が認めたの知らない?」
お父さんの動きが止まった。
「え?」
用意したエグサンプルを否定された事で、父の内部に動揺が走ったのが見えた。こんな所で狼狽されても、今ひとつ確信には遠い。
「嘘に決まってるでしょ」
冷たく言い放つアタシに、やっぱり一秒遅れで返事する父。
「・・・そうか」
平静を装っているのかどうだか、新聞に目を落とす。
「で、どうなのよ」
問い詰めるアタシ。ようやく観念したのか、答えるからビールを返せ、と指でゼスチャーする。アタシはまだ返さない。シビレを切らしたのか、話し始める父。
「結論から言うと、違うな。お前がその先輩を好きになるのは自由だが」
思わず吹き出し掛けるアタシ。別に先輩とはそう言う関係じゃない。いや、確かにカッコイイと思ったのは事実だけれど。
「そんな話はしてない」
しかしまぁ、本当に隠し子だったりして、好き合ったりすれば、禁断の愛だ。
「お父さんとしては反対だな。いずれこんなおっさんになるぞ」
ここまで似てれば、確かに。先輩の未来図を想像したアタシは、思わず笑ってしまった。
つられて笑うお父さんにビールを突き返し、自分の部屋に戻る。
結局、隠し子疑惑は消えないまま、かと言って肯定もされないまま。そして、先輩と付き合う事もないまま。
ただ何のと言えど、自分も、娘の類に洩れず、あんな父親が相手でも、ファーザー・コンプレックスなのだと言う事を思い知らされた。
新しく出来た友人のよっちゃんに言わせれば、日高先輩は別にカッコ良くも何ともないらしい。
※ この記事はすべて無料ですが、面白かったら投げ銭(¥100)お願いします。ちなみに、20年ぐらい前に、短編漫画の原作募集に応募した作品です。
ここから先は
¥ 100
(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。