現世界グルメ『アチ=アチ』
さあ、アツアツの料理を召し上がれ。
こんなキャッチコピーは、これまでに飽きるほど使われてきた。そして、飽きられていない。すごい。
そう。寒〜い冬に、アツアツの料理。
心も身体も温まる。人が恒温動物であれ、寒い時に暖を取りたいのは当然のことで、それは外部からも内部からも同様である。
正確に言えば、食事を摂れば温かい料理でなくとも、食事を取れば内臓が活発に動くため、自動的に体温は上がる訳で、料理が熱々である必要はない。
そう。誤解されがちだが、冷たい食べ物には体温を下げる効果などない。食べ物を摂取すれば代謝が行われ、体温は上昇するのである。
私は専門家ではないので、食べ物が温かければ、より体温が上昇するのか、それともしないのかは知らない。
逆に冷たければ体温の上昇は少ないのか、それともより上昇するのか。その答えは知らないのだ。
こう言うと、そりゃ冷たい方が体温は上昇しないだろ、と思う人はいるかも知れないが、冷静に考えていただきたい。
内臓、胃の中の温度を考えてみよう。内臓温度なので、我々の皮膚で計測する温度より少し高い38度前後で保たれている、と言われている。
この温度より極端に熱いものや冷たいものが入ってきた場合、内臓温度はその温度を保たなければならないので、冷たければ過度に働き、熱ければ胃液を多量に分泌する、のような形で、おそらくは余計にカロリーを消費するはずだ。
つまり、おそらくは38度より熱くても冷たくても、胃の活動は活発になり、体温を上げる事になるのではないだろうか。
これはエアコンの話になるが、寒い室内を温めるのと、暑い室内を冷やすのではどちらが電力を消費するだろうか。
冷静に考えればわかるが、温度が上がるという自然な現象に対し、よりエネルギーを消費するのは、熱いものを冷やすという不自然な行為である。
なので、夏場の方がエアコンの電気代が高くなる、かと言うとそうではない。
真夏の外気温が40度だとしても、25度まで下げるとしたら、埋めなければならないのは15度。
逆に、外気温は氷点下まで下がる。0度だとしても、27度にしようとしたら、27度も上昇させなければならない。
すなわち、冷却に必要なエネルギーが温めに必要なエネルギーの倍ほどでようやく同等の電力となる計算になる。
まあ、これはエアコンの話だし、実際に人間は、一度に大量に熱すぎたり、冷たすぎたりするものを食べる事は出来ない。
それに、胃に運ばれるまでの間に、温度は内臓温度にならされるし、胃の中の温度や胃液の温度もある訳だから、そう極端な事にはならないだろうが。
とは言え、熱いお茶を大量に飲む事は困難でも、冷たいジュースをゴクゴク飲む事は可能で、その結果、お腹を壊すなんてのは誰もが経験してきた事ではないだろうか。
いずれにせよ、暑い最中に汗をかいて喉が乾くという状態に対し、冷たい飲み物で水分を補給し、体温が上がれば発汗は促される訳で、そうなれば結果として体温が下げられる、と考えれば、別に不思議でも何でもないのである。
それに、冷たい飲み物を摂取できる、という心的な要因は相当に大きい。
例えば、冷湿布である。いわゆる薄荷系のハーブなどは、皮膚に触れるとひんやり冷たい。なので、患部を冷やす湿布として使われがちであるが、これは間違いである。
冷たく感じられるが、湿布自体が冷たい訳ではなく、実際の温度は上昇しているのだ。したがって、捻挫などの場合は冷湿布ではなく氷嚢などで冷やした方がいい。無論、これは冷やす目的に限るならば、という話で、冷湿布の薬効が効いているかどうかは別の話になる。
つまり、冷湿布でひんやりしたつもりでも、実際の体温はわずかだが上昇する訳だ。
しかし、ハッカ油を多目に垂らした風呂に入ったりすると、寒気を感じてくしゃみが出たりする。それでも実際のところ、体温は上昇しているのだ。
さて。少し長くなってしまったが、多くの人が美食を語る際に、忘れがちな要素がある。
もうおわかりの事と思うが、そう、温度だ。
いや、温度は重要だろう、という声は聞こえてくるだろうが、果たして事実だろうか。
冷蔵庫の温度が何度で、冷凍庫の温度が何度なのか答えられるだろうか。
実際のところ、温度を蔑ろにしているプロも少なくないのが現実である。
我々はいったい何度の食品から冷たいと感じ、何度からぬるく感じるのか。
何度から熱いと感じ、何度からぬるいと感じるのか。
そこで明確に冷たい飲み物は10度以下、熱い飲み物は55度以上、と答えられる人間は少ないのである。
無論、外気温が高いほど、15度ほどでも冷たく感じるし、55度は「熱い」と言うよりは「温かい」に近い。また、湿度が低いほど、飲み物が冷たくなくても清涼感を得やすい。
しかし、こういった当たり前の温度さえ、我々は蔑ろにしがちなのだ。
調理レシピにしてもそうである。温度が明記されているのは、揚げ油とオーブンぐらいのもので、提供温度が何度かなんて書いているレシピには、ほぼ出会った事がない。
他にも、パン作りやお菓子作りには温度が非常に重要なファクターなるが、食材を何度にしておくかが書かれているレシピは少ない。
せいぜい「室温」といういい加減な表記である。例えばクロワッサンやパイ生地などは、室温を最低まで下げて作った方が良い。生地がダレると綺麗な層にならず、サクサクふわりとした仕上がりにならないからである。
これでお気付きだろうか。オーブンの温度にはやたらとうるさいが、お湯は沸騰させればいい。材料は室温。冷やす時は氷で。と、料理において重要なはずの温度は、かなり軽視されているのである。
そう。温度の重要性は、調理する時だけではない。提供温度は相当に大きい要素なのである。
例えば、甘味を最も強く感じるのは35度と言われており、冷たいジュースがぬるくなると甘ったるく感じる訳だ。
逆に、ホットで飲むつもりだったコーヒーが冷めてしまい、やけに苦く感じたりするのは、何もウドのコーヒーだったからではない。温度の問題だ。
簡単に説明すると、塩気は温度が下がるほどに強く感じる。翌日のおでんを冷たいまま食べると、やけに塩辛いのは煮詰まってしまったからだけではないのだ。
そして、妙な例外もある。一般的な砂糖はスクロース、または蔗糖(ショ糖)と呼ばれ、甘みは冷えるほどに感じられなくなるが、例外は果糖。簡単に言えばフルーツに含まれる糖だ。こちらは10度が最も甘味を感じるとされる。
つまり、料理の提供温度によって、調味料の使用量は大きく変化すると言うこと。
だが、そこに言及する人は案外少ない。
無論、食べる側としては「提供されたら、料理に集中して食べる」ぐらいしか出来ないのかも知れないが、提供側にはまだまだ改善の余地があると言える。
例えばラーメンの亜種である「つけ麺」だが、麺とスープの温度が違うことにより、あっという間にスープがぬるくなってしまう、という欠点を持つ。
これを回避するため、中にはスープに焼けた石が入っている店もあったりするが、焼けた石ぐらいではまさに「焼け石に水」で、温度の低下を防ぐ事は出来ない。
結局は電子レンジや、IH(電気調理器)で温め直す、と言った店が多いが、店屋物としてはいささか完成度が低い提供方法と言えるだろう。
また、ステーキなど焼けた鉄板で提供される料理もある。しかし、これも周囲に油が飛ぶだけで、鉄板の余熱で火加減を調節する、と言うには火力が弱い。無論、冷めないと言う点では有用であると言える。
例えば、フランス料理に代表される西洋料理はカトラリを持ち、皿や碗を手にする事はない。だからこそ、皿を温めておく事で温かい料理の温度を長持ちさせる。
もっとも、フランス料理で「熱々の料理」が提供される事は少ない。基本的にフランス料理に火傷するような高温の料理が少ないのである。
これに関しては、フランス人は猫舌が多い、とする説もあるが、私はそうは思わない。
私は、舌や口内を火傷するような料理の提供温度を良しとしていないからである。
熱々は美味しい。それはわかる。しかし、火傷をして良い事があるだろうか。
無論、結果として火傷をしてしまったのは仕方のない事である。だが、わざわざ火傷するような温度での提供が正しいとは思わない。
こう言うと、必ず「火傷するぐらいの熱々がいいんじゃないか」という意見が飛び出す。結構。実に結構。
私は猫舌ではないし、火傷してしまうとわかっていても、熱々の料理にかじりつきたい気持ちはよくわかる。火傷するよな恋などと言うが、料理に恋している美食家なら、火傷ぐらいなんのその。結構。実に結構。
熱々のたこ焼きを、はふはふ言いながら食べる。実に素晴らしいシチュエーションだ。
だが、美食家の命とも言える舌を雑に扱うことが、果たして美食と言えるだろうか。
いや、料理とは味だけにあるものではない。美食とは食べるのみにあらず、だ。
目で楽しみ、音で楽しみ、歯で感じ、舌で味わい、脳を、同席者を喜ばせる。だから、熱々を楽しむシチュエーションならば、それも良いだろう。
わかりやすい話、誰かと祭りの屋台を楽しみながら、熱々のたこ焼きで火傷して、笑い合う。それは最高のお祭りじゃないか。
私はそれを否定している訳ではない。
それは屋台のおでん屋でも、立ち飲み居酒屋でもいいだろう。いや、何も気取った料理店を褒めそやす訳ではない。
しかし、それなりの値段を取った店で、火傷するような温度での提供はお粗末に過ぎる。それが私の意見だ。
それなりの値段、と言うのがいったい何円からなのか。それは各々の財布事情によるだろうから明言は避けよう。
そもそも私は「〇〇円もする店で、店員の態度が悪かった」なんてのはクレーマーの始まりでしかないと思っている。「〇〇円もするのに」と、そんな心算でいる客は、元より態度が横柄なのではないか。だからぞんざいな扱いを受けただけではないのか。私はそう思っている。
したがって、わかりやすく値段というパラメータを提示したが、言いたいのは値段や格式の話ではない。
提供する側も、食べる側も、美食の道を歩むなら、火傷するような提供温度を「美味しい」とするのは間違いではないのか。
舌や口を火傷してしまえば、その後の料理を味わう妨げにもなる。それでも「火傷するような温度がいい」などと言う口が美食を語るのか。
私は断固として、火傷するような提供温度を是としない。
だが、何にでも例外はある。
たこ焼きだろうと餃子だろうと唐揚げだろうとスープだろうと、それをハフハフ、ふーふー言いながら食べるのは良い。しかし、火傷をするような温度は美食を主とするならば有り得ないと言える。
ステーキ? 肉の中身まで火傷するような焼き方は下手だから問題外。却下。
天ぷら? 火傷するような温度だと油切りが足りてない。そもそもしばらく休ませたぐらいでサクサク感が失われる天ぷらは揚げ方が下手。第一に、天つゆをくぐらせれば温度を下げられる。
どうだろう。過度な高温が適温より美味いなんて事はないのではないか。
だが、どうしても、これだけは否定できない熱々料理がたったひとつだけある。
小籠包。
これだけは、火傷するぐらい(しない事が望ましい)の温度ギリギリで提供してもらいたい。
小籠包だけは、火傷をしても仕方ない。諦める。ぬるい小籠包などもってのほか。
これだけは、ぎりぎりの上限温度を攻めてもらいたいものである。
ところで、熱々の小籠包で火傷をしない食べ方があるのはご存知だろうか。
方法は実に簡単。
小籠包をレンゲの上に乗せ、箸で小籠包の皮に穴を開ける。
そして、スープをすすりながら、小籠包の本体を食べるのだ。これで火傷は防げる。
だが、私はそんなものは認めない。
小籠包は料理と言う名の果実である。噛んだ瞬間に熱々の肉汁が溢れ出す。それはまるで、熟した桃にでも嚙りついたかのような水々しさ。
皮の中にスープを閉じ込めると言う天才的発想によって生まれた料理である。そのせっかく閉じ込めたスープをレンゲに逃がすなど愚の骨頂。焼き牡蠣から出た出汁を捨てるに等しい蛮行だと言える。
そんな訳で、小籠包は熱々に限るが、それ以外の料理は原則として適温を追求して欲しいものである。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。