現世界グルメ『弁当』
美味いものが好きである。いや、考えても見てほしい。イギリスには食い道楽を賤しいとする文化があるらしいが、度し難い話だ。
我々は食わねば生きていけないのである。
特に食事は日に数回、まず必ず摂らねばならない。
しかも、人間が起きて活動する時間は限られている。つまり、数時間に一度、必ず訪れるイベントなのだ。加えて、一度の食事に掛かる時間を計算すれば、我々にとって食事がどれほど大事かは理解できるだろう。
つまり、日々の食事というイベントが少しでも楽しめるように環境を整える事は、むしろ生活品質の向上に直結するのだ。
だからこそ、そんなに食事ぐらいの事でムキにならなくても、ではない。食事ぐらい重要な事もそうはない、と言うのが持論である。
先日も、「熱すぎる料理など美食ではない」と公言し、物議を醸した。
また、「つけ麺の温度が適切ではない」と言い放ち、反感を買いもした訳だ。
「なに?最近、料理の温度に凝ってるの?」などと言われもしたが、違う。最近ではない。料理の温度には昔から随分と口を酸っぱくして言い続けているのである。
基本的に人間は愚かなので、とにかく何でもキンキンに冷やしたり、火傷するほど熱くしたりする傾向にあるが、実に愚かしい。
好みやシチュエーションに違いはあれど、料理たるもの、適温で提供される事が望ましいのである。
確かに、個人差で猫舌だったり腹を下しやすいなんて違いはあるだろう。
しかし、それでも「美味い」に求むる理想形があるように、料理の温度にもある程度の理想があるのだ。
よく、料理は出来たてが一番美味しいなんて言うが、あれは悪しき誤解ではないか。
料理たるもの、提供される瞬間、食べる瞬間にこそ、もっとも美味しくなるべきなのである。
例えば天ぷら。出来上がった瞬間が美味いと言うなら、揚がったばかりの高熱の油で火傷する訳だ。何もこんな極端な例を出さなくても、と言われるだろうが、油をしっかり切ってこそ、休ませて、表面温度が下げてこその完成である。
それだとサクサクとした歯触りが失われるなどと言う声もあろうが、上手に揚げればベストな状態を保てる時間は長い。
出来たてこそが至高なんて事はないのである。
そりゃ確かに、炊き立ての米は美味いだろう。しかし、それをお茶漬けにして食うとなると、米の柔らかさや米の香りが妨げになる。
つまり、提供される瞬間に、食べる瞬間にベストな状態であるべきなのだ。
その中で、もっとも重要なのが変化しやすく、ダイレクトに伝わる「温度」なのである。
そこに言及しない方がおかしい。なのに、提供する側も食う方も、温度には無頓着な人間が多いのだ。実に嘆かわしい話である。
そもそも人間は馬鹿なので、中庸やら適切を理解しない。理解しても守れない。だからすぐ両極端に走る。
料理の温度もだ。
だから何でもかんでも火傷するぐらいアツアツにするし、何の味も感じないぐらいキンキンに冷やす。
冷やすと塩味を除く、多くの味は感じにくくなる。果糖などは例外になるが、冷やすと塩気だけは強く感じるのだ。その味の変化も考慮せず、グルメを語るなど、それこそヘソで味噌汁を沸かすようなもの。
それほどに温度は重要なのである。しかし、赤ワインは常温で、などと言う都市伝説がまかり通るのが現実。日本の夏の常温でワインが美味いはずがあろうか。
しかも、多くの人は「ぬるい」「冷めた」温度こそが適温の料理に関して、想像が及ばないらしい。
そこに「弁当」という最適解があるにも関わらず、だ。
そう。弁当こそが「冷めた温度で最適」なのである。
これに関して、近年は「弁当が冷たいままなんて」「温められるなら温めるだろ」と答える人は多い。別に、これに異論を挟むつもりはない。
ないが、それは「温めなおす前提で作られた料理」に過ぎず、弁当たるもの「冷めてなお美味い」が弁当の所以であると考える次第だ。
電子レンジで弁当を温めるなんてのは、一般化を考えるとせいぜい50年程度の浅い歴史だ。いや、歴史が浅くても美味ければいいのだが、古来より携行食として培ってきた文化や美味への追求を軽んじる訳には行くまい。
弁当のおかずは、冷めてなお美味く、携行に適すものが選ばれている。
携行というのも、単に持ち運べると言うだけではない。雑菌の繁殖を防ぐ効果も考慮されている。
しかも冷めてなお美味いのは、塩分にも現れているのだ。塩分は雑菌の繁殖を防ぐ意味合いもあるが、かつての弁当は「肉体労働者」に不可欠だったため、強めの塩分が最適であり、なおかつ喉が渇いては仕事にならぬ。つまり、冷めて塩分を強く感じる方がより美味いのである。
生活習慣として成り立ったのか、考え抜かれたのかはわからない。
しかし、弁当は生活環境に馴染み、より彩りを、より美味を、より安全を目指して進化し続けているのだ。
近年の弁当用冷凍食品などは優れもので、凍ったまま弁当箱に入れておくだけで、昼には解凍されて食べ頃になっている、なんて仕組みもある。保冷の意味でも安全だ。
これらの理由から、温めなおす前提の弁当は、個人的に弁当とは認めない。無論、それを弁当と呼ぶ事に抵抗はない。
しかし、名前こそ弁当であっても、それは弁当は別物なのだ。商品のラベルとブランドのレーベルは同じだが違う。占いと科学、魔術と化学は出所が同じだが、別物になった。
携行食としての、冷めてなお美味い弁当と、おかずが沢山入っててお得な、温めなおす弁当は別物なのである。
そもそも、ほかほかの状態で提供される、持ち帰り前提の弁当など、それは単に弁当箱に詰めた定食でしかない。
「温めますか?」のコンビニ弁当も、温めるべきじゃない具材食材が温まってしまう。
正直なところ、揚げ物も温めなおすと油がギトギトになるし、それを緩和するレタスやキャベツまで温まっている。
別の器に盛り直して、なんて手間を掛けるぐらいなら、コンビニ弁当に頼る必要もないだろう。
少し話が横に逸れた気もするが、まあ、とにかく、熱くも冷たくもない料理の代表格は「弁当」であると言いたいのである。つまり、弁当の定番のおかずと言うものは、無理に温めたり冷やしたりする事なく、むしろそれが「美味い」のだ。
そして、もうひとつある。
つまみ。いわゆる「酒の肴」である。
そう。ナッツ、枝豆、するめ、ジャーキー、それから、スナック菓子の類は基本的に常温が美味い。
案外、常温で食べるものは、そこらじゅうにあるのだ。惣菜パンや菓子パンの類も、だいたい常温で食べるように設定してある。
こう言うと、惣菜パンはオーブンで軽く焼くと美味いぞ、とか、菓子パンは冷蔵庫で冷やすと美味くなる、なんて反論をする人も出て来るだろう。
それを言うなら、ナッツだってフライパンで炒った方が美味い。
湯搔きたて温かいの枝豆も美味いし、冷蔵庫でしっかり冷やした枝豆も美味いだろう。
するめやジャーキーだって、軽く炙って食う方が美味い。
おや? 言っている事が矛盾しているだって?
いやいや、何一つ矛盾してはいない。
提供する瞬間が最も美味くあるべきであり、食べる瞬間が最も美味くあるべきなのだ。
酒を飲みながら、つまみを食う。
この瞬間の主役は酒であり、つまみはその引き立て役になる。
つまり、ゆっくりと酒を楽しんでいる時に、ずっと美味いままでいられるのは、炒ったナッツではないのだ。
炒った木の実は確かに美味い。しかし、冷めるのは一瞬だし、冷めた後は油が回り、炒る前より味が落ちる。
要するに、温めない方が「ずっと美味いまま」だ。
ふうむ。まだ納得いかないようだから、これを最後に持ってこよう。
ローストビーフ。
熱いままだと肉汁が逃げるから駄目。温めなおすと火の通りが変わるから駄目。そもそも熱いまま食べるならステーキを食えばいい。
逆に、冷やしても駄目。肉を硬くしてしまう。
どうだろう。
火傷するぐらい熱くても仕方ない料理は「小籠包」
そして、熱くても冷たくても駄目な料理は「ローストビーフ」
料理の温度の話は、こんな所でどうだろうか。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。