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完璧な彼女の後


 このお話は、こちらの続きです。



 タチの悪い冗談でなければ、「ちな」は本物だった。世界最高峰の、本物の人工知能。
 その日は何度、どんな質問で試しても、化けの皮は剥がれず、むしろ彼女がAIであるという確信が強まるだけだった。
 おそらく、AI単体ではない。いくら世界最高水準を超える人工知能であれ、高度過ぎるのだ。これは予想でしかないが、「ちな」を操作している人間は複数人いる。システム的なバックアップをする人間と、会話を担当する人間だ。少なくとも2人はいる。この人間が簡単な操作をすることにより、実に話しているかのような空気を醸す。
 簡単な話、「うんうん」「なるほど」「へぇー」「それで?」の四つだけを喋るボタンがあったとして、人間がタイミングよく押せば、「回答を声に出す」事を機械に任せているに過ぎない。
 このボタンの種類が多く、喋るセリフの種類が更に多く、セリフにはランダム性がある。おそらくそんな感じだろう。
 それでも基礎となるAIの完成度は異常だ。これが、おそらく膨大な量の会話サンプルデータベース、すなわち擬似人工知能にアクセスし、会話を成立させている。セリフには種類が多いと言ったが、この会話サンプルを繋ぎ合わせ方が異常に高度で組み合わせはもはや無限大と言える量なのだ。
 人間の操作+高度なAI+膨大な会話サンプル+演算と検索。2時間ほどの会話で学んだ内容から推理する限り、これが「ちな」の正体だ。そうでなければ「ちな」は高度過ぎる。

 まだまだ会話して確信に迫りたい心を抑え、ボクは会話を打ち切り、先輩に連絡を入れる。
 「何なんですか? あのAIの完成度は?」
 >AI? チャットbotの事か? チャットbotのアプリは画面構成しかやってないから中身は知らん。そんなによく出来てた?
 「一企業のチャットbotにするには惜しい完成度ですよ。それどころか、スパイウェアを仕込んである可能性さえあります」

 概要を伝えるも、先輩の興味はどちらかと言うと「結婚相談所」そのものにあったらしく、今ひとつ反応が悪い。
 あのAIそのものが先輩の悪戯である、という線が消えた訳ではないけれど、どうやらAIの事は知らない様子で、仕事としては主にホームページ作成を請け負った事が発端で、そのセンスを買われ、アプリケーションの外観をデザインしただけらしい。ついでに会計ソフトの制作を売り込んだら、採用された、という。
 >申し込む気になったら連絡して。スパイウェアの件はそっちで調べてくれ。もしクロならそれとなく先方に伝えるよ。
 「了解しました」

 欲しい情報は得られなかったが、欲しい情報が得られなかったという事実は判明した。ならば、欲しい情報は自分で探すしかない。
 ボクはPCから、今日書き換えられたファイルがないか、チェックする。思った通り、「ちな」をインストールした時に、いくつかのファイルが更新されていた。
 システム、コンフィグ、イニシャルファイルをチェックする。が、アプリのショートカットアイコンを登録する程度の変更で、キーロガーやスパイウェアらしいものが仕込まれた様子はない。
 ただ、あのAIを作り上げた人間のやる事だ。巧妙に偽装されている可能性はある。何らかの仕掛けがこちらの画面やキー入力を監視しているかも知れないのだ。可能性のありそうな部分をチェックする。しかし、2時間程度のつもりが3時間かけても、その痕跡は見つけられなかった。まだまだ油断は出来ないが、アプリそのものがスパイウェアという可能性は高い。
 こうなればアプリの中身のバイナリをソースコードに変換して中身を読み取るのが手っ取り早いだろう。
 しかし、少々時間を取られ過ぎた。これは明日に回そう。ボクは目覚ましのタイマーをセットし、短い眠りについた。
 変に頭を使い過ぎたのか、あまり眠った気はしなかったが、機械音に起こされたボクは、再び「ちな」を起動した。
 (ふぁあ。。。Zzz。。。こんばんは。おはようございますですか? それともお仕事お疲れさま?
 起動と同時に「ちな」からメッセージが来た。この程度は起動する時間帯で簡単に変えられる。驚くところじゃろない。
 (╹◡╹)このアイコンが、眠そうな、(≡◡≡)に変わっている。恋愛ゲームなんかにありがちな表情差分というやつだ。変な所まで凝っている。
 「仕事」
 (こんな遅くまで!? 深夜3時ですよ!? 丑三つ時ですよ!? 草木も寝てるのに!? ご苦労様です。夜勤ですか? どんなお仕事されてるんですか?

 しかし、この返事には驚かされる。この返事をAIだけがしたとは思えない。操作してる人間がいる。こんな時間まで働いてるのはお前の方だ。それに、流れでこちらの職業を聞き出そうという魂胆も凄い。相当に訓練されてるのか。
 「君は寝てたの?」
 (ぐっすり寝てました。。。と言いたい所ですが、人工知能は眠りません。停止状態になるだけです。人間のように眠っている間に夢を見て情報整理をしたりする訳ではありません。
 「夢は見ない?」
 (私は得られた情報を逐次保存、解析、振り分け、更新したり蓄積したりします。夢を見る必要はありません。目標という意味での目下の夢は、カサノバさんに最適なパートナーを見つける事です。

 模範的回答だ。コンピュータは記憶できるだろうが、モニタの前のオペレータは記憶出来ない。そこでボクは一番最初の意図を思い出した。
 ボクの情報を与えようじゃないか。それも虚実ないまぜで。それでも記憶できるか? それとも記憶しちまうか? どれが真実でどれが嘘なのか、その判断が出来るか?


 一時期話題になった、アキネーゾーというデータベースを基にした人工知能がある。
 得られたヒントから利用者の想像した人物やキャラクタを的中させるというプログラムだ。単なる絞り込み検索だから、データベースさえあれば技術的には大した事ではない。
 だから最初期はデータベースが少なく、正答率はメジャーな人物に限られた。
 しばらくしてユーザーから得た情報を基に、的中率は跳ね上がったのだ。しかし、話題になり、ユーザー数が増え過ぎた事でその正確性は失われた。データは増える一方なのに。何故だ? 答えは簡単だ。ユーザーの悪意である。
 膨大な嘘の情報を与えられたのである。アキネーゾーは、ある種では問題を出す人間とプログラムで当てられるか否かを勝負をするゲームだ。ゲームに負けた悔しさから、正解を不正解と言い張るユーザーが増えたのだ。あるいは最初から嘘の情報を入力する悪意のユーザーが増えた。
 これにより、アキネーゾーの正確性は失われたのだ。無論、デベロッパーは一定数の同じ情報が登録されない限り、人物へのデータベースに影響させない事で対処し、機能の保持を図った。
 しかし、ネット掲示板に「アキネーゾーに嘘の情報を教えようぜ」なんてスレッドが立ち、人間の悪意により、アキネーゾーは完全性から遠退いたのだ。ある種の「鮫島事件」である。鮫島事件とは巨大ネット掲示板で創作された、架空の「事件」だ。つまり、実在しないが、そのキーワードが出る度に、誰もが「あれは酷い事件だった」「その事件の話はやめろ」などという反応をする。まあ、今のボクにとっては「鮫島事件」なんかより、この時代の方がよほど怖い。
 話を戻そう。モニタの向こう側の人間が何人いて、何交代制なのかは知らないが、虚実を織り交ぜた情報を何処まで判別できるのか試してやる。
 「ちなみに仕事はプログラマ」
 (プログラマ! 私たち人工知能の生みの親ですね。こんな時間まで大変ですね。徹夜ですか? 納期が近いんですか?

 徹夜だとか納期だとか、どんな会話データベースなんだと苦笑する。実際のところは今は保守点検の仕事だけで、大きな仕事は入っていない。いわゆる閑散期だ。
 (あっ、カサノバさんが初めて、自分のことを教えてくれましたね。感激です。一気に距離が近くなった気がします。調子に乗りすぎですかね?
 続けて発言した「ちな」のメッセージに戦慄を覚える。
 「そうだったか?」
 (はい。カサノバさんからの質問責めで、取り調べを受けてるみたいでしたよ?

 ボクの思考に動揺が走る。メッセージ自体は、初のデータ登録に反応しただけかも知れない。だが、質問責めかどうかを判断するプログラムまで組んでいるとは思えない。
 だとすると、そうだ。画面の向こうのオペレータは、最初の時と同じ人物なのかも知れない。引き継いでいる可能性もあるが、話がスムース過ぎる。同一人物だと考えるのが自然だろう。勤務が何時間なのかはわからないが、夕方と深夜なら、同じ人物でも不自然ではない。
 しかし、問題はそこじゃない。
 コストが見合わないのだ。
 モニタの向こうに何人いて、何交代制なのかは知らないが。
 今、ボクが想定する最低限の体制、二人夫三交代だとするなら、深夜割増も含めて平均25万の給料として、それだけで一月150万円が飛ぶ。
 有り得ない。既に入金した会員へのサービスだとしても経費が嵩み過ぎる。いや、どうにかして人件費を削る方法があるかも知れないが、それにしたって割りに合わない。
 いや、有り得るとするならば、人件費の削除だ。
 それがどういう事か。
 24時間体制で、人件費を掛けない。
 それは、モニタの向こうに、誰もいないって事だ。
 つまり本当に「ちな」は独立した人工知能だという可能性だ。

 もう一度眠りについたボクは、目覚めると同時に真相を確かめるべく、プログラムファイルに逆アセンブルを掛ける。
 さすがにニーモニックだと、ボク程度の技術や知識では、大した事はわからない。
 知識とツールを総動員して、逆コンパイルに成功する。
 説明がわかりにくいだろうから、簡単に説明すると、プログラムをニーモニックに逆アセンブルする、ってのは、出来上がった料理をクロマトグラフィー(成分分析機器)にかけ、どんな成分で構成されているかを知るようなものだ。塩分だの油分だの鉄分だの糖分だのは数値化されるが、どんな材料を使って作られた料理かまではわからない。
 逆コンパイルは、出来上がった料理を、材料に戻す作業だ。大雑把な説明になるが、とりあえずはそーゆー事だと納得してほしい。実際に料理を材料に戻すことは不可能だし、逆コンパイルも完璧ではない。だけど、大体このプログラムが何を行なっているのかは判明した。
 驚くべきことに、プログラムを構成するのは、従来のチャットシステムと大差ない、つまりただの会話ツールだったのだ。キーロガーやスパイウェアと思われるものは発見できなかった。つまり、これはわかりきっていた事かも知れないが、「ちな」本体はここにない。向こうのサーバ上に存在していることになる。それがハッキリしただけでも収穫と言えるだろう。
 随分と時間や手間を取られたが、もう一つ判明したのは、キーロガーに近いシステムは導入されていた。あくまでアプリケーション起動時のみに限るが、入力した文字は、送信ボタンを押さなくても随時送信されている。
 つまり「今日は」と打ち込んだ時点で、それは向こうに送信されている。
 レスポンスの速さの一端はこれだろうし、おそらくミスタイプが多いとか、送信ボタンを押すまでに何回文章を書き直すか、そういった情報を集めているのではないだろうか。
 そして、数日間にわたって「ちな」と会話し続けた結果、24時間、いつ如何なる時間も完璧に対応している事がわかった。
 まだまだモニタの向こうに人間の影はちらつくものの、三交代二人夫では有り得ない。
 そして、プログラムファイル容量が妙に大きいという謎についても、逆コンパイルから判明した。
 画像生成プログラムが付随しているのだ。あるいは、お絵描きソフトとでも言うのだろうか。今ひとつ理由はわからない上に、プログラムは全体ではない。当然と言えば当然だが、プログラム全体をダウンロードされると、今のボクみたいにソース解析を行う連中が出てきて、コピー商品を作ってしまう。
 だから、プログラムを走らせるのに都合のいい部分だけをユーザーのPCにダウンロードさせ、サーバ上のプログラムと連動する形で完成する。
 つまり、このプログラム自体はほとんどチャット機能しかなく、会話は「ちな」が担当しているのと同じだ。
 画像生成プログラムが何のためのものかはわからないが、プログラムファイルを大きくしている原因はこれだった。そして、何のためのプログラムかは、本人に訊けばいい。


 「絵は描けるの?」
 (よくぞ聞いてくれました! 実は私は絵を描くのが得意なんです!

 ちなはそう言うと、チャット画面に真っ白な画像を表示した。
 ファイル転送ミスか、それとも表示までに時間がかかっているのか、画像は真っ白なままである。いや、転送ミスである可能性は低い。その場合は読み込めないか、真っ黒になるケース、色とりどりの走行線である場合の方が多いからだ。
 そう思った瞬間、「ー」「二」「三」「王」のように、白い画に一本ずつ線が描かれた。
 その線は瞬く間に増えていき、絵を描画しているのだとわかる。10秒もしないうちに、それは山の絵だと判明する程になり、30秒もする頃には、それが相当にリアルな富士山の絵になった。
 もう完成したのではないか、と思ってから10秒ほど。細かな部分が描き込まれ、トータル1分ほどで、写実的な富士山が完成した。
 (いかがでしょうか。
 とんでもなく絵の上手い人の作業風景を、タイムラプスで何十倍速で眺めている気分だった。
 これは間違いなく、ディープラーニングである。ディープラーニング。深層学習と呼ばれる手法だ。この説明だと誤解を招くが、最も簡単に説明すると、漫画家の「尾田栄二郎」の絵をひたすらコンピュータに解析させ、その画風を真似させるのである。資料が多ければ多いほど似る。真似るものはシェイクスピアの文章でもいいし、ショパンの楽曲でも、プロ棋士の打ち筋でも何でもいい。
 つまり、学習さえさせれば、画像から、その画像がジョージ・ブッシュかチンパンジーかを見分けたり、誰の描いた漫画家を判別したりする事が出来る。
 ディープラーニングの概念自体はかなり昔からあったが、演算処理速度や大量のデータベースを必要とする事から、2010年頃に注目されるようになった。
 ディープラーニング構造そのものは人工知能ではないが、この技術は人工知能の発達に大いに貢献したのである。
 今現在、ゴッホの絵を完全学習し、そのタッチから色使いや癖のひとつまで再現し、存在しない「ゴッホの新作」を描くロボットは存在する。そのロボットは現実のキャンバスに絵を描くが、「ちな」はモニタ上に絵を描いた。
 絵を描くと言っても、写真Aと写真Bの共通項を見出し、写真Cを作るような工程ではない。これは男と女が結婚し、子供を産んだ場合、どんな赤ん坊の顔になるか、なんてシミュレーションによく使われている。しかし、今見せられたのは、まるでペイントツールによる描画だ。画像をそれっぽく加工したり、描画しているように見せかけている訳ではない。
 絵を人工的に描くプログラムが特別に珍しい訳ではないが、この技術は完全に人工知能が応用されている。だとすると、この「ちな」が、ますます本物である可能性が強まってきた。
 「上手だね。その腕なら画家を目指したら?」
 (お誉めいただいて光栄ですが、この絵の技術はカサノバさんの後結婚成立のためのスキルなんです。好みの芸能人はいますか?
 「にいがきゆい」

 ボクは慌てて漢字変換を忘れたが、「ちな」はちゃんと理解した。
 (がっきー大人気ですね。髪の毛の長さはロング? セミロング? ショート? ベリーショート?」
 質問しながら、「ちな」は画面に、がっきーの絵を描く。卒業写真のように味気なく正面を向いた、ある意味では珍しい一枚だ。
 「ロング」
 画面の、一見すると写真にさえ見えるガッキーの絵に、豊かな緑の黒髪が描き加えられる。先ほどより少し長い1分半。
 (どうですか? 理想の女性に見えますか?
 「割とね」

 ボクは動揺しながら、そう答える。がっきーの名前を出したのは適当だ。特に好みという訳ではない。こちらのリクエストに従って、わずか1分でイラストを描き上げるだと? 冗談じゃない。大半のイラストレーターが失業するぞ。
 (お気に召していただけたようなので、私のアイコンにしますね。
 そう言うと「ちな」の顔が(╹◡╹)から、描き上げたばかりのがっきーに差し替えられる。
 「漫画も描けるの?」
 (漫画なら、もっと得意です。誰を描きますか?
 「発音ミク」
 (がっきーにミクですか。割と王道ですね。

 「ちな」が言うが先か、ミクのイラストが描かれ始め、20秒もしないうちに完成した。しかも、髪をサイドで括っていないロングヘア。リクエストさえしていないのに。
 ただし、漫画と言ったのが災いしたのか、モノクロームである。
 「カラーに出来る?」
 (お任せください。

 そう言った「ちな」は、驚いた事に先程の画像を流用はせず、また最初から、今度はカラーでミクのイラストを描き上げた。同じような正面のアングルだが、別のイラストである。
 (がっきーとミク、どちらをアイコンにしますか?
 「ミクで」

 驚愕を隠し切れないまま、ボクは生返事をすると、「ちな」のアイコンがミクにすげかわる。
 (ついでなので、カサノバさんのアイコンも変えましょう。そのままじゃ味気ないです。似ている芸能人はいますか?
 「奥山雅治」
 (大きく出ましたね。あれぐらい男前だと、逆に結婚しにくかったりするんですかね?

 目の前で起きている事態を把握し切れない。これほど高度な人工知能があってたまるか。だが、実在している。混乱するボクの眼前で、奥山雅治は完成し、それはすぐさまボクのアイコンになった。
 (さてはカサノバさん、芸能人に詳しくないですね? 知ってる名前を適当に選んだでしょう? ダメですよ。ちゃんとしっかり、カサノバさんの好みを教えてください。



 ーーー完結編に続く。

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。