![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/31369319/rectangle_large_type_2_b74a78f7e21c7b00cfc0c5124806ed4e.jpg?width=1200)
『新型コロナからの気づき―社会と自分の関わりを中心に(2)人間らしく生きるとは/自粛の負の側面』(柳澤協二氏)
[画像]新型コロナ対応広告の無料イラスト(提供:株式会社Hikidashi)
人とつながることが難しい新型コロナウィルス流行期に、いかに生きがいを手にしていくのか。
【道しるべより特別寄稿のご紹介】
前回の論考で「不要不急」の言葉の裏に隠れた行政の不作為を紐解いた『新型コロナからの気づき―社会と自分の関わりを中心に』。
https://note.com/guidepost_ge/n/n852c601e5483
今回は、新型コロナウィルスが分断することとなった人とのつながりに、人間らしく生きていくヒントを見出す論考です。
人間らしく生きるとは、どういうことか?
生物学的な意味を超えて”人間らしく生きる”とは、どういうことなのか。伊勢崎さん(伊勢﨑賢治東京外国語大学総合国際学研究院教授)のジャズでもネットで配信するアーティストでも、共通するのは”人に伝えること”です。私なりの言葉で言えば、それは”自己実現”なのですが、 自己実現のためには社会とのつながりが必要です。一人で風呂場やトイレで歌い、演奏しても、それは自己満足であって自己実現にはならないのです。
[写真]伊勢﨑賢治東京外国語大学総合国際学研究院教授による、ジャズライブ(吉祥寺のジャズ喫茶メグにて、スタッフ撮影)。新型コロナウィルス流行に伴い、数々の会合が自粛を余儀なくされた。伊勢﨑教授のライブも難しいかじ取りを迫られた。
人生は、もともと制約に満ちており、”やりたいことを、やりたいようにやれる”のは、極めて限られた人だけです。コロナがあってもなくても、欲求の充足には多くの制約があります。カネがない、ヒマがない、才能がないのは仕方がない。さらにコロナによって追加された制約は、”人と会ってはいけない”ということでした。
“人と会わない”という制約は、結構きつい。”仕事のやりがい”も”家族のぬくもり”も、人とのかかわりのなかで自分が必要とされている実感から生まれます。人の自己実現にとって、人とつながることは必要条件なのだと思います。
思うようにできない制約のなかで、自分の存在を確認する、あるいは、自分にご褒美をあげたくなるような自己肯定感を保つことが幸福であり、言葉でも態度でも、それを達成していくことが自己実現です。そういう生き方が”人間らしい生き方”だと思います。
[画像]新型コロナ対応の無料広告イラスト(提供:株式会社Hikidashi)。感染流行の中、注目が集まるテレワーク成立に不可欠な前提とは。
「新しい生活様式」が語られています。 一言で言えば、人と会わなくてもよい生活です。そこでもカギは、それが自己実現につながるかどうかだと思います。決められた手順・目的があり、自分の役割が決まっていれば、ネットで仕事ができるかもしれません。しかしそれには、自分の位置づけや相手の立ち位置がわかっているという前提が必要です。
私のように、”仕事とは人のつながりであり、モノを売るのではなく自分の人柄を売るものだ”と考えてきた”古い人間”には、そこが理解できません。
余暇はどうか。私のような年寄りでも、テレビの旅番組やグルメ番組を見れば、満足するより行きたい欲求がつのります。まして、体力がある若い人たちは、見るだけでは満足が得られないと思います。仕事は家にこもってできたとしても、余暇で外に行くのでは、感染防止の観点から見れば意味がない。
これから数か月、コロナに伴う自粛は続くでしょう。新しい制約のなかで、独りよがりでない自己肯定感を持ち続ける、そのために人とつながることの大切さがますます高まっていくと思います。
自粛の負の側面はどうして生まれたか?
“自粛”というのは、個人に起因する制約ではなく、まぎれもなく社会的制約です。その意味は、感染の機会を減らすためであって、”うつされたくない”という動機と共に、”他人にうつしてはいけない”という動機があるのだと思います。
“愛する人を守るために”という自粛要請の言い回しが気になりました。これは、”うつされたくない”気持ちに訴えています。しかしそれは、”うつすヤツは敵”という発想につながります。案の定、”自粛警察”や”マスク警察”といった現象が生まれています。
[写真]新型コロナ対策の無料広告(提供:株式会社Hikidashi)。
コロナ対策にも、節度が求められている。
営業自粛も、マスクや検温も、“うつされないため”ではなく、”うつさないため”の手段です。”そこに敵がいる”からではなく、”自分が人にうつしてその人生を台無しにするような敵になってはいけない”という配慮です。
そこではじめて、社会的制約と自己実現が同じ根っこでつながってくる。”敵かもしれないヤツはやっつける”のであれば、敵でない人への仕打ちをどう正当化するのか。そういう自分を無条件に肯定できるのだろうか。一方、”人にうつさない努力をした自分”は、無条件に褒めてあげていいのだと思います。
自己実現にとって最大の機会は人とのつながりであり、最大の制約もまた”人とのつながり”です。その制約とは、一言で言えば、”自分の都合で他人を傷つけてはいけない”というルールに縛られていることです。だから、マスクをしなければいけないし、体調が悪ければ出かけてはいけない。
ネットによる誹謗中傷が話題になりますが、他人を攻撃して欲求不満を解消しても、自己実現にはなりません。ネット上の自分は匿名であって、リアルな自分ではない。玩具のお金を持っても金持ちになれないのと同じです。ネット上の誹謗中傷は、”他人を傷つけてはいけない”というルールに反し、”他人に共感してつながる”という機会を逃しているといえるのです。
【執筆者紹介】
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
東京大学法学部卒。防衛庁(当時)に入庁し、運用局長、防衛研究所所長などを経て、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。