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「僕を怖れているのか?」

他所往きの胃袋を抱えて、今日も空腹を愉しんでいる。
或いは宿便の様に、勿忘草を花壜に活ける。
何時だって人は、ヘッドフォンで別れて、イヤホンで巡り逢い続けている。
目薬と玉葱の様に、被害者意識は永遠に途絶えない。
闘えない僕に、誰彼は自分の基準を捏ねて非難を構築していく。
b型肝炎だと主張しても、僕の篝火は、間に合わない。
子供を平気で殺す街は、住み心地が悪く無いのが難点だ。
二季折々の毎日に、寝落ちの憂いを感じる。
天使の格好をした音痴が、また御金を出している。
牢獄より蟲篭の方が、ズットズット嫌いだ。
僕に平和を語らせるな、馬鹿者よ。
化粧の様な約束ばかり、残酷に破ってきたけれど。

僕は、怖れるに値する人間では無い。
確かに、この「ムーサの催眠」のヴィジュアル自体はちょっと危ない感じがするかも知れない。
でも痛みは飽くまで、読者、貴方じゃなく、作者、僕に与えられる。
もしかしたら、僕の遣っている事がよく判らないのかも知れない。
でも判らない事でしか伝わらない意味も有ると、信じている。
僕は貴方の中に入り込んで、脳を弄りたいのだ。

僕は僕の事を、邪推されるのを嫌っている。
故に僕は、僕の情報を公開する事に抵抗する。
其の上で御願いだから、僕の個人など尋ねないで欲しい。
僕の、歳も性別も顔も声も銀行の貯金額も生活の方法も過去も未来も。
僕も皆様の、境界線を護り抜いてみせるので。
僕も皆様の、真相を観ない振りをするので。

僕は常々(そして日々言葉だけ更新されながら)、「此れからの詩篇は。伝わっては成らぬ。気付かれては成らぬ。心に訴えては成らぬ。」と考えている。
其れは貴方にとって一見、根底のおかしい不気味なモノに映るかも知れない。
実際、そう言う考えで詩篇を書いている事で、他の人に嗤われている事も多い。
ソモソモの話、詩人は美しくて崇高で意味を遠回りさせて綴る人だと、勘違いしている人が多過ぎる。
僕にとって詩人とは、「今までに無い言葉の混ぜ方をして、新しい概念を作る只管人でなしの求道者」だ。
従来の言葉に縛られずに、しかし自らは音韻や理由や法則や意味で縛って、其の末に視た事の無い景色を提供する事に集中している。
キット、其処に温もりが有ると信じて。

笑えるなら笑って構わない。
でも泣かれるのは困るのだ。
逃げるなら逃げて構わない。
でも痛まれるのは困るのだ。

僕がもしも御姫様だったなら、もう少し誰彼に笑顔を向ける時間が出来ただろうか。
僕がもしも核兵器だったなら、もう少し誰彼に丁寧に慎重に扱われていただろうか。
街中で、「僕は怖い人間じゃない! 僕は怖い人間じゃない!」と叫びながら、シュプレヒコールを起こしていたら、世界の方から御辞儀をして、視線は変わって呉れただろうか。
全ての新聞社を買い取って、毎日の様に、僕の数少ない佳いエピソードを記事にし、其れを新聞の端から端まで埋め尽くしていけば、世代間関係無く僕に微笑んで呉れただろうか。
(哀愁の音が落ちる。)。
(空気の色が褪せる。)。

只々、僕が言えるとすれば、今の客観性が伴った僕は、コンプライアンスの欠けた、意味不明の、怪しい、危険性を感じる、インターネットの、都市伝説の、自力優勝が出来なく成った、凡庸な人類なの、だ、って事だけだ。
(そしてあっという間に出来上がり)。

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