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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(7)音と掛け合いが紡ぐ、インド音楽(②近代化と伝統編・授業風景)

[画像]南インドの伝統舞踊バラタ・ナーティヤムで、ポーズを決める女性。純粋舞踊のヌリッタと表示的な意味を持つ舞踊のアビナヤの二つの要素が踊りを組み上げている。
(出典:5D*Guy "Bharatanatyam"
https://www.flickr.com/photos/7dguy/5144691666/(accessed November 8th,2020)) 

 映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。「音と掛け合いが紡ぐ、インド音楽」編では、タゴール・ソングの土壌となっているインド音楽の成り立ちに迫ってまいります。

 インド映画編では、現代の娯楽の王様である映画には古典音楽のエッセンスが散りばめられていることをご紹介しました。インドの音楽文化はいかにその伝統的なエッセンスを今まで受け継いできたのでしょうか。
 今回はインドの大学での音楽の授業風景を入り口に、近代化の波に乗ろうと奮闘した伝統舞踊バラタ・ナーティヤムの変革の歴史にタイムスリップしてまいります(※バラタ・ナーティヤム編は近日公開)。一連の光景から、時代に合わせ変革を遂げつつも、良いと思うものは受け継いでいくインド文化の懐の深さが垣間見えてきます。

■口と耳で技を盗む授業風景

 日本で音楽の授業の風景を想像すると、大きなピアノが置いてあって、先生の伴奏に従って生徒が合唱する様子を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。インドのデリー大学に留学し音楽を勉強した音楽学者の井上貴子氏は、あまりの授業風景の違いに驚いたそうです。
 デリー大学に到着した彼女を待ち受けていたのは、ピアノの代わりに古典音楽の楽器タンブーラだけが置いてある教室でした。

 さて、大学に到着し、初めて教室をのぞした。床にはじゅうたんが敷き詰められ、タンブーラ(伴奏に欠かせない弦楽器)が一台置かれている。棚の上にはガネーシャ神(象の頭をもった神)の肖像画が飾られている。何とも殺風景な風景だ。椅子も机もオーディオ機器も、そしてピアノも、今まで日本の音楽学部で慣れ親しんできたものは何もなかった。
([出典]辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.238)

タンブーラと楽譜

[画像]インド古典音楽の楽器タンブーラと楽譜。
(Olivera Radosavljevic"Tambura"https://www.flickr.com/photos/oliveraphotos/5482222685/(accessed November 8th,2020))

 そこで先生が行う授業は、丁稚奉公が息づく前近代を思わせるものでした。先生が予め教える歌を口で歌詞とリズムを伝えておき、続けて先生が歌う模範演奏の後に繰り返し生徒が歌い続けます。学生は必死に歌詞を書き留め、実際に歌うことでリズムを体に馴染ませていきます。

 楽譜は使わず耳で音楽を覚えなければならない。まず、先生がこれから習う歌のラーガとターラと歌詞を口で言う。学生たちは生協の安いノートにポタポタとインクの落ちるボールペンですばやく書き取っていく。私はまったく書き取れないどころか、歌詞が何語かもわからない。隣の学生に頼んで、私の分もローマ字で書いてもらう。それから、先生の模範演奏の後について歌う。歌えるようになるまで何度でも繰り返す。あっという間に一時間経ってしまう。
([出典]辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.238)※太字は道しるべスタッフによる)

 井上氏はいくら歌っても覚えられず、先生に許可を取って歌を一節ずつ録音し、帰宅してはカセットテープで何度も聴き直したそうです。そうすることで歌をものにし、徐々に授業のスタイルにも慣れていったそうです。

■伝統を守るための、しなやかな抵抗

 インドはイギリスの植民地支配下で、イギリスから近代社会を形作るあらゆる制度を移転されていきました。近代的な教育制度もイギリス人により導入されましたが、その目的は*嗜好・判断・道義・知性においてイギリス人であるインド人の階層を形成することで、植民地行政の担い手を獲得することでした。そうした目的から、教育は英語による西欧的学問に力点が置かれていました。
(*内藤雅雄・中村平治編『南アジアの歴史』株式会社有斐閣「第6章植民地インドの形成」P.130)
 インドの独立への過程は、まさに民族としてのアイデンティティを再確認していくものでした。近代的な社会の建設のために種々の近代化改革が行われるともともに、民族としての伝統文化を継承していく運動も盛んになります。

 ピアノという西洋音楽を象徴する楽器のない教室は、伝統音楽に重きを置くインドの大学のカリキュラムを象徴しています。井上氏の留学当時、大学の講義要綱で西洋音楽は予備知識の一つとして挙げられる程度でクラスでもノータッチ、勉強できる場所も都市部のごく少数の専門学校のみだったそうです。
 歌をあくまで体で覚えるものというインド音楽の発想は、楽譜にも表れます。西洋では細かな約束事を記した楽譜は作品として提出を許されますが、インドにはあくまで歌って見せなければ音楽ではないとする風土があります。そのため、インドの楽譜はあくまで大まかな旋律線を記すだけです。

(……)インド人は紙を音楽と思っていないから、歌ってみせないと納得しないだろう。音楽は、口と耳を通じて、師から弟子へと受継がれてきた。外枠として近代的な学校教育制度を取入れた現在でも、個人レベルでは昔のままの方法が用いられている。
(中略)
 近代的な教育システムと伝統的な教授方法、一見矛盾するようなこの二つは、互いの欠点を補い、よりよい方向への発展をめざして、インド自身が選択した方法なのである。この方法は、伝統音楽にどのような影響を与えるのであろうか。伝統の存続に寄与するか、それとも改革の方向へと向かわせるか。
([出典]辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.238)

 インド人は近代的な手法と、伝統文化の哲学を融合しようと挑戦してきました。その挑戦の軌跡を、次は伝統舞踊バラタ・ナーティヤムに見てまいりましょう。

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