不良たちはどこへ消えた?
皆さん、こんにちは。ヤンキーじゃないよ。木賃ふくよし(芸名)です。
ええ。よくワタクシ、勘違いされるんですが、ヤンキーじゃありません。昔も今もヤンキーじゃありません。ヤンキーだった過去もありません。ヤンキーでも不良でもないんです。
「昔はオレもワルでさぁ」
とか言いません。
だって、
(´・Д・)」 ホントに違うもの。
不良は美術部とか入らないし、文芸部にも入らないし。あ。部活に在籍してますよ、ってユーレイ部員で入る奴はいたけど。
ワタクシはただ単に、
不良が多い時代に、
不良が多い場所で
育っただけです。
周囲では謎の、
学校同士の抗争
とかあった訳ですが、それに関わった事もありません。
冷静に考えてください。関西人に生まれたら、全員が漫才みたいに面白い事を言える訳ではないのです。関西に生まれたら、全員が阪神ファンって訳でもないのです。多いけど。
関西人は皆、たこ焼き機を持ってる訳ではないんです。ウチにはあったけど。
単に、かつて不良がブームで、不良が量産され、特に不良が多い場所で育っただけなのです。
確かに、暴走族や酒タバコ、万引きやシンナーが日常的な場所で育ちましたが、だからと言って全員が不良な訳ではない。
無論、そーゆー連中が多いとモラルが全般的に低く、万引き、親の金をくすねるなんてのが非常に多かったりします。しかし、全員がそうではない。
他よりちょっと(?)モラルや犯罪に関する意識の低さが目立つだけです。
当時はベビーブームの爆発的人口が思春期、つまりは反抗期を迎え、熱血ブームへのカウンターとして不良が大流行。
横浜銀蝿やなめ猫など、不良・ヤンキーファッションが大流行。
積み木くずし、スクールウォーズ、不良少女と呼ばれて、などの不良ドラマが山ほど作られ、それ以上に「特攻の拓」「湘南爆走族」「ろくでなしブルース」などのヤンキー漫画、不良漫画がヒットし、二匹目のドジョウが粗製乱造された。特に少年マガジンで。
まあ不良ドラマは結局のところ、熱血ブームの名残なのか、最後には更生して幸せになるパターンなんだけども。
ヤンキー漫画は連載が続くと、最終的にはバトルもの、日常モノとか、ギャグ漫画、友情・人情モノに変化して行ったりする訳ですが、とりあえず、当時の日本には、
「男児たるもの不良であれ!」
みたいな空気があった。
無論、内包される教訓としては「男児なんだから反抗期ぐらいある! 体制に刃向かう気概ぐらい持て! 最後には立派な男になるハズだ!!」なんて無責任な教育があったと思うのだ。
何しろ親が全共闘世代のベビーブームだからな。
しかも、そうやって不良ブームが来て、大半の子供が不良になって手が付けられなくなった感じもありました。結局、数が増えて徒党を組まれると厄介なんですよね。割とマジで。
その潮目が変わったのは、個人的には1990年、神戸高塚高校校門圧死事件だったように思う。
この頃には世間はバブルで浮かれ、「不良」である意義を薄めつつあったが、それでも少年マガジンには不良漫画が数多く連載されていた。
ヤンキーの隆盛が衰え始めると、教師の権力が回復し、形骸化した校則がそれでも増え続ける傾向にあったのだ。
そりゃ、子供の側が人を殺す事件なんてのは昔からあったが、教師の側が「校則」によって人を殺めてしまったこの事件は、再び教師から権力を奪い、いわゆる学級崩壊を招いていったとワタクシは感じるのである。知らんけど。
その後、これでヤンキーが再浮上する訳でもなく、子供たちはバブルという豊かな時代に反体制の姿勢を取るよりも、浮かれる大人を尻目に、個人主義に移行していったように感じる。
無論、ヤンキーの代わりにチーマーだの何だの、半グレだの何だのと、形を変えて時代に合わせて脈々と漂流先は残っていくのだが。
こうして、いわゆる不良・ヤンキーは絶滅危惧種となる訳だが、それでもヤンキー漫画は絶滅していなかったり、親や祖父の影響でヤンキーに育ったり、意外としぶとく生き延びていると言える。
確かに多様性が求められる世の中で、「不良という生き方」に憧れる人がいる事は何の不思議もない。
だが、だとすると少なすぎやしないか?
あれほど隆盛を誇ったのに。1、2年のブームならまだしも、いまだにヤンキー漫画が連載されてるのに。
理由は色々考えられる。
時代じゃない。ブームじゃない。いや、そもそも子供の数が少ない。
バブル崩壊以降のシケた世の中やショボくれた大人を見て、反抗する価値もないと判断されているのかも知れない。
だが、作品として求めている人が一定数いる割に、なろうとする人はいない。
何故だ? いや、ワタクシはヤンキーになりたいと思わない人間だったので何とも言えないが、不良ファッションが未だに「カッコいい」なら、もっとそーゆー人種がいてもおかしくないのではないか?
コンビニの前でヤンキー座り(いわゆるウンコ座り)して、道行く人にガンをつけて回るヤンキーライフスタイルは、何故絶滅してしまったのだ?
ってな話をしてると、ヨシダさんが、
( ´∀`) そーゆー連中は、
みんな、
ネットに行ったんですよ。
って言い出して、
(´°3°).:∵ ブフォッ
ってなった。
うむ。確かにそうだ。と言うのも、ファッションやライフスタイルってのは常にリスクがつきものなのである。不良ファッションに限らないが、そーゆー服装をしてりゃ、そーゆー人物だと思われてしまう可能性が高い。
別にどんなファッションでも構わないが、会社員の営業マンがスーツを学生服みたいに改造してたら、客先の印象が良くなるケースは少ないだろう。
そーゆー意味では、昔の不良には最低限、「不良と呼ばれるリスク」を冒すだけの度胸を持ち合わせていた訳だ。
実際、ヤンキーを自称しているものの中にも、実際の喧嘩で殴り合った事もないって奴は山ほどいただろう。
特に武勇伝を語りたがる連中とか、そーゆータイプが多い気がする。
要するに当時から、周囲がみんな不良だから不良になったって連中は唸るほどいて、そこに本当は、魅力も信念も何も感じていなかったのではないか。
つまるところ、
流行っているから
乗っかっただけ。
って割合が多く、流行歌みたいに、いいと思って聴いてるんじゃなく、単に流行っているから聴いているって人口が多かったのだろう。
そう思うと、コアなファン層に支えられて、細々生き延びているヤンキー、という事になる。
逆に、何かもう、色々とこじらせて、誰彼構わず相手を見つけては、触るもの皆傷つける、
全然わかってもらえない
そんなに俺が悪いのか?
って連中は、コンビニではなく、
ネットでウンコ座りしながら、噛み付いてくる
ようになった訳だ。うむ。なるほど。
ネットで当たり散らすのは、不良スタイルと違ってバレないし、調子こいてリアルにブン殴られるケースも少ないだろうから、当時なら、
不良になる度胸さえ
持ち合わせてない
ヘタレでもなれる
のだから。あぁ、それであーゆーのがいっぱい湧いてるのか。
(´・Д・)」 なるほど。
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なお、この先には結局ワタクシがヤンキーなのかどうかって話が書かれてます。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。