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「厚過ぎる免罪符。薄過ぎる聖書。」
僕は、作詩に於いて、全てインターネットで完結出来る仕組みに拘っています。
喩えば、僕が詩篇に使ってる言葉は、
此方のネット辞書に載ってるモノ、其の意味と解釈も併せて、で構成されています。
反対に言えば、幾ら魅了する様な言葉と出逢っても、この辞書に載ってないと遣いません。幾ら複数の読み方、或いは意味が有ったとしても、この辞書に載って無ければ無視します。
このネット辞書は複数の辞書が入ってるのですが、其の中にも優先度の高さで順序を付けています。
だからこの辞書は、僕にとって「厚過ぎる免罪符」なのです。
ツマリ僕は、現代のこの瞬間の小さくて風の前の塵の様に翅の有る書き方で作り上げているのです。
因みに余談ですが、他にもタイトルを付ける時は、
此方で四文字(タイトルはカタカタ四文字に決めてます)に収まる単語を見付けて名付けています。重複や省略出来るトコロは削りますが。
そして作詩以外の時には、僕は誇りを持っていません。
其の僕の中では周知の事実に対する事に成った時、僕の存在に不安を持った時、は銀行通帳をよく読みます。
僕は御金をアマリ持っていません。
しかし、少々の本を買って、偶に美味しいモノを食べる事が出来る程度には何とか貯金を残しています。
勿論、金額だけの問題じゃ無いです。
御金を遣うと言う事は、生きてきたと言う事とホボ一緒だと思うのです。
引き下ろしには其の時の想い出の痕を残します。
買った本、行った旅行、食べた御飯、観た映画、気に入った服……。そう言った所謂人間をしてる事を、通帳が全部教えて呉れるのです。
だからこそ通帳は、僕にとって「薄過ぎる聖書」なのです。
この二冊(と呼んで佳いのだろうか?)の掛け替えの無い「免罪符」と「聖書」で、僕は何とか詰みから免れて、生を全うしているのです。
細やかながら確かに燈る松明の様に。確実に前に進む勇気を鼓舞する音楽の様に。
貴方の支えは元気ですか?
蛇足ですが「聖書」の話を書いたので、実は遣ってたSUZURIのグッズ販売サイトを卑しくも貼っておきます。
ページは此方です。