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「何時か忘れていく前に。」
tumblr.でゴアやポルノの夢を観て、ustreamでプライバシーを無料で売り買いしてた。ふぁぼったーで赤ふぁぼを出したくて風潮を磨き、マイミクに紹介文を重ねて貰えたら、呼吸が高まっていた。はてな部で軽やかな隣を集めて鉄板麺や中本を巡り、気付けばリナカフェなうだった。小池スタイルが流行り出したら、破滅クラスタに混ざって、気付けばギークハウスの名誉住人に選ばれた。そして残酷な兎として同人誌に向かっていき、死んだ人も病んでる人も一緒に文学としての駄サイクルに浸っていた。東日本震災が起きるまでの話。
ポストポッパーズとカオスラウンジの区別が付かなく成った頃、人生どうでも飯田橋と呟けば、最高の夏を約束された。いもむしみぃちゃんを描き上げたら、穏やかじゃなくてもオケオケオッケーだった。柔らかい世界でラヴユーされたならば、其れなりの血を吸うわよをしてた。毎年クリスマスに成るとツリー用の木を斧で伐採しているアイドルを眺めて、仲間内でミーム化しては笑っていた。jazzのバンドを三つ程度掛け持ちしてウッドベースを弾いていたが、最後までモグラには往く事は出来なかった。煩先生が東京から居なく成る前までの話。
少しずつ包まれた型に合わせて、人間としての命が変貌していった。クシャミで罪を感じてゾッとしたり、難し過ぎるの一言で、しがない詩人としての亡霊を奪われた。多分音楽性とは、蟹を食べる事だと思った。白いパンダに襲われて臓腑を撒き散らかす様に、アカシックレコードに記録された。伝えたい事は空白を開けて言葉にしないし、語りたい事は飽きられるまで繰り返した。自分の御金で喰べる焼肉も十分美味しかった。断煙と言う縛りをする事で、周囲の人達が倖いに成る様に操作出来る特級呪物と化した。この文章を書き切った今までの話。
縋っていたtwitterがXに成り、Xも生物としてのサービスを終了した。曖昧模糊な日々の中で、憎悪の細胞で溺れかけてた。仕事にも成らない書籍を作っては負け惜しんだエッセイを載せた。友達が居ない事を帰納法で証明し、インターネットでの挨拶だけが心の明所だった。八階のベランダは少し遠過ぎて、堕ちるにはアマリにも遠くに感じた。恋の薫りを考える事もドンドン減っていき、ソモソモ素肌が拒絶すると言う事に気付いた。しかし詩篇の強度に於いては、不義を出来なかった。何故、も美より哀しく溢れた。僕の喩えばの原罪の話。