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「批評に耐え得る何故の底。」
音楽の人々がイヤホンを着けながら演奏している姿を観る度に少しだけ淋しく成って、透明人間でも切断すれば血潮が噴き出せる筈だと考えた時と同じ気持ちに陥る。だからこそ沈黙を破るバラードの拡げ方を重要視しないといけないし、トラウマからの優しい声を写真に残し余生を愉しむ程度の余裕が無いと今後は通用しないのだ。
自分の特別を心の花束で相手に贈るとする行為は何時だって被害者を産んでしまって、目の上の口内炎で考え過ぎていた事は実はもうとっくの昔に手遅れだと感じる。其れでも奇想天外を大切にする事で自我のダイエットを叶えているし、青空から降り注いで来る大きな拳骨に敗北の情景を観た事など一度だって無いと宣言し噛んだ。
知恵を絞って両足を震わせて細胞に専念して本物の敵を発見して其れでも遠く成って、端くれに追い遣られた空想が輝く度にまたあの物語の住人に逢いたくて暴れる。幼い頃から邪推され切って居たから範疇にハマるのを怖れて吐いたし、選んだモノから失っていくのがセオリーだと知らない学者が答えている雑誌で避妊具を包んだ。
器用さを重点に置いて創作する事がダサさを装飾し始めて半世紀以上経ってしまって、書架の中に有る事に優越感を憶えるのももう止めて欲しくて何度も何度も誤る。綾波レイさんが髪を伸ばしている事で誰も彼もが正気に解放されたし、ヤット永い呪いの殻を割ったと言うのに空しくて重過ぎて顔も出さないで蹂躙されているのだ。
真剣にラヴコメをしていれば間違い無く泪が出る事を教えては安全快適をさせていて、其処に自分の居場所が無い事実でまた明日から完璧な夕凪を探る事に淫してる。喩えば誰かにとっての機素として自分を求められる為に脳を洗ったし、残酷さや卑猥さに成れ過ぎるには十分過ぎる程のヴイエイチエスを再生し尽くして飛び込んだ。
真意と言うモノに辿り着こうとするのは手品師の愚弄に等しいと忠告しては夢観れて、明けない夜の不在に喜びながらも結局タイムオーヴァーで朝陽を知らずに滞る。キット触れられたなら誰でも佳かったのだと冗談でも止めて欲しいし、縁が摩耗して千切れそうな危険信号を出してもタイムウォッチ程の美しさは反応してないのだ。
地雷原を歩いている少女達に斜めのモノしか瞳に映らない少年達の当たり前は結果として何だったのだろうか。
内臓が喋っても驚く必要なんて一つだって無いし只々全てが最終回を迎える様に毎日毎日祈っては電燈に咲く。