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現世界グルメ「ラーメン屋」
幾度となく言っている話だが、ラーメン、という料理があまり好きではない。
別に嫌いな訳ではない。
あくまで世間評と、個人的な感想が合致しないだけの事である。
これでも、料理業界に携わって長い。正直なところ、まだまだ未熟者であると言う自覚はある。自覚はあると言うより、未熟者なのだ。それは間違いない。
しかし、その一方で未熟だからこそ「それなりの知識や経験を踏まえてきた」という自負もあるのだ。
この辺が難しいところで、気持ちとしては「未熟者」なのだが、年齢や経歴を考えると、いつまでも「未熟者」を名乗る訳にもいかない部分がある。
例えば、ボクシングで二階級統一王者になった選手が、どれほど若かろうと、それはもう「未熟者」などではない。立派な王者だ。
自分自身をそんな王者と比ぶる訳ではない。しかしそれでも、何十年と飲食業界にいて「未熟者」を名乗っていては、示しがつかない部分もあるのだ。
近年は「未熟者」であるが故に、このジレンマに悩まされる事も増えてきた。
その一方で「未熟者」であるが故に、驕り高ぶる自分を自覚もしている。
その未熟者であるが故に、ラーメンという料理があまり好きになれないのが本音だ。
ハッキリ言えば、ラーメンを提供する側の、料理人としての腕前を、あまり高く評価していない。
和食にしろ、中華にしろ、フレンチにしろ、その大多数の料理人の腕前は確かなものである。
技術・技法・知識・経験。それらに裏付けられた、紛れもない洗練された料理。
これらに比べると、ラーメン屋の料理人と、提供されるラーメンは、残念ながらレベルが低い。無論、全てではない。しかし、平均値を取れば間違いなく他の料理屋に軍配が上がる。
煮炊き揚げ焼き蒸しに始まり、みじん切り、薄造り、裏漉しなど、様々な技術を持っているのだ。
だが、ラーメン屋の料理人にそう言った基礎があるかと言うと、多くはラーメンしか作れない。そして、ラーメンしか知らないのである。
それが他の料理人と肩を並べようと言うのは、流石に烏滸がましいのではないだろうか。そう思ってしまうのである。
いや、一流のボクサーが蹴り技を知らなくてもいい。ボクサーはボクシングが巧く、強ければそれでいい。
ラーメン屋もラーメンさえ美味しければいい筈だ。そうだろう?
だが、そうは思えない。
それがボクサーでも野球選手でもプロゴルファーでもいい。だが、プロとして共通しているのは、基本的な体力づくりが出来ていないのだ。
多くのラーメン屋にはそれがない。料理の基礎を知らないラーメン屋が多い。それがずっと引っかかっているのだ。
誤解なきように言うと、別にそれでもいい。構わないのだ。
実際にラーメンさえ美味しければ。
しかし、灰汁取りなどを始めとする料理の基礎がしっかり出来ているラーメン屋は少なく、やはりそれが味に反映してしまっているように感じる。
ハッキリ言えば雑な料理なのだ。
誤解しないでもらいたいが、雑な料理が悪い訳ではない。
雑な料理、結構。B級グルメ、結構。手抜き料理、結構。簡単レシピ、結構。それ自体が問題なのではない。
どうしても引っかかるのは、「ラーメンはジャンクフードでも、B級グルメでもない。高級料理となりうる」という風潮である。
かつてジャンクフードだった寿司や蕎麦は、技術を高めて高級料理の地位に上り詰めた。
しかしそれは、先人達のたゆまぬ研鑽あってこその地位なのだ。
ラーメンが高級料理へと昇格する事に反対なのではない。
単純に、ラーメンが高級料理足りえるだけの段階にない、と言うのが個人的な意見である。
麺は工房任せ、下手をすればスープさえも工場生産、そして、アルバイトでも回せる調理工程。
これを「高級料理」と呼ぶのは流石に無理があろう。
誤解しないで欲しいが、生産ラインを確保し、オペレーションを簡略化し、安価で美味しいものを安定して提供できる、という技術は賞賛に値する。
それを否定している訳ではない。むしろ肯定する。何なら、その究極であるインスタントラーメンは好物だと言えるぐらいだ。
例えば、AIによる作画、という存在を個人的には肯定している。安価で、素早く、クォリティの高いものが提供できるなら、それに越した事はない。
しかし、AIに「描かせた絵」を、自分が描いた、と言うのは、流石に言葉が過ぎると思うのだ。
その点で、ラーメンは基礎的な料理技術が低い。それが高級料理の名乗りを挙げるのは、度が過ぎていると思うのである。
例えば、DTM(デスクトップミュージック)で、打ち込みによる音楽を出来る人間は、作曲家や編曲家ではあっても、プレイヤーではない。
初音ミクに歌わせている人がシンガーやボーカリストを名乗るのは違うのではないか、と言う事である。
たまたま、「高級料理」というフレーズを使用しているから誤解されるかも知れないが、ラーメンと高級フランス料理のどちらが上か、という事を問うているのではない。
どちらも美味くて、それでいいのだ。だが、ジャンルが違う。
クラシック音楽の棚に「ベビーメタル」があったら、それは違うだろ、と言うだけの事だ。
J-POPのコーナーにベートーベンがあっても困るだろ、というだけの事で、どちらが上だと言いたい訳ではないのである。
その上で、お世辞にも歌が上手いとは言えないアイドルの歌唱力を、オペラの舞台に立てる、と評するのは違うのではないかと言いたいのである。
そして、別にラーメンが高級料理になってもいい。そこに、確かな技術があるならば、という話なのだ。
さて。少し話が長くなったが、先日「蕎麦屋のオモチャみたいなラーメン」という表現を見掛けて、非常に感銘を受けた。
人によっては怒りを買いそうな言葉だが、昭和の時代、ラーメンが国民食として広まっていく過程を知る人間としては、「そんなのでいい」 そして、むしろ「そんなのがいい」なんて気持ちがあるのだ。
インスタントラーメンや、真っ黄色のたくあんで食べるお茶漬けのような、そんな美味しさは間違いなく存在していて、それは時に高級料理に勝る。
今後、ラーメンが洗練され、高級化していくのもいいだろう。だが、そんなラーメンも消えないでいて欲しいと願うのである。
ちなみに、「オモチャみたいなラーメン」という表現を見た後、無性にラーメンが食べたくなってしまった。
だが、辛抱たまらなくなって街に出たはいいものの、近年のラーメン屋には「アイドルタイム」が存在するのである。
いわゆる、ランチが11時~14時まで。ディナーが17時から22時まで、というスタイルだ。
昨今のラーメン屋と違い、かつてのラーメン屋は「通し営業」だった。
個人的にはとてもありがたいシステムだったと思う。別に、ラーメン屋は身を粉にして働け、というつもりはない。休憩時間も大いに結構。
まあ、個人的にはラーメン屋がアイドルタイムを設け、高級料理を名乗ろうと言うなら、せめて「席の予約」が取れるシステムにはなってもらいたいものだ、とは思うが。どこの世界に「予約のシステムがない高級料理店」があるよ、って思う。
しかし、席はともかく、いつ行っても開いている、安心のラーメン屋、と言うのが損なわれてしまったのは何とも悲しい話である。
ランチを食い損ねたが、ラーメン屋が開いているじゃないか! という安心感がなくなってしまった。
ちょうどアイドルタイムに出掛けてしまったため、ラーメン屋の一軒も開いていない。
しかし、舌がラーメンを求めていたので、仕方なく、開いていた「担々麺屋」に入る。
個人的に担々麺は好きだし、その店の担々麺は、かなり本場中国の味で好みでもあるのだ。
だがどうにも、求めていた味じゃない。
そして、この担々麺屋はメニューも本場仕様なのか、
白米がない。
ラーメンは、担々麺にしろ、麺を食べ終わって、残りのスープに白いご飯をブチ込んで食うのが最高だと思っている身としては、どうにも消化不良である。
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なお、この先にはこの記事を書いた経緯しか書かれてません。
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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。