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映画大好きポンポさん


 はい。皆さん、こんにちは。映画大好き、木賃ふくよし(芸名)です。

 ええ。そんな訳で、観て参りました。


 「映画大好きポンポさん」


 を、


 他人様の金で。


 いや、マジでええんやろか。(´・Д・)」これで、

 ウィッカーマン

 閃光のハサウェイ

 漁港の肉子ちゃん


 に続き4本目。しかも、肉子ちゃんとポンポさんは同日に同じ人からご馳走になりました。

 そんな訳で、早速、感想行ってみたいと思います。はい。
 ええ。この「ポンポさん」 ワタクシは存在自体を知りませんで、観に行く少し前ぐらいにCMで知ったレベル。前知識や原作への思い入れはゼロでしたが、


 面白かった。
 (小学生並の感想)


 えーとね。お前、口開いたら映画の文句しか言わん、とか言われるので日和った訳ではなく、文句をつけたら批判が来るのを恐れている訳でもない。強いて言うと、年齢とともに許容範囲が広がっていると言うのはあるが、


 素直に面白かった。


 ぶっちゃけ、ストーリーは超☆王道。劇中劇が出てくるんだが、これも超☆王道。


 冴えないけど才能はある青年(に見えない)が、監督に大抜擢される超☆サクセスストーリー。
 劇中劇も、帝王と呼ばれた音楽家が落ちぶれ、そして再起すると言う超☆王道。


 資金繰りの所以外では、脇道もなく、ひたすら王道を進み続ける感じ。あらすじは今の一行ずつで事足りる。だから、物語の部分は何一つとして目新しさはない。断言する。ない。

 しかし、その王道は完璧なまでに装飾されているのだ。


 作中で語られる
 映画論や演出論で。 


 要するに、どんなベタベタな手品でも、種明かしと、手品師の技術を交えて見せられたら、そりゃ面白いわな、って話である。
 絵を描く技術でもいい。こーゆー技術論があるから、迫力があるように見えるんだよ、という解説がついており、尚且つその描画過程をタイムラプスで放送してくれるのだ。
 面白くない訳がない。

 考えても見ろ。

 現代のネットに溢れている「手品のタネを教える」「絵の書き方を指南する」「業界の裏事情を話す」なんて記事や動画は恐ろしい数が公開されて、閲覧されている。
 それを可愛らしい絵で、物語付きでやってくれるのだから、当然面白い。

 だがまあ、苦言が出てこない訳ではない。

 絵がイマイチ。

 誤解しないで欲しいが、作画レベルが低いという意味ではない。また、ワタクシの好みの絵じゃないからイマイチだというものでもない。

 作風が実は割とシリアスなのに、いわゆる萌え4コマみたいな絵柄なので、どうにもしっくりこない。
 ワタクシが劇画調を好むのもあって、余計にしっくりこない部分はあるし、シリアス調を劇画でやったら普通だろ、という見方もあるだろう。

 だが、しっくりこない理由はそこだけではない。

 舞台が架空のハリウッド「ニャリウッド」という「外国」なのである。

 なのに、登場人物がだいたい日本のアニメの日本人顔。

 モブキャラだけが妙に外人顔。

 コレはなんかどうにも馴染めない。

 架空のニャリウッドが日本にある設定で良かっただろ、と。
 ニャリウッドがアメリカにあるなら、全員日本人顔なのは興醒めだろ、と。

 他にも、ヒロインがツインテールで年齢不詳のロリ、とか。
 ヒロインらが「〜です!」とか「〜にゃー」なんて安易な語尾を付けてしまうのも、安っぽすぎた。

 そーゆーのが好きな人も多いだろうからアレだろうけど、そういう「媚び」が欲しけりゃ、美少女萌えアニメでも見りゃいいと思うし、言い方を悪くするが、「時代劇を見てるのに、電信柱が写ってた」みたいな興の削がれ方である。

 また、微妙だったのは、「楽しく過ごしてる陽キャなんかに映画は作れない。世の中が楽しくない陰キャな奴ほど作り物の世界を面白くできる」というくだりだ。陽キャの人生は中身空っぽだから。という話だ。

 確かに、手塚治虫も宮崎駿も富野由悠季も、


 「漫画なんか読んでないで外に出ろ!」


 と若者に伝えている。

 一方で、藤子・F・不二雄だけは、

 「何も出来ない、漫画しか描けないって人の漫画が読みたい」と言っていて、ワタクシはとても感動した。それと、言っている事はだいたい同じだろう。

 しかし、違うのだ。

 若者に伝えるべきメッセージはおそらく「漫画なんか読んでないで外に出ろ!」の方が正しいのである。


 だって、陽キャの方が人生楽しんでるから陽キャなのであって、人生うまく行ってたら、誰も陰キャになんかなりたくなかったはずだろう?


 F先生の「漫画しか描けない奴の漫画が読みたい」ってのは、「だから描いてくれ」ってメッセージだと思う。
 ポンポさんのは「才能がある主人公が大抜擢される話」である。

 そこに陽キャの人生は空っぽ、なんてしょーもない比較を入れる必要はなかった。主人公は陰キャでも才能があったのである。
 陽キャを貶めてまで、陰キャを礼賛するような空気には、一種の気持ち悪さを感じた。

 陰キャでも陽キャでもいいし、そこに陰キャ、陽キャは関係ない。才能があるかないか、才能を磨けるかどうか、そしてチャンスを掴むかどうかである。
 少なくとも主人公は映画界の申し子の下で働く、というアクションを起こしている。その上で研鑽を続け、才能を認められた。だから、陰キャは関係ない。
 作中の陽キャは、「つまずくまで、大きな失敗をして来なかった。何でもそこそこ上手にやれた。だから熱くなれるものにも出会って来なかっただけ」で陽キャは関係ないのである。

 これはワタクシのうがった見方かも知れないが、この点は強く主張しておきたいと思う。陰キャ側の人間として、これだけは言いたいのだ。


 陽キャだから空っぽじゃないし。

 書を捨て、街に出よう
 も間違いだと。

 書を持って、
 街に出ろ。


 座学と実学の両方を、若者には経験して欲しいのだ。陰キャのおっさんとして、若者に願うばかりである。座学と実学、その比率は自分で見つけ出して欲しい。


 という訳で、「映画大好きポンポさん」の感想の最後を飾るのは、



 主人公が、


 「不沈艦 スタン・ハンセン」


 と間違われるシーンの天丼ギャグがすごい好き。


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 なお、この先には「スタン・ハンセン」の続きが書かれています。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。