【『新型コロナからの気づき(2)』に寄せて 】①自己実現と安全保障を支えた、人とのつながり
[画像]鳥取県の航空自衛隊美保航空基地・美保管制隊の航空管制業務の光景。同基地は柳澤氏がかつて呉防衛施設局に赴任した際、管轄内でも有数の規模の防衛施設だった。大型の輸送機が同基地航空祭の名物であるが、そうした航空機の運用はこうした無数の隊員たちに支えられている。
(出典:航空自衛隊美保航空基地ホームページ「美保管制隊」よりhttps://www.mod.go.jp/asdf/miho/about/butai/atcs/index.html)
論考で、柳澤さんは「仕事とは人のつながりであり、モノを売るのではなく自分の人柄を売るものだ」と語っています。これは単なる警句である以上に、人のつながりとももに駆け抜けてきたご自身のキャリアを物語る部分です。
安全保障の世界は、弾道ミサイルをいかに迎撃するかといった抽象的な議論に目が行きがちですが、議論の陰に日夜安全を支える人の泥臭いつながりがあります。ここでは柳澤さんのキャリアから、そんな防衛官僚と自衛隊の現場の方々、さらに政治の世界とのつながりを垣間見ていきます。
人のつながりが育んだ、防衛官僚としての自己実現
防衛庁の政策決定に近い部署に配属される前は、より現場に近い部署で勤務されたこともある柳澤さん。呉防衛施設局(現、中国四国防衛局)や訓練課長時代には、自衛隊や米軍の訓練に伴う地元の人々との折衝に当たる日々でした。
基地には地元との摩擦がつきものです。航空機がいれば、周辺音騒音が必ず問題になります。海上演習には地元漁協の協力が欠かせませんし、人里離れた山麓での射撃演習でも騒音や安全性の問題は起こります。
(柳澤協二『自衛隊の転機-政治と軍事の矛盾を問う』NHK出版、2015年-P.25-26)
トラブルが起きてしまった時に逆に信頼関係を深めていくことで、柳澤さんに仕事を通じたつながりの輪が広がっていきました。
事故や新たな提案に対して、周辺の自治体や関係団体では、最初は必ず厳しい反応があります。とにかく足繁く通い、ひざを突き合わせて話を聞き、説明を繰り返すことによって信頼関係が生まれるということも実感しました。それは、個人としての信頼関係でしたが、同時に、私自身の立場が、相手にとっては米軍や自衛隊の代表または代理人ということですから、私への信頼を通じて自衛隊への信頼をつないでもらうという意味で、やりがいのある仕事でした。
(柳澤協二『自衛隊の転機-政治と軍事の矛盾を問う』NHK出版、2015年-P.26)
[画像]山口県総合防災訓練で、錦帯橋上空を飛行する救難飛行艇US-2。US-2などを運用する山口県の岩国基地も、柳澤氏勤務時の呉防衛施設局の管轄内の主要な防衛施設の一つだった。
(出典:海上自衛隊岩国航空基地HPギャラリー「山口県総合防災訓練にUS-2参加」よりhttps://www.mod.go.jp/msdf/iwakuni/about/gallery/gallery010609.html)
自衛隊と政治をつないだ果てに、出会った言葉
防衛庁の中枢に入ると、現場の自衛隊員と大臣・政府をつなぐことが柳澤さんの防衛庁・運用局長としてのの大切な務めとなりました。
運用局長(※2015年6月の防衛省設置法12条の改正で「運用局長」のポスト名は廃止)という役職は、自衛隊員(「制服組」)と防衛官僚(「背広組」)双方の幹部クラスの要望を吸い上げ、双方にフィードバックしながら政策を調整していく重要なかすがいの一つでした。
それぞれの立場はありますが、仕事を円滑に進めるには、背広組と制服組の幹部クラスの信頼関係が欠かせません。特に運用局長は、制服組のカウンター・パートである幕僚幹部の防衛部長とは阿吽の呼吸でなければ仕事になりません。陸海空の各部隊が日々行っている訓練や警戒監視を統括するのは防衛部長であり、私は彼らを通じて現場から上がってきた報告や要請を大臣に伝えます。自衛隊が置かれた状況をふまえて国会で答弁するのも運用局長の役割です。
つまり、防衛官僚は、第一義的には自衛隊と政治の結節点とも言うべき役割を担っているわけです。
(柳澤協二『自衛隊の転機-政治と軍事の矛盾を問う』NHK出版、2015年-P.24-25 ※太字は道しるべスタッフ編集)
リモートワークはすでにつながりが明確な人間関係を継続するには有効に働きますが、新たに出会った人と心を通わせるには少し工夫が必要になります。「新しい生活様式」に適応するとき、一見古臭く感じられるかもしれませんが、いかに人と心を通わせることができるかが仕事を血の通ったものとする秘訣かもしれません。
柳澤さんの防衛官僚時代の人とのつながりは、現場だけに留まるものではありませんでした。生涯の師とも呼ぶべき方との出会いがありました。
秘書官として仕え、その後も親交をいただいた故栗原祐幸代議士は、「仕事は、知識ではなく人格でするものだ」と教えてくれた。戦中・戦後を自分の意志で生き抜いた政治家の言葉には、重みがあった。
(柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争-元防衛官僚による批判と自省』岩波書店、2013年-P.184 ※太字は道しるべスタッフ編集)
この言葉は、のちに柳澤さんの仕事の一つの哲学となった言葉でもありました。退官後、自身の仕事は「人格」を以て成し遂げたものだったのか、柳澤さんは検証していくこととなります。"マスク警察"など過度な自粛を戒めた背景にあったものを、次の記事で探っていきます。
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