恐るべき子供たち
皆さん、こんにちは。黒糖じゃん! 木賃ふくよし(芸名)です。
※ ジャン・コクトーに掛けた高度なギャグです。高度過ぎてわかりにくいかと思ったので、解説を入れました。
※ 自分で自分のギャグに解説を入れるほどキツいモノもないよね。
さて。いつも1~2個しか売れない、このnoteの記事が、ここの所2~3個売れてるんですよ。快挙です、快挙。
まあ、売れてる時はいわゆる、
鉄板 話
を書いてる時が多いんですよね。
※ 鉄板。硬い。つまり、確定していること。ギャンブルなどで勝ちが確定しているレースを「鉄板試合」と呼ぶ事から。
じゃあ、鉄板話を書けばいいんじゃない? とお思いかも知れませんが、こちらも毎日毎日書いてる訳で、そんな鉄板話は毎日毎日出てくる訳がありません。
誰に話しても絶対にウケる話なんて、半年に一回くらいあれば充分です。多い年も少ない年もある事でしょう。
ワタクシはもう50年近く生きてますから、50×2で、
(´°Д°)」 えっ? 100個もある?
書かなきゃ損じゃん!?
ってなりました。今。
(´・Д・)」 いや、実際は100個以上あると言えますし、50個もないとも言えます。
ひとつは、
思い出せているかどうか
です。
物心なんて保育園時代から付いていた人は少ないでしょう。面白い出来事も記憶していなければ意味がありません。
それに、忘れている事だって沢山あります。話の流れで思い出す事はあっても、常にポンと出てくるとは限りません。そうやって記憶の底に眠っている「鉄板」は沢山あるのです。
ふたつめは「時勢」でしょう。
昔だったら、
泥酔状態の飲酒運転で
田んぼに突っ込んでいった話も
大爆笑が掻っ攫えましたが、
今やったらドン引き確定です。
↑ 例であって、ワタクシの話じゃないですよ?
今その話をしてなくても、過去にそれを話した経験があればそれを掘り起こされて叩かれた小山田圭吾みたいなケースもありますし。
まぁ、彼の場合は対応をしくじった感はありますが、要するに「飲酒運転」「ヤンキー武勇伝」「男女関係の鬼畜行為」「過去の過酷な労働」なんかの話は、当時と価値観が変化しており、もはや笑えない話になっています。
内心でどう思ってるかまでは知りませんが、周囲が「うわぁ…」って反応をしてたら、その話は封印しなければなりません。
みっつめは「感性」です。
時の流れで変化するのは、前述した「世間様の感性」だけではありません。
そう。「自分の感性」も変化するのです。
わかりやすく言えば、子供の頃、腹を抱えて笑った出来事でも、今考えると、いったい
(´°Д°)」 何が面白かったの、、、?
と、自分でもドン引きする事は少なくありません。
自分が面白いと思っていない話を面白く語る事は難しい。つまり、これも使えない。
よっつめ。
表現方法の問題。
鉄板話には違いなくても、それを、
・口語で話す
・文章に書く
・ゼスチャーを交える
・イラストや漫画で表現する
では面白さの質が変わります。
例えば、関西人的に、
そこでソイツがブワァーって来て、
オレがドバァーってなる訳よ!!
そしたら皆がドドドドドドドって!!
って身振り手振り付きで大袈裟に話すからこそ面白い話がある。無論、話術や表情、文章力、構成力の問題もあるが、そのネタがどの表現方法に向いてるか、という根本的な問題は存在しているのだ。
どの表現でも面白いのが鉄板ではあるものの、「より面白い」を追求すると表現の選択は重要になる。
だからこそワタクシは、このnoteと、黒板とイラストを分けているのだ。
noteの鉄板。
黒板。
イラスト。
いつつめ。
思い出せない。
いや、それ1個目じゃん、と言われそうだが違う。
ひとつめは「話を思い出せるか」という事で、こちらは、
(´・Д・)」 コレってもう話したっけ?
である。
いくら面白い話でも、繰り返して聞かされたら誰でもイヤになる。当たり前だ。
そして、そのイヤになる人物は他人だけじゃない。
他ならぬ自分も飽きるのだ。
鉄板話は最初こそ、話せば話すほど練度が上がっていくが、凡人は一定回数から、自分が飽きたり疲れたり油断したりして、手を抜いてしまう。
自分が理解している分だけ、面倒になって、必要な情報を欠かしてしまったりする。
だからこそ、安易に鉄板頼りにするのは危険だと断言しよう。
(´・Д・)」 さあ、コレで実際に使える鉄板が非常に少ない事がわかりましたね?
実際にワタクシも書いたかどうか忘れて同じ事を2度書いたりしている。
逆に言うと、鉄板と思しきネタはとっとと全部吐き出して、過去の鉄板ネタに頼らないようにしたいとさえ思っている。
何故なら、
(´・Д・)」 この話、したっけ?
とアーカイブを確認する作業が恐ろしく手間なのである。
そう。既にこのnoteの記事は600ぐらいあるのだ。過去記事を毎回確認していたら、それだけで日が暮れる。黒板なら1000を超えてしまう。
だからこそ、ワタクシは日々新しい発見をして、新しいネタを書かねばと考えるのである。と言うわけで、
→ 新しいネタ。
そんな訳で先日、雀屋さんに植物園へ連れて行ってもらった時の話をしよう。
連れて行ってもらったのは、滋賀県の「みずの森」という植物園である。
名前から水草ばっかり集めてるのかと思ったら、意外とそうでもない。確かに、蓮を中心とした水草がメインなのだが、普通の陸生植物も沢山あり、かなり楽しめる。
まあ、時期が時期なので蓮が枯れまくってたり、土地が余りまくりである滋賀県の施設にしては意外と狭かったりもするのだが、この植物園の利点は、
水槽で水草と魚や水棲生物を見られること。
アクアリウム好きなら結構楽しめる───
かと思わせて、
メダカしかいない所だ。
いや、タナゴとかプレコとかエンゼルフィッシュもいるんだけどね? 基本はメダカしかいないのよ、メダカ。
あと、
川エビと、
タニシぐらい。
もっとフナとかいるかと思ってたんだけど、とにかくメダカしかいなくて笑う。
※ 隣にある琵琶湖博物館はフナ水族館と揶揄されるぐらいにフナだらけ。さしずめ、こちらはメダカ水族館。
※ 「琵琶湖博物館」は「博物館」です。
また、「みずの森」は「植物園」です。
そんな感じでメダカや水草を見て回ってたんですが、我々の前に家族連れがいたんですよ、家族連れ。お父さんとお母さんと、お母さんに抱っこされてる乳幼児と、おそらく未就学児の男の子。
(*´꒳`*) 微笑ましいな。
って見てたら、
男の子が突然、水槽を指差して、
(*⁰▿⁰*) 「お母さん!
タコがいる!」
って言い出して、
タコは… :(;゙゚'ω゚'): タコはおらんやろ…
って噴き出すのを必死に堪えました。
🐙 < 後で水槽を確認したけど、多分それはタニシだね!
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なお、この先にはその時のご家族の反応が書かれています。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。