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現世界グルメ『サツマイモ』


 人類を食糧危機から救う食材とは何であろうか。
 色々と言われたりしているが、やはり穀物と芋類、豆類は人類の食糧事情において相当な重要度を誇ると言えるだろう。
 日本人としては、やはり美味しさとプレーンさと保存性の高さから、米を推奨したい。
 プレーンであるがゆえ、色んな食材と合わせても美味しく、加工にも向く。しかも保存性まで高いのだから、無敵の食材だと言えよう。
 しかし、問題は栽培の難しさである。水が豊富な日本において、水田は完璧な組み合わせだが、世界的な地理・気候条件を考えると人類の食糧事情を救うには少々弱い。
 そうなると、世界市場で見て、荒地でも育つ麦やトウモロコシが強くなるのは当然と言えるだろう。なお、蕎麦も悪条件で育てられる利点を持つものの、米、麦と比べても、味の強いトウモロコシと比べても、プレーンな味と言うにはクセが強いため、万人受けは難しいと言える。
 また、豆類もかなりの貢献度だ。日本においては特に、大豆が味噌、醤油、納豆、もやし、豆腐、揚げ、きな粉、豆苗などと八面六臂の大活躍だ。
 世界的に見ても、トルコ料理などは豆料理の博物館とも言えるほど様々な種類、調理法で食されている。
 乾燥豆、缶詰などの加工・保存にも適しているし、穀物よりも短いサイクルで栽培しやすいのも利点だ。
 そして、もうひとつが「芋類」である。
 保存性では穀物に引けを取るものの、栽培サイクルの速さは穀物以上。収穫量で見ても相当だ。
 味はプレーンで、様々な料理や加工にも向く。何と言っても、相当な土壌や気候の条件でも育つ点は大きい。
 日本では「米」+「おかず」という食事スタイルが定着している為、活躍の場が限られるものの、湯掻いて潰したポテトにチーズやソースを掛けるだけで、主食の役割も果たすのである。
 ジャガイモやキャッサバ芋、サトイモや山芋、こんにゃく芋など種類も豊富。
 この中で、今回注目したいのはコレだ。
 「サツマイモ」
 ここでハッキリと言っておくが、サツマイモは夢の食糧である。
 荒地でも育ち、保存性が高く、生産サイクルも速い、加工にも向き、安価。この芋の特性に加え、糖度が高いという特性を持つ。
 その糖度の高さたるや、加熱前でも10を超し、その甘さはレモンやスイカに勝る。
 そして驚異的なのは加熱後の糖度。その糖度は30を超える。南国フルーツのパイナップルでさえ糖度が15前後。どれほどなのかはご理解頂けることと思う。
 もっとも、糖の種類や酸味とのバランスもある為、糖度が高い=甘いと言う訳ではない点には注意して欲しいが、サツマイモの甘さは誰もが知る所であろう。
 高級ブランド物のフルーツにさえ勝るほどの糖度を持つ芋。この栽培が荒地でも可能と言うのは脅威と言う他ない。
 ちなみに高級ぶどうの糖度は20ほど。ブランドさつま芋の最高糖度は40を超え、最高級品ともなると70を超えると言うのだから、フルーツ以上である。(高級甘口ワイン用に使用される貴腐ブドウの糖度でさえ60)
 甘さ、量、速度、保存性、味、生産性。全ての点において弱点のない食糧。
 実際、飢饉の際にサツマイモがあった事で餓死者を出さなかったと言う奇跡の食材がサツマイモだ。あまつさえ、サツマイモの蔓も食用に出来る為、この点も含めると更に無敵の食材と言えるだろう。
 それがサツマイモなのである。これを夢の食材と言わずして何とするレベルだ。
 だが、このサツマイモにはどうしようもない欠点がある。それは、

 「料理に向かない」


 と言う、食材として、あまりにも致命的な欠点を抱えているのである。
 いや、サツマイモ料理は美味しいだろう? という反論はあるだろうが、その意見に対して異論はない。サツマイモは美味しいし、サツマイモ料理も美味い。そこに何の文句もない。むしろ歓迎だ。
 だが、そのサツマイモを、どれほど食べられるか? という点を問いたいのである。
 サツマイモの天ぷら? 美味しいとも。だが、何枚食べられる?
 煮付け? 美味しいさ。しかし、どれだけ食べられる?
 サツマイモご飯? 大好きだ。ところで、どれぐらいの量を使用した?
 サツマイモの味噌汁? 素敵だね。じゃあ、それを何食続けて食べられる?
 サツマイモは美味しい。サツマイモ料理も美味しい。しかしながら、食べ続けるには全く向かないのだ。その最大の個性である「甘さ」が、連続で、多量摂取に向かないのである。
 煮物に使っても美味しい。しかし、アクセントとしての甘さが煮物としてのサツマイモの役目だ。大量に使用できないし、大量に食えない。
 甘味を活かしてデザートに? 例えば、サツマイモの定番デザートとして、ベイクド・スイートポテトを作ったとしよう。一体それで何本のサツマイモが消費できると言うのだろう。そして、それをどれだけ食べ続けられるか。
 割と無理なのである。
 正直なところ、甘味とバターを足していないだけ、ジャパニーズ・ベイクド・スイートポテト、すなわち普通の焼き芋にした方が、簡単で量も消費できるのだ。
 甘味を足す調理法としては、大学芋の方が、意外と量は食べられる。
 特に、できたての熱々を食べて、後に冷やした大学芋を食べる、と言うような消費方法の方がまだ飽きない。
 案外、他に続けて食べられるのは「干し芋」だったりするが、これも「おやつ」か「つまみ」で大量消費とはいかないだろう。
 そう。サツマイモは最大の魅力である「甘さ」ゆえに、料理に不向きなのである。せっかくの魅力の安さで大量購入しても、持て余すのがサツマイモなのだ。それほどにサツマイモの甘さは消費に向かない。
 更に、サツマイモ農家はサツマイモの地位を向上すべく努力と研究を重ね、高級ブランド種としてのサツマイモを開発した。
 安納芋、鳴門金時、紅はるか、紅あずま、シルクスイート、、、
 そう、サツマイモは甘く、糖度を上げる事でそのブランドを確立していった。
 確かに美味い。素晴らしい美味しさだ。しかしそれでは、余計に消費量が減るだけなのである。
 ちなみに、サツマイモと言えば、薩摩名産。現在の鹿児島県のことだ。
 とある機会で知り合った鹿児島県人と話した際に、餅は餅屋だとばかりに、サツマイモの消費方法について尋ねてみたのである。
 「鹿児島の人は、サツマイモをどうやって大量消費するのでしょうか?」と。
 すると、その鹿児島県人は考えた様子もなく、即答した。
 「焼酎にするとか?」
 その答えに全身から力が抜ける。違う。そうではない。確かに大量消費できるが、そう言う事ではない。
 「いや、そうではなく、一般家庭でのサツマイモの調理例とか、、、」
 食い下がって尋ねると、少し困ったように、こんな答えが返って来たのである。

 「あんまり食べないですね。
 農家さんから貰ったりもしますけど、
 持て余しますし」


 これ以上に脱力する回答があるだろうか。サツマイモの名産である鹿児島県でさえ、サツマイモは持て余すらしい。あまつさえ、

 「と言うか、
 持て余すから、
 焼酎にするんですよ」


 という、あまりにも、あまりにも当然でストレートで納得せざるを得ない答えが出されてしまったのである。
 何と言う事だろうか。
 言われてみれば、確かにそうだ。筆者はそうめんの名産地で育ったが、お中元で食い切れない程のそうめんが届いたりする。持て余すし、基本的には、わざわざ自分から買ったりもしない。
 それなりに食べ方のバリエーションも知ってるし、模索もした。別にそうめんが嫌いな訳ではないし、美味しいとも思う。だが、「そそられない」のだ。提供されれば美味しく食べもするが、「やった! そうめんが出て来た!」という気分にはならない。
 おそらく鹿児島県人にとって、サツマイモはそんな位置付けなのだ。
 そう。そうやって持て余してるから焼酎の原料にされるのだ。そして、芋焼酎は美味しいし。
 だからコレは異世界の話だ。だが、今からでも実現できない訳じゃない。
 サツマイモは、甘くない方向へ品種改良すべきだったのではないか。
 何なら、蔓をもっと一般野菜として食べられるように品種改良すべきだったのではないか。
 そして、もっと少ない水でも、もっと荒れた土地でも、もっと手間を掛けず、もっと素早く育つように品種改良して行くべきだったのではないか。
 そしてそれは、世界の食糧事情を救う一手になるのではないか。
 別に、甘いサツマイモが間違っている訳ではない。甘くないサツマイモが正しい訳でもない。二足の草鞋で歩む事も可能でしょう。
 だからこそ、これは決して異世界の話ではなく現世界グルメとして、サツマイモの美味しさや消費方法、品種改良について考えていきたいと思うのです。
 最近の若い人とか食ってるのかどうか知らんけど、芋の蔓のきんぴらとか美味しいんですよ。ええ。

 ※この記事はすべて無料で読めますが、サツマイモ好きも、持て余す人も投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先にはサツマイモのライバルについての話しか書かれてません。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。