Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(12)風になびく帆―①ベンガルに降り立ったクライヴ
[画像]ロンドンにある、ロバート・クライヴ銅像。彼の時代にイギリス東インド会社がベンガル地方の支配権を確立し、イギリスのインド統治への道が開ける。(出典:Sarah A. "Clive"https://www.flickr.com/photos/butohmedusa/6273644242/
(accessed December 9th,2020))
(【修正】小見出し編集、Twitterリンク追加 2020.12.18)
モンスーンの風に旅路を重ねて
映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。劇中に登場するタゴール・ソングにあやかった「風になびく帆」編では、いよいよタゴールの生まれ育ったベンガル地方に迫っていきます。
あなたの風が帆になびいた あなたの風が帆になびいた
もやいが ほどけた 私は川に身を任せよう あなたの風が帆になびいた
朝は無駄に過ぎ あなたを想い続けて日が暮れる
私を岸辺につなぎとめないで 私は川に身を任せよう
あなたの風が帆になびいた あなたの風が帆になびいた
(【出典】『タゴール・ソングス』公式パンフレットP.36)
「あなたの風が帆になびいた」は、「あなた」にどんな人を思い浮かべるか、舟が岸を離れる様子に何を連想するのか、見る人に多種多様な味わいをもたらすタゴール・ソングらしい歌です。劇中で古典的な演奏会でも、現代のインディーレーベルのギター演奏でも、アレンジ次第で違和感なく歌い手に馴染みます。
「風になびく帆」では、風に任せ進む舟のように、ベンガル地方の歴史や風俗に様々な角度から迫ってまいります。このシリーズでは、インドをはじめとするインド洋、ユーラシア大陸の気候を左右するモンスーンに船と帆を預けてみましょう。
インドは、インド洋からやってくるモンスーンがリズムを刻む土地です。古来ギリシャ・ローマとの往来を支えていたインド洋は、蒸気船が世界をつなぐはるか昔から季節風がグローバルな世界を形作っていました。
1498年にポルトガルのヴァスコダ・ガマがこのインド洋を渡りインドに到達すると、文字通り地球規模のつながりが生まれ、インドはヨーロッパ諸国の覇権を争う場所となります。
[画像]インド南部コーチン旧市街沿岸に残る砲台跡。ポルトガルの進出以降、インドはヨーロッパ諸国が勢力を争う土地となる。
(2015.03.12 道しるべスタッフ撮影)
18世紀についにはイギリスがフランス勢力を追い出すことに成功し、大英帝国の繁栄の基礎を築くこととなります。その立役者ロバート・クライヴがベンガル州の支配権を獲得したことが、イギリスによるインド支配を運命づけます。イギリスとの商売で地位を築いたタゴール家は、こうした変化に便乗し繁栄の糸口をつかみ取ります。
今回と続く回では、たった一人で世界史を変えてしまったとも言われるクライヴを通じて、コルカタとイギリスの運命的な接触を紐解いていきます。モンスーンの風に乗り、ベンガル地方の時間の流れと魅力をたどってみましょう。
イギリス東インド会社のインド進出
マンゴーの木はタゴール・ソングにも登場するベンガルの人々になじみ深い植物です。土地の平安を象徴するような植物ですが、時にその林をただならぬ緊張感が支配していました。
クライヴの軍隊は翌日に河を渡るため、日没後、カルカッタ北部にあるプラッシー近くの、敵から一・六キロ以内のマンゴーの林のなかに野営地を設置している。クライヴは敵の野営地から発せられるドラムやシンバルの音を聞きつつ、横たわりながら寝ずに夜を過ごした。この時の彼ほどプレッシャーと不安に苛まされた人間はいなかったろう。
([出典]ロバート・カプラン著、奥山真司・関根光宏訳 『インド洋圏が世界を動かす―モンスーンが結ぶ躍進国家群はどこへ向かうのか』株式会社インターシフト 第9章「コルカタ、未来のグローバル都市」P274
※太字は道しるべスタッフによる)
さかのぼること255年前、1765年の6月22日、イギリス東インド会社の軍隊はベンガル地方を支配下に置く太守シュラージャ・ダウラの大軍勢と対峙していました。戦端を開く前日、指揮官のクライヴは*20倍にも及ぶベンガル太守軍を相手にするプレッシャーと向き合っていました。
(*資料によっては、3万人VS6万8千人など2倍程度の差とされることもあります。)
イギリス東インド会社は本来は単なる貿易会社にすぎません。しかし、全土に王族が割拠するインドで商業活動を安定的に営むためには、本国の支援を待たずとも戦える軍事力が必要でした。そのため東インド会社は独自の軍事力を与えられ、会社職員は時に兵士として戦場に駆けつけました。本国のはるか遠くの地で現地人を相手にするのみならず、世界各地で植民地争奪戦を繰り広げるフランス軍などと対峙するのは、実にタフな仕事でした。
クライヴが東インド会社の職員としてインドの地に足を踏み入れたのは、若干18歳の時でした。
この頃はイギリス東インド会社はまだ南のマドラスを支配下に置いているだけで、現地ではフランスが勢力を拡張しつつありました。21歳のクライヴは会社で最も低い書記官の地位から、マドラスでのキャリアを始めます。気分屋で自殺願望もあったとされている彼が、頭角を現し始めるのはイギリス東インド会社に試練が訪れた時でした。
[画像]オールドデリーにあるムガル朝期の砦ラール・キラー(レッド・フォート)内の歴史博物館の絵画と刀剣。この時代、すでにインドでも大砲が登場し始め、戦闘の様相を変え始めていた。
(2020.03.07道しるべスタッフ撮影)
クライヴの世界史への登場
クライヴは26歳にして、イギリスのピンチを救う活躍を見せます。
イギリスの代理人が守るベンガル湾の砦にフランス勢力が押し寄せた時、彼はわずかな手勢を用いて形勢を逆転しようとします。砦の窮地を救うために砦ではなくあえてフランスの拠点都市を攻撃し、敵軍を分散せざるを得ない状況を作り出します。
クライヴ自身も敵軍の激しい攻撃に遭いますが、カリスマ的なリーダーシップを発揮し味方を結束させ、戦況を脱します。この逆転劇をきっかけとして、イギリス東インド会社はマドラス周辺のインド南部で支配権を拡大していきます。
軍隊の指揮のエッセンスはリーダーシップ、もしくは「勇敢な決断」―とくに逆境において部下を結束させ自在に動かせる能力―にあるという点から考えれば、クライヴはほとんど軍事的訓練を受けていなかったにもかかわらず、生まれながらに身につけていた軍事指揮官としての能力を発揮し始めた。
([出典]ロバート・カプラン著、奥山真司・関根光宏訳 『インド洋圏が世界を動かす―モンスーンが結ぶ躍進国家群はどこへ向かうのか』株式会社インターシフト 第9章「コルカタ、未来のグローバル都市」 P268
※太字は道しるべスタッフによる)
そんな彼が次に直面した敵が、インドでも最も肥沃な土地とも言われていたベンガル地方のベンガル太守シュラージャ・ダウラでした。
イギリスはムガル帝国のもとでベンガル地方を治めるベンガル太守に商業活動の許可を得て、カルカッタ周辺で活動をしていました。彼は太守に就任するとイギリス人を敵視する姿勢を鮮明にし、イギリス側の要塞を陥落させイギリス人男女数十人を狭い牢獄に押し込め大勢を圧死に追い込みます。
後にイギリスの運命を変える、クライヴのベンガル地方への出陣が始まりました。
東インド会社の命でクライヴは1000人余りの兵士を率いてカルカッタに進軍し、ベンガル太守軍を潰走させることに成功します。和平交渉も行われたものの、フランスと連携し挟み撃ちしようとするベンガル太守の計略をクライヴが阻止するなど対立が続き、1757年6月23日、両軍はカルカッタ北部のプラッシーで激突しました。世界史に名高い、プラッシーの戦いです。
次回はこの戦いの趨勢と後のインドへの影響と、さらにはタゴール家の登場をお届けします。どうぞお楽しみに!!
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