
「好き嫌いを始めたら。」
最初に恋と言う関係を発明したのは、男かしら。女かしら。
言葉を果たし、悪夢を越えて、祈りで逃れ、灯りで捩れたのは。
好意と言う状態を可視化し、其れを未来への道と混同したのは。
棄て去る誰彼の方が倖いの権利を得れる宗教を作り上げたのは。
傷塗れに成って、毎日を怖れて、電気を消す様に仕組んだのは。
居ない癖に無理をするアレの祝福とは思っていない。
前世とか運命とか、そう言う言葉で卵閉じはしない。
当たり前で普通の事と言われ、永い拍手などしない。
性交渉の代替だと気取った押印を郵送なんてしない。
只々、残酷で軽率な証として音声をTVに流すのだ。
僕は恋の詩篇を読むのが苦手だ。
何故なら、恋愛観を詩篇にすると、悪臭が涌き易いからだ。
ソモソモ作詩自体が、悪臭に注意すべき代物で、故に扱い辛いトコロが有る。
セカンドインパクトが発生し、日本國が常夏と成った今、何時も以上に悪臭には気を付けなければ成らぬ。
詩篇の悪臭を拭い取るには、只管書き続ける事が必要に成る。
書いては読んで、恥部と感じたら削除し表現を模索し、また書いては読んで、恥部と感じたら削除し表現を模索し、またまた書いては読んで、恥部と感じたら削除し表現を模索し、またまたまた書いては読んで、恥部と感じたら削除し表現を模索して、そして造型を整えて、少し頭を抱え、辞書を読み込み、鶏の血でサバトをし、誰彼の不機嫌を想い出し、笑顔の値段を確認して、全てを消して、また改めて作詩をするのだ。
其れ等の事を、恋の詩篇を書く時は、特に念入りにしなければいけない。
生臭いし、発酵してるし、喉が痛く成るし、泪が止まらなく成るから。
想いは大切に。言葉はモット大切に。
そもそも純粋なモノをシタリ顔で賞讃する人々は大丈夫なんだろうか?
其れは獄中の様な解剖なのを判ってないのだろうか。
だからこそ基督氏の様に実現は十字架に縛られ石を受けるのか?
御金は心のグラム数だと言うのに。
僕が死ぬと世界が滅んでしまうので、人々は穢れないといけない。
僕を正した人から順番に居なく成るのは正義の敗北で在る。
応援している味方が負けるのは悔しいが、其れで当事者を非難する権利を幻視する人が要る事はモット悔しい。
僕の周囲の人が爆弾だと思ってたら、一番の爆弾は僕だったと言う御伽話を忘れた頃に呟きたく成る。
人の知覚の段階が把握できなく成り、傷付けて傷付いて、気付けば廻って廻って堕ちて往く。
今日の給食は殆ど食べずに残した。
此れ等の原因こそ、恋だ。
呆れる程の恋だ。
勧善懲悪の恋だ。
花鳥風月の恋だ。
誤った儘の恋だ。
そして其れを誘った詩篇の喉元の結果だ。
詩人は恋を描くなら、責任を取らないといけない。
其の暴行に拠って、目醒めた糸電話の弛みに付いて。
其の因果に拠って、産まれた核兵器の佇みに付いて。
何より、恋を巧く運用している人々に対する毒として。
此の話は、出来れば、睡る前に、言述したかったよ、クリストファー・ロビン。
或いは。