望郷
2019.11.15
5歳まで住んでいた
祖父母の家の
取り壊しが急遽決まり
すべての予定キャンセルして
帰省させてもらいました
もちろん
その場所にずっと
残っていて存在してほしかった
なかなか帰れなくても
『帰る場所』として
そこに在ってほしかった
というのが
心からの希望だったけど
その希望を叶えることは
僕の力では
どうすることも出来ませんでした
五歳の頃、母親が再婚し
小学校から転校して
誰も知らない場所に住み
いじめにあい
弟が生まれ、新しい家族が増え
別に自分が
この空間に居なくても
むしろ居ない方がいいのではと
ずっと思っていた
僕が居ない家族で
家族が成立していると思っていた
その頃住んでいた家の記憶が
弟の泣き声をうるさいと
僕が言って怒られたこと以外
ほとんどない
4.5年は住んでいたはずなのに
その中で週末
育った祖母の家に帰ることだけが
生きていることを
感じることができた瞬間だった
そして
高学年に上がる頃
父親に祖母の家に帰ることを
禁止され
孤独感は更に増した
父親に自分だけが
嫌われていると思っていた
学校では休み時間一人で
絵を描いているような少年で
友達や仲間が欲しいなんて
思うことはなかった
それで充分楽しかった
ある日熱血先生に
グラウンドに放り出されて
お前もみんなに混じって
サッカーをやってこいと言われた
すごく嫌だった
ボールの近くまで抱えられて
本当に言葉通り、無理やりだった
でも
いつの間にか
サッカーが大好きになった
人と触れ合うことが
楽しいことだと知った
あの日あのグラウンドに
放り出されることがなかったら
僕は今でも
1人で生きていたかも知れない
サッカーを通じて
人と交わることがなかったら
音楽と触れ合うこともなかったと思う
僕の物心ついた
はじめての夢はこんな先生のような
学校の先生になることだった
それでも家に帰れば
孤独感は増した
むしろ比例していたのかも知れない
学校が楽しければ楽しいほど
家での時間は苦しかった
僕は親に内緒で
祖母の家に何度も逃げた
でも逃げたんじゃなくて
ちゃんと自分を取り戻すために
必死で帰ったと思っている
そのまま父親の愛情を
理解できないまま
中学生になった
ある日ミュージックステーションを
観ていると
あるバンドが出演していた
『あるがままの心で 生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いていた 自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ』
僕の為に存在している
歌のような気がした
僕に歌ってくれているような
気がした
この日から僕の夢は
学校の先生から
ミュージシャンに変わった
それからも何度も何度も
ばあちゃんの家に帰った
籠ってたくさん音楽を聴いた
1日中hideのever freeを
聴いていたこともあった
高校生になる頃には
家族のありがたみや
父親の愛情が
受け入れられるようになった
それでも、ずっとずっと
何かあった時に帰りたい場所として
いつもそこに、心に在った
それからたくさんの時が流れて
その場所が無くなってしまうことになった
僕には、僕らには
どうすることも出来ない
大きな、とてつもなく大きな
現実を受け止めなくては
ならない時がある
命のこと、人生のこと
居場所のこと、夢を追い続けること
一生やりたいと思って
ここまでやってきた
一生やりたいと思ったことを
それが叶わなかったとして
14歳からたった20数年で
どうして諦められる??
どう考えても
諦められないことの方が自然で
諦めることの方が不自然に思えてしまう
ネジが外れていても、バカにされても
自分の居場所がそこにしか
なかったら
まずはちゃんとその場所で
叫んで足掻いてもがいて
自分はここにいるってことを
アピールするべきだと思う
現在36歳
僕の夢はまだあの頃のまま
ミュージシャンです
でも今年、20数年ぶりに
夢が増えました
それは
みんなの居場所を作れる
大人になることです
やっぱり多力本願
@tarihonn でのみんなとの出会いが
とても大きく影響しています
少年時代の僕みたいな
精一杯1人で自分を守ってる
人のために居場所を作りたいなと
思いました
建物や休む場所がそこにあるわけではなく
心の拠り所として
消して消えることの無い
安心して集まれる場所を
そしてみんながみんなの存在を
誰かに知ってもらえる
コミュニティを
ちゃんとサヨナラとありがとうが
言えたかもわからない
でもまだまだ
ここから自分にできることがあると
信じて、、、
今まで守ってくれて
ありがとうございました!!
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