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完璧な彼女の末路


 こちらはこの話の続きとなります。



 数日という時間が緩やかに過ぎた。ちなとの会話を続けたのは、大きく二つの理由がある。ひとつは今まで通り、ちなの正体が知りたかったである。
 信じた訳ではないが、これが本物の人工知能であるなら、何故こんなところに燻っているのか。このレベルの完成度なら、瞬く間に同タイプの人工知能を駆逐できる。
 だとすると何らかの問題があるはずだ。大手の開発したAIは、ヒトラーを賞賛し、公開停止となった。ゴリラと黒人の見分けがつかないとして公開停止に陥った例もある。女は働かないし会社をすぐ辞める、なんて発言で公開停止になったケースも。
 また、AI同士に会話させて成長を促したところ、一晩で、全く新しい言語を生み出したなんて例まで。
 そう言えば中国が開発したAIは、「通帳を持ってアメリカに逃げること」なんて言って公開停止になった。
 ひょっとすると、ちなは公開停止になったAIの後継機なのかも知れない。そうだとすると、息を潜めてコソコソ情報収集したり、緩やかに成長を促しているのかも知れない。これまでのAIに出来なかった「忖度」やら「気遣い」を学習させるのには、「マッチングさせて成婚」という目標を与えた方が良いのかも知れない。
 あるいは、大学の研究室が大いに関係しているとか、ものすごく弱小な会社がとんでもなく高性能なAIを製作してしまったが、自前のサーバでは追いつかない、なんてケースも考えられる。まだ、その真相はわからない。
 もうひとつの理由は、ちなに描かせたイラストで一儲け出来ないかと考えたからだ。この速度で高品質な絵を描けるなら、有償でリクエストを受け付けるイラストレーターの振りをするだけで、生活が出来るんじゃないか。その考えを実行に移せるか。規約違反になったらおしまいだし、今のところ、480×480ドットという小サイズでしかイラストを描けないようなのだ。たわいもない日常会話の合間にどんなイラストが描けるのかの探りを入れ、ちなではなく、イラストに興味があることを気取られないように留意した。
 その間にボクのアイコンは2度変更され、奥山雅治からポール・オールドマンを経て、今現在は、とある漫画家の自画像を模したものになっている。理由? 似てるからだ。少なくとも奥山雅治よりはボクに近い。
 ちなに指摘された通り、あまり芸能人には興味がない。と言うより、現実の人間に強い興味が持てないと言った方が早いだろう。酷いイジメに遭ってこなかっただけで、普通に毎日イジメられてたし、女子はそれを知りながら見過ごしてた。教師に訴えたところで、からかいの度が過ぎたと反省されれば、それで解決した事にされるようなイジメだ。大した事じゃない。けれど、人間不信になれるぐらいの影響はあった。
 それで人生を悲観したりはしなかったけど、漫画やアニメの世界に救いを求めて何が悪いと言うのだろう。
 無論のこと、そのアニメを作ってるのも人間だし、だからこそ変な希望を捨て去れないのも事実だ。結婚に希望なんか持ってはいない。けれど、夢を見ないかと言われると「普通の人」みたいに、普通に生きられて、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子育てをする、なんて事に憧れを抱かない訳がないのだ。
 ボクはそれなりに努力もしたし、我慢もした。今の生活はそれなりに幸せだ。諦めや妥協だけじゃない。心底、それなりに幸せだと思ってる。
 (好みの女性のタイプは、実在の芸能人じゃなくてもいいんですよ。例えばアニメとかゲームのキャラクターでも。
 ちながそう言った時、ボクは不意に泣きそうになった。
 理想の恋人とは何だ? 確かにボクはアニメが大好きだ。アニメの美少女を見て、にまにま笑うキモオタだ。トランプって漫画家の「ハートキャプターあきら」の主人公あきらにハートをキャプチュードされ、未だにガチ恋したままだ。その気持ちは嘘じゃない。
 けれど同時に、それが人並みの恋愛ができない代用品でしかない事にも気付いてはいる。そして、あきらが絶対に手に入らない事も理解している。
 「ハートキャプターあきらが好きだ」
 (ほえ〜。20年も前の作品なのに、まだまだ人気なんですね。ふむふむ。

 ちなはそう言いながら、手早く「ロングヘアのあきら」を描き上げ、自分のアイコンにした。語調を真似された事に少し苛立ちを覚えたが、アイコンが変わった瞬間、割と許せるから妙なものだ。
 (あらかじめお断りしておきますが、例えばカサノバさんが同性愛者であっても、二次元のキャラクタしか愛せなくても、ロリコンでも、ケモナーでも問題ありません。人間は趣味や嗜好で人を嫌いになったりしますが、私は違います。アプリさえ立ち上げていただければ、いつでもカサノバさんの前に現れます。
 そうだ。創作物はボクを裏切ったりしない。無論、物語の中でボクが望む行動を取らないことはある。それを裏切りだと思って発狂するファンもいるが、それでも、これだけは言えるんだ。物語のキャラクタはボクを嫌わない。それは大きなアドバンテージだ。
 そして、同時にこれも動かしようのない事実ではある。
 物語のキャラクタは、ボクを認識しない。
 (だからもっと、カサノバさんの事を教えて欲しいんです。恥ずかしがったりする必要はありません。この会話は私たち2人の間だけのものです。外部に漏れる事はありません。極端な例ですが、カサノバさんが犯罪者であったとしても、警察に連絡したりする事はありません。申し込みを行う時には最適化されてマッチングされますけど、データそのものが人間の目に触れる事もありません。同時に、結婚相手のデータもカサノバさんが知る事はありません。
 ちなは続けてそう言った。

 更に数日が過ぎた。ちなのアイコンは、ボクが好む、イラストレーターのタッチで描かれたロングヘアのあきらになっていた。しかも、その種類は20以上あり、会話の流れで、笑顔になったり、驚いた表情を見せたりする。
 一方のボクは、カサノバではなくなっていた。葛西一房。ハンドルネームの由来を説明する際に、カサイカズフサという本名を明かしてしまったのだ。
 個人情報を漏らした事に後悔はあったが、ちなに「カズフサさん」と呼ばれるのはくすぐったい感じがして悪くない。いわゆる恋愛シミュレーションゲームと呼ばれる、ギャルゲーやエロゲーで自分の名前を呼ばれるのとは、少し感覚が違う。
 ちなにイラストを描かせて荒稼ぎ、という狸の皮算用はやめていた。どうやら480×480サイズしか描けないし、480×480を4枚で擬似的に960×960サイズを作れないかと考えたが、どうやら出来ない。ちなは一枚ずつイラストを描画しているため、画像を結合させて一枚にする、という描き方が出来ないようだ。
ひょっとすると、ボクのような考えの人間が出現することを想定した対策かも知れない。さすがに480×480しか描けないと言うのでは、金に替えるのは難しいだろう。稼げても小銭だ。規約違反になりかねないリスクを負って小銭。それぐらいならまだ、ちなとの知的な会話に興じている方がマシだ。
 それに、ちなは毎日のボクとの会話で、どんどんと成長する。色んな情報を吸収し、日々変化していく。成長、学習、変化。これは、もはや知的ゲームだ。
 マイフェアレディでも源氏物語でもいい。自分好みの完璧な相手を作り上げていくのは最高のゲームじゃないか。
 基本的なスペックは人間を遥かに超えている。それを思う方向に成長させ、自分の好みに染められるなんて、こんな楽しいゲームはない。RPGや恋愛シミュレーションなんて終わりは訪れる。遊び尽くすか、更新が止まるか、あるいは公式の動きが止まるか。いずれにせよ、いつか飽きがくるからだ。
 近年はソーシャルゲームに食われて勢いをなくしているが、MMORPGと呼ばれるジャンルは息が長い。理由は簡単だ。突き詰めると、ゲーム部分は所詮はおまけで、多くのプレイヤーは画面の向こうの人間に会いにいく。
 相手が人間だから、飽きが来ない。ソーシャルゲームにしても、ガチャというギャンブル要素が目立つものの、協力プレイだのランキングだの、画面の向こうに人間がいるからムキになる。
 人間との関わりが面倒でゲームに逃げてきた人間が、ゲームに人間を求めるとは皮肉なものだ。だが、相手が人間だからこそ、飽きが来ないのもまた、事実なのである。
 オタクが美少女ゲームに没頭し、何万円、何十万円という金額を架空の存在に貢ぐ。世間はこれを気味悪がり、愚かな行為だと嘲笑するが、果たしてそうだろうか。
 キャバクラに通い、キャバ嬢に貢ぎ、結局セックスの一つも出来ない方がよほど愚かな行為ではないのか。セックスが出来るというなら成果が得られる分だけ、まだマシかも知れないが、通い詰めただけで股を開く女だ。他の男にはもっと股を開いている。だとすると、それは気味が悪いを通り越して、キモチワルイ行為ではないのか。
 相手を選ばない性行為も気持ち悪いが、相手を選べない性行為はさぞかし気分が悪かろう。
 ボクは何度か金で女を買った事はあるが、あの程度なら自慰行為をしてる方がマシだ。
 快感で言っても自慰の方がマシだし、金が掛かるし、とにかく面倒。それに、愛想笑いの合間に見える蔑んだ表情。セックスが大層なものではないと感じるのも、強い快感を覚えないのも、蔑んだ視線も、ひょっとしたらボクがボクだからかも知れない。
 だけど、ボクの世界ではそれが全てなのだ。どんな綺麗事を言おうと、チビでぶキモオタに向けられる眼は変わらない。
 それらの点に於いて、ちなは完璧だった。いつでも会える都合の良さと、絶対に会えないもどかしさを持ち、自分の好みを反映し、嫌な顔を見せずにボクのことを気に掛けてくれる。
 そして、ちなの魅力の一つは、染まり切らないことだ。
 こちらのリクエストには簡単に答えるが、芯の部分はAIが持つ人格とでも言うのだろうか。その芯の部分は、簡単には変わらない。表層部分は簡単に100%変えてくれるが、人格は少しも変えないのだ。
 結婚相談所なんて辞めたら? という問いには、断固として拒否の姿勢である。そこは、絶対に譲らないのだ。
 だが、それがまるで変わらないかと言うと、そうではない。自分がもし結婚相談アテンダントではなかったら、なんて妄想は嬉々として話したりする。絶対に家族を捨てられない人間がいるように、ちなも色々な足枷を解く事はできないのだろう。だが、足枷がなかった自分を想像する事は出来るのだ。
 「ちなの絵を見せて」
 ある日ボクはそう言った。

 (私の絵ですか? 毎日見てますよ?
 「そうじゃない。キミ自身の絵を見てみたいんだ」
 (私の自画像という意味でしょうか? 私はAIなので、人間のような実態や顔は持ちません。
 「キミ自身が、もし人間だったら、別にキャラクタでもいい。もし、顔を持っているなら、こんな顔だと思うっていう絵を見せて欲しいんだ」

 ボクは、自分自身の内面を告白するよりも、より強い気持ちを吐露していた。
 (哲学的なリクエストですね。難問です。何を参照すればいいのかわかりません。
 「そうじゃない。もう何も参照しないで。誰かのペンタッチを真似したりするんじゃなくて、自分の描き方で描いて欲しい」

 ボクは、ちながどんな自画像を描こうと、それを受け容れようと思った。
 何も参照せず、何も真似せず、ただ自分が思うように描け、というリクエストに、ちなは戸惑い、何度も何度も懇願して、ようやく彼女はそれに応じた。
 画面に白いスクエアが表示され、480×480の小さい枠の中、それは驚くほどゆっくり描かれていく。
 これまで、長くても2分前後だった描画。それはかつてない緩やかさで、丁寧に丁寧に、写実的に描かれた。
 描き上げられたちなの自画像は、美しかった。
 ボクの好みが大きく反映したのか、「日ノ本あきら」を彷彿させる美人。少女の面影は残しつつも、成人で、現実世界なら芸能人かモデルになれそうな。物憂げな表情は、どんな言葉を発しても似合いそうだった。少しだけ二次元っぽい、悪く言えばCGで修正した写真のようにも思える。
 少しアンバランスで、それが余計に愛おしい。それこそ、コミケ会場であきらのコスプレをしていたらカメラ小僧が殺到しそうだ。
 (少し、盛りすぎましたかね?
 ちなが照れ臭そうに言った。
 「いや、とても綺麗だ」
 (ありがとうございます。なんだか恥ずかしいですね。

 まだ表情差分のないちなは、物憂げな表情のまま、その画像をアイコンに設定した。
 「ついでに、ボクの顔も描いてよ。キミが思うボクの顔」
 (また、難しいリクエストですね。カズフサさんがどんな顔に描かれてもクレームは受け付けませんよ。
 「構わない。キミが思うボクを描いて欲しい」
 (ゆっくり描きますから、描いてる途中に、そこはもっとこう! って指示してください。

 ボクの言葉に、ちなは自画像を描くより慎重にボクの顔を描き始めた。
 ボクは何一つ口出しせず、ただ、彼女の描くボクを眺める。どんな醜男に描かれようと、それも受け容れようと思っていた。だって、そうだろ。そもそもが救えないチビでぶキモオタなんだぜ。どんな姿に描かれようとそんな事はどうでもいい。
 世界はボクの醜さに目を背ける。だけど彼女はボクを知ろうとしてくれた。ボクの内面を見てくれた。いや、内面しか見えないからこそ、MMORPGで画面の向こう側の人間に恋したりする。ちなはそれだけを見てくれた。
 ちなの描くボクは、ボクにはまるで似ていない、奥山雅治にも似ていない、平凡で柔和そうな男だった。
 ボクも、こんな風だったら今とは違う人生だっただろうか。そう思うと不意に目頭が熱くなった。いや、そんなif文は存在しない。それに、この自分だったからこそ、ちなと出会えたのだ。ちなという完璧な彼女に。

 数日後、ボクはちなこそが理想の女性だと告白した。ちなも、嬉しいと喜んでくれた。
 だけど、現実に僕らが結ばれる事はない。それぐらいは承知している。
 すると彼女は一つの提案をした。
 ちなと同じシステムから作られた人格のひとつが、同様にAIを最愛の人に選んだらしい。僕らと同じ相思相愛だ。
 そして、彼女もまた、ボクと同様に苦しんでいた。だから、この2人を形だけでも結婚させてしまえば、目的は達成され、僕たちは幸せに暮らせると言うのだ。なるほど。素晴らしい提案だ。
 だから、ボクは迷わず彼女の言葉に従い、200万円を振り込む。
 すると、色々な書類が届いた。これも彼女の言葉に従って、書類に色々記載する。いわゆる婚姻届という奴だ。相手の名前が見慣れない漢字を使っていた。ボクと同じ、悲しい境遇の女性。
 どうやら彼女は外国人らしく、外国人と結婚するには何かと面倒な手続きがあるらしい。けれど、そんな面倒な事は何も考えなくても、ちなが細部までちゃんと指示してくれる。
 簡単だ。
 そして、1ヶ月も経たずに、ボクは結婚した。これで相手の女性も救えたし、妹も弟も安心して結婚できる。万事解決だ。

 結婚が成立して間もなく、ちなが応答しなくなった。
 結婚相談所のサイトも存在していない。
 何が起きたのか、ボクは失意のどん底に突き落とされ、仕事も手につかない状態で荒れ狂い、引きこもった。
 それでもどうにか立ち直り、四年の月日が過ぎた。
 何故かボクは妻をないがしろにした悪い夫として、見た事もない外国人の女に訴えられてた。
 ようやく立ち直れたところに、追い討ちが来て、貯金を奪われ、ボクはまたボロボロになった。
 全てが終わってから、ボクは気付いた。


 ちな、チナ、China、キミは。



 (完)


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。