わたしの好きな会社の話 #1
多分トータルで20社くらい、いや世界中の企業を合わせたらもしかしたら50社くらいは好きな会社があるかもしれない。その中で近しい人がやっていて、さらにはその取り組みがとびっきり素敵みたいな人がいたら、めっちゃみんなに伝えたくなる。そうやって、ずっとわざわざをやってきた。ここのこれおいしいから皆んなに食べてもらいたい!このプロダクト、めっちゃ使いやすいからみんなに知ってもらいたい!すっごい好きな会社があって、その会社の取り組みを紹介したい!
わざわざの原点は、「わたしの好き、みんなはどう思う?」
好き?それとも嫌い?どっちでもいいよ。買うって行為で表してね。
っていうことで始まってる。おいしいもまずいも意見は特に求めてなくて、
好き=買う
普通と嫌い=買わない
好きな人が増える=売上高が上がっていく
嫌いな人やどうでもいい人が増える=売上高が下がっていく
そういうことだと思っていて。市場がどうのこうのも、みんなが何を欲しいのかもそんなに気にしていない。わたし達の好きはみんなにとって必要か?っていうものさしがあれば、会社の必要性もわかって、売れないってことは社会にとっていらないという答えなので、潰れたらいいと思ってる。
で、わざわざっていう会社も、みんなにとっても必要であり続けることができるのか?という問いを持っていて、まぁ、要らなくなったら潰れるんだろうから、必要であり続けることってことが企業にとっての生命線なんだろう。
さて、好きな会社がある。
(株)うなぎの寝床の代表の白水さん(ここから先はしらくんと書きます)は、わたしの経営者人生の中で一番長い付き合いになっている。わざわざは2009年に個人事業主としてスタートしていて、うなぎの寝床は2012年の夏にスタート。その2012年の夏に初めて一緒にイベントをやったのがきっかけで、それからもう7年も取引したりしなかったり、イベントしたりしなかったり、何もなくともしらくんとご飯を食べたり。お互いの仕事のことを話しながら切磋琢磨してきた。
わざわざとうなぎの寝床の年間の売上もほとんど同じくらいで、スタッフの数も一緒くらい。一人で始めた(わざわざ)、二人で始めた(うなぎの寝床)ことから始まって、同じような成長カーブを描きながら毎年規模感が揃ってくる。今は共に2億5000万くらいで、従業員は20人くらい。大体いつも同じくらい。業種は全く違えど、フェーズが似てくるので出てくる問題は近いが、それの解釈と対応策はいつも全く被らない。全然考え方が違うのに、同じ方向に成長していくのが、面白くて仕方なくて、時々意見を交換しながら進んできた。
で、ここ数年はうなぎの寝床の主力商品でもある「もんぺ」を、会場にものすごい数を並べて販売するっていうのをやってきた。もんぺは伝統性能から機能性まで本当に素晴らしいプロダクトで、週の半分はもんぺを履いている。もんぺの話は去年ものすごくたくさんのnoteを書いたのでぜひ読んでほしい。
もんぺはスペックと伝統がかけ合わさった最強情報ウエアだという話。
ファッションの概念自体の変化と、価値観が変わったという話。
実際のところどんだけコーディネイトできるの?結構面白いので読んで。
一つの取引先の一つの商品をこれほどまでに熱く語り、熱く売るという行為をうなぎの寝床の商品以外でしたことがない。絣の織元にも何度も足を運んでいるし、多分この7年で10本以上もんぺを購入して履きつぶしてを繰り返して、見て、聞いて、履いて、分析して、文章に書き起こし、年々もんぺに対しての知識も愛着も深まっていると感じている。
うなぎの寝床という会社について語る、
わたしの話を聞いて欲しい。
しらくんほど雄弁にうなぎの寝床を語れる人間はいないだろうが、次に語るならばわたしだと思っている。みんなはどう思っているか知らないけど、うなぎの寝床はもんぺのメーカーでも、アンテナショップでもない。
2012年7月(だったと思う)、うなぎの寝床は福岡県筑後地方の伝統工芸品を集めて展示販売する「アンテナショップ」としてスタートした。創業者はしらくんとはるくんの二人の若い青年である。大学を卒業したばかりであった彼らは「九州ちくご元気計画」という、厚生労働省の事業で推進員の仕事をしており3年間の任期を終えた。その後、元気計画で商品化されたプロダクトを県内で見ることができないという問題解決を図るために「うなぎの寝床」というアンテナショップを作った。それがスタートであった。
わたしはしらくんがその当時に書いていたブログの隠れファンで、九州に変な男の子がいてめっちゃ面白い情報発信をしているなとそっと数年観察をしていた。店をやるというので、すぐにメールかツイッターかなんかでアポイントを取って、一緒にイベントをやらないかと誘ったのが出会いのきっかけであった。当時わざわざ3年目、うなぎの寝床1ヶ月目の8月だった。
概念が進化する「うなぎの寝床」
地域性で編集したアンテナショップからスタート
九州ちくご地方の伝統工芸品のアンテナショップというコンセプトはもちろん素晴らしく、全て買取した商品を店に並べて紹介するというスタイルは当時から際立っていて、これが出来立ての店なのかと衝撃を受けた。
ショップではない。ちくご地方のプロダクトの紹介というコンセプトなので、そこにあるものを網羅して並べるという幅広い商品ラインナップと、その地域の特性を一度に見られるという展示方法は、当時から抜きんでていた。
編集せずに博物館的に見せるというものさしが新しかった。世には「わたしの」という独自基準でセレクトされた店ばかりであったのに、うなぎの寝床はただ地域で括るといういたってシンプルな編集方法を用いていた。最高にかっこいいと思った。しかし、この時点ではあくまでも<小売店>であったように思う。
もんぺメーカーとしての活動へ
うなぎの寝床が開業してから2年目の2014年だったと思う。久留米絣を使用したもんぺを織元から買い上げて「もんぺ博覧会」を数年間やり続けたことを発端として、オリジナルプロダクトの「現代風もんぺ」が誕生する。戦後の活動服であったもんぺの動きやすさはそのままに、現代風にシルエットがスリム化されたもんぺをオリジナルとして開発して、販売がスタート。わざわざもすぐにこのもんぺを卸してもらい販売をスタートさせた。
現代風もんぺの誕生のきっかけはこちらの型紙。久留米絣を利用して、しらくんの奥様が作ったもんぺをきっかけに型紙を起こし、その型紙を販売していたら、この形のもんぺが欲しいという要望がどんどん増えていって、オリジナルのもんぺの製造が始まった。つまりは元々は型紙からスタートしている。型を売ってるのに、製品にするっていう発想がまた面白い。
ここから展示会にガンガン出店して、生産数を増やして、全国に取り扱い店が増え、もんぺはブレイクして、一気に会社は成長していったのを横目で羨ましく見ていたのをよーく覚えている。わざわざが3000万くらいの売上でヒーヒーいっていた時に、うなぎは8000万を超えていて、すげーすげーって言ってたのを覚えてる。あぁ、ユニクロみたいになっちゃうのかもって思ってた時期がこのくらいの時。
地域特性を外す日が来た。
わたしの中で勝手に思ってたうなぎの寝床を縛るなぁと思っていた「地域特性」。九州地方のアンテナショップと謳うことによって、特性は担保されるけど、行動範囲やリサーチ力を活かしていくにはちょっと限定的すぎるんじゃないかと思ってた枠みたいな隔たり。地域特性が際立っている羨ましさも感じつつ、しらくんと話す度に感じる視野の広さが活かせないなぁと、もどかしくも思っていて、いつも話を聞きながらちょっと複雑だった。だけど、しらくんは簡単にそれを破った。
「地域以外のものを扱う」と聞いた時に、「ぶれるなー」とまた杞憂して、だけど面白そうだなとも思って、今までと正反対のことを言い出したしらくんをめっちゃ面白いと思った。よくよく聞いてみると、地域のプロダクトを紹介する<うなぎの寝床>と、九州地区以外のプロダクトを紹介する<寺崎邸>という両極端の二軸の店舗を同時並行することによって、日本の地域に根ざした良質なプロダクトを紹介するという、さらに大きな枠組みに昇華させた新しい概念の登場だった。
こうして、店が二軸になり、小売店としての<地域活動の紹介>の機能を果たしつつ、地域特産である久留米絣の<もんぺメーカー>としての地位の確立。アンテナショップから確実に進化していくのを目撃していった。
他産地とのコラボ。
<もんぺメーカー>という側面と<地域活動の紹介>は徐々にリンクしていくことになる。他産地の織物をもんぺという型に落とし込み、日本全国の織物の産地の生地をもんぺという型に落とし込む、<産地コラボもんぺ>が登場する。さらには日本に留まらず、世界の産地とコラボするという取り組みが始まり、それと並行して世界のデザイナーがデザインした柄を久留米絣で表現するという取り組みも始まった。
しらくんの側から見たら意味不明の日本全国や世界各地への飛び回り方が、こうやって昇華されて、いつの日にか、扉が開くみたいに概念が昇華する。ただの物事の羅列で点在していたことが、或る日突然化学変化して繋がって、シナプスの伝達みたいなイメージで、バコンバコンと音を立てて何かが繋がっているのを何度も目撃した。
さらに型の概念の進化。180SKUの狂ったTシャツ。
しらくんの飛び方に、もしかしたら、一番驚いたのがこのKATA-Tシャツの登場だったかもしれない。わざわざでもお世話になっているyohakuさんとのコラボ商品であるうなぎの寝床のKATA-Tシャツ。yohakuさんはカットソーについて変態的な知識を持ち合わせている恐ろしくマニアックな会社で、わたしも代表の渡辺さんの大ファンである。うなぎの寝床のコンセプトからしてyohakuとコラボすることが考えにくかったのもあるし、しらくんがTシャツをやりたがっていたのは聞いていたけど、どうやって理念やコンセプトに合わせていくのか皆目見当がつかなかった。
だから、yohakuさんとTシャツを作っていると聞いた時も、ブレるのかな?と心配になったし(笑)、そのコンセプトの落とし込み方は想像がつかなかった。
そう、型である。KATA-Tのカタは型である。
もんぺは同じ型に対して、久留米絣の多種多様な色柄を合わせることによってバリエーションを作っていた。同じ型なのに、色柄が違うためにものすごい種類があるように見えてしまう。同一の型で選べる範囲が猛烈だいう、ある種、毎年デザインやパターンを変えるファッションブランドからしたら、ずるいともとれる凄技のラインナップを作ることができたのがすごかった。
そして、今度は一見同じように見えるTシャツの、糸、編み方を変えて、同じ型なのに、着心地が違うという、<型>の概念を使いつつも全く違う表現をしたKATA-Tシャツが販売となる。5サイズ、4色、3型の、生地三種類。とうことはつまりは5×4×3×3=180SKU。オーマイガー狂ってる!!!!
まじ、狂ってるよ!!
例え1枚ずつ生産したとしても180枚の在庫。10枚で1800枚。100枚で18000枚。バカでしょう。倉庫に格納することを考えるだけで頭が痛くなる驚異のSKU。聞いたことがない。だけど、別に見た目は全くの普通なので、はっきり言って着ないと全く良さがわからない。つまりはわかりにくいのだ。
同じ型という概念から生まれたもんぺとTシャツ。一見にして同じコンセプトだとは誰もわからない。だけど、着心地という点において、どちらも最高峰であるということは言える。型の概念の昇華には、全くもって完敗した。もちろんわざわざでも一部ではあるが取り扱っている。
うなぎが狂ってるから、わざわざも狂った着画で勝負!
左からサイズがだんだんと大きくなっている。
地域文化商社としての役割
ある時からしらくんは、うなぎの寝床の役割を<地域文化商社>と名乗るようになった。
言いえて妙。うなぎの寝床の活動の大枠はこの言葉で殆ど説明できるようになった。正直言って、すごいと思う。完敗を何度感じたかわからないし、自分にはない大きな視点をもたらしてくれることに、何度心の中でありがとうと言ったかわからない。
わたしはうなぎの寝床の活動を応援したい。だから、今日もうなぎの寝床の商品を売り、うなぎの寝床の活動を広めるためにnoteを書く。未来のために必要な役割を果たす会社をただただ応援したい。
今、イベントの真っ最中。みんな来てください。
そんな福岡県のうなぎの寝床と兵庫県のtamaki niimeの二つの会社のプロダクトを一挙に集めた「圧倒的な物量で勝負する」というイベントをただいま、わざわざ2店舗目の問touで行なっています。やばいです。はっきり言ってフラッグショップ。物量はおおよそ3000点ですが、写真を見てください。
イベントレベルを超えています。
これ、本当にイベントで設営したんですよ!笑。
しらくんも笑う物量。
狂ってます。笑。みんなに来て欲しい!!!会期は今週と来週しかないから来て来て来て!来れないならこのnoteを広めて欲しい。すごいんだから。
イベント開催日時
7/4(木),5(金),6(土),7(日),11(木),12(金),13(土),14(日),15(月)
11時から16時
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場所
問tou 長野県東御市八重原1807-1
芸術むら公園内 憩いの家
・
6(土)11:30よりスペシャルトークイベント
うなぎの寝床代表 白水高広氏×tamaki niime代表 玉木新雌氏(遠隔参加)×わざわざ 平田はる香の3者によるトーク。1drinkオーダーで誰でも参加できます
ということで、今日は好きな会社を紹介しました。明日はtamaki niimeを書かなきゃだけど、今日も時間かかったーーー。伝えたいから伝えたい。がんばろう。では問touでお待ちしております!!!