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Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」(17)音と掛け合いが紡ぐインド音楽(③ラーガとターラ編)

[画像]スィタール、ハルモニウムなど、インド音楽でポピュラーな楽器の数々と笛を吹くクリシュナ神の像。インド神話で人気の高いクリシュナ神は笛を吹くのが得意な神様でもある。
(https://www.flickr.com/photos/28548511@N04/2669166206/in/photostream/govindashakti1 "Govindaji y sus instrumentos" accessed January 12th,2021)

 映画『タゴール・ソングス』の世界にまつわる記事をお届けする、Turnout「映画が開く、タゴール・ソングの100年」。「音と掛け合いが紡ぐ、インド音楽」編では、タゴール・ソングの土壌となっているインド音楽の成り立ちに迫ってまいります。

 これまで現代の音楽シーンを彩る映画音楽の存在、独特の授業風景と伝統舞踊の復興に文化を守り抜く強かさを紐解いてきました。今回はインド音楽の本質に、ラーガターラという二大原則を見出してきます。そうしたインド音楽の深層部に迫ると、実は作り手とともに聴き手の掛け合いが音楽の完成に欠かせないという驚きの芸術観に巡り会います。

■音を愛でるインド音楽

 インド音楽は映画音楽の回でも触れた通り、一口に言っても多様性にあふれた芸能です。
 
 宗教歌から民謡まで網羅してしまう歌のジャンルは広範で、モダンな音楽では演奏楽器が西洋楽器まで及び、歌だけでなく舞踊がメインのスタイルも存在します。ともすれば取り留めのない芸能と感じてしまいます。

 しかし時空を超え、インド亜大陸を網羅するだけの広さをもったインド音楽にも重要な共通点があります。それは、音を愛でることです。

 大学でもピアノを使うことを拒むインドの音楽の授業では、歌はあくまで体で覚えるものという発想が前提にありました。楽譜がシンプルな様式であることも、歌は目の前で歌って見せてこそ歌であるという発想が垣間見えます。

 ピアノが普及せず、ヴァイオリンが南インド音楽に取り入れられたのも、音が途切れなく変化していく美しさを好む音楽観の表れです。

 ヴァイオリンはインド音楽の代表的な楽器の一つスィタールと同様、弦を指で引っ張ることで音から音への繊細な変化を表現することができます。階段状の鍵盤では表現できない音色を求めていたのです。

 歌い手にもこうした思想に合う歌唱力が求められて発達してきました。

インド音楽は、歌から発達した。楽器は声の性質に近づくよう改良を重ねられた。演奏家は「歌ごころ」を最も大切にしているのだ。
([出典]辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.236 ※太字は道しるべスタッフによる)

■インド音楽の二大原則―ラーガとターラ

 音を愛でる土壌で育まれたインド音楽の二大原則が、旋律の法則ラーガとリズムの法則ターラです。

【インド音楽の二大原則―ラーガとターラ】
■ラーガ
・一言で言えば、「節回し」に名前が付いたもの。
・言語になぞらえて定義すれば、
「ある 定まった音階あるいは音列(アルファベット)、音列の順序(スペルと文章法)、メロディーライン(言葉と文)、休止の方法(句読法)、音色(アクセント) によって特徴づけられる旋律システム
・通常は上行と下行の音列で表され、その中で重要な音、装飾的な音が決められ、アクセントがつけられる。

■ターラ
・インド音楽のリズムにおける、あるパターンの周期性をもった配列。日本では「リズム周期」とも訳される。
・三拍子や四拍子といった単純なものではなく、二、三、四、五などといった拍のかたまりがいくつか集まって一周期をなす。
【南北インド音楽の典型的なターラ】
 [北(ヒンドゥスターニー音楽)]
  ティーンタール:4+4+4+4=16
 [南(カルナータカ音楽)]
  アーディターラ:4+2+2=8
([出典]
・辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.235-236
・B.C.デーヴァ. 『インド音楽序説: An Introduction to Indian Music』 tengaku kikaku. Kindle 版. Kindle の位置No.1362,1950)

 私たちが馴染んでいる音楽との大きな違いは、ハーモニーを重視しないことです。西洋音楽では違う音を同時に響かせるハーモニーによる表現が発達しましたが、インドでは音の違いではなく旋律とリズムが織りなす表現に美を見出すことになりました。

 初めてインド音楽に触れた人はワンパターンな曲調に眠たさを覚えるのも無理はありません。しかし、そうした単調なパターンにインド文化の価値観を照らし合わせると、新たな音楽の世界が浮かび上がってきます。

蛇使い(トリミング後)

[画像]デリーの街中で曲芸を披露する蛇使い。このような大道芸の単調なメロディから誕生したラーガがあるほど、ラーガの概念は生活まで浸透している。(2012.2.22道しるべスタッフ撮影)

■演奏家と聴衆がともに創造する音楽

 ラーガもターラも、パターンを繰り返すことが特色です。なじみのない外国人は現地の演奏会に参加しても、ともすれば単調さにうとうとしてしまうかもしれません。

 ラーガは節回しに名前が付いたもので、同じ名前のラーガをアレンジを変えながら何時間も続けることが可能です。退屈に感じた時は現地の人々を見習って、演奏家との掛け合いを楽しみましょう。

(……)うとうと気持ちよくなるのも当然かもしれない。そんな時、インド人の聴衆のやるように、演奏家に声をかけたり拍手をしたり、積極的な態度で聴いてみよう。これはと思う場所、たとえば華麗なテクニックが決ったときや繊細なフレーズを聴かせたときに、すかさず反応を示してみよう。演奏家も喜んでますますのってくること請け合いだ。
([出典]辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.235 ※太字は道しるべスタッフによる)

 ターラは、数学が得意なインドの人々が高度な計算のもとに編み出したリズムです。そのパターンを見失わないよう、南インドでは演奏家も聴き手もリズムを数えていきます。

とくに南インドでは、演奏家も聴衆も大きな音で手を打ちながらターラを数える。一緒に数えることができるようになれば、インド音楽に対する愛着もコンサートに行く楽しみも増すことになるだろう。
([出典]辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社「音楽と舞踊」P.236 ※太字は道しるべスタッフによる)

 実はこうした聴衆の参加が、インド音楽の本質を読み解くうえで重要な要素となってきました。

 インドの芸術では創造物の美しさ以上に、作品によって引き起こされる感情など精神性を重視します。それは、インドにおいて精神と物質は同じエネルギーの異なる形に過ぎないと見なす独特の哲学によっています。

 芸術の世界では創造物自体の美しさではなく、作り手の作品が触れる人の心の中に引き起こす感情の作用こそが芸術の本質とされます。インド音楽も聴衆が参加し、音楽の歓びを感じることによって完成する音楽として発達したのです。

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[画像]南アジアでのモダンなコンサートシーン。今もインド各地で大小さまざまなコンサートが行われ、掛け合いが楽しまれている。
([出典]Hemanth N "events-4" https://www.flickr.com/photos/hemanthn/18967542716/)

■インド音楽のこれから

 古典音楽では、ラーガとターラをよく訓練した演奏家がホームコンサートのような場所で聴き手のリクエストなどを踏まえ即興で演奏します。そうしたコンサートは決められた旋律とリズムの繰り返しにアドリブを利かせ、聴き手の想像を上回る音楽に挑戦する演奏家と聴き手の極上の時間となるのです。

 実際の演奏や音楽会が、常に高度な芸術性をもつとは限らない。インド音楽は即興を主としているので、偉大な創造の瞬間はまれである。いや、 即興 という言葉は正しくない。なぜなら、完璧な即興演奏というものはないからである。ラーガとターラは、演奏会のステージに上がる前に十分に学習され、訓練さ れる。旋律や節まわしすら、ある意味ですでに作られた組み合わせなので ある。しかし主眼とするのは、演奏家が瞬間瞬間に感じつつあるラーガとターラのムードを表現することである。そのムードは単一のものである。 異なったムードの衝突もなければ、対立するムードも存在しない。もちろん単一のムードとはいうものの、演奏者の意図するバーヴァ( 感情) は、精妙なガマカ( 修飾技法)やテンポとリズムの変化によって提示される。そうした変化を、絶え間なく予測を裏切る形で表現していく。これが名人芸である。演奏表現においては、表現の対象ではなく、その対象をいかに表現する か、が重要なのである。
([出典]B.C.デーヴァ. 『インド音楽序説: An Introduction to Indian Music』 tengaku kikaku. Kindle 版.  Kindle の位置No.775-783 ※太字は道しるべスタッフによる)

 古典音楽以来の原則も時代の変化にさらされています。かつて演奏家を裕福な宮廷や地方領主が養っていた時代は、演奏家はよりじっくりと音楽と向き合う時間を手にしていました。しかし大衆が演奏家を支える時代となると、忙しない日常を送る人々の好みに合った音楽をせっせと送り出す必要に迫られています。やせ細る資金源にあえぐ演奏家が音楽の質を維持できるよう公的支援が求められるなど、スピードアップする時代への対応に追われています。
 
 しかし、それは必ずしも音楽の発展を阻害するものとは限りません。ラジオ放送やレコードなど大衆が音楽を聴く手段が登場したことで、演奏家の周りに留まらず多くの人が同時に良質な音楽に触れる機会を手にしたのです。

 今も聴き手が参加して音楽を作るDNAはインド人に脈々と受け継がれています。インド人が映画館ではやし立てたり、笑い転げたりするのも、こうしたDNAの表れではないでしょうか。

 本日1月14日に東京での再上映が終了した映画『タゴール・ソングス』もそうした時代の変化の良い例かもしれません。
 映画『タゴール・ソングス』も、海を越えてベンガルの人々の楽しみを伝えてくれました。誰しもがその歌詞に自分の想いを乗せられるタゴール・ソングにも、こうしたインド音楽のエッセンスを感じることができます。皆さんのもとに、歌の贈り物は届いたでしょうか?

 当初予定の100日間よりも延長してお届けしているTurnout『タゴール・ソングス』編も終わりが近づいてまいりました。「音と掛け合いが紡ぐインド音楽」最終回では、音に神を見出した楽聖たちの足跡を取り上げ、このディープな世界を巡るショートトリップを締めくくります。

 あとひと月ほど、タゴールの生い立ちやベンガル地方の様子、南アジア各地の景色をお届けしてまいります。映画をご覧いただいた方にも、まだご覧になってない方にも遠い異国からの贈り物が届くよう配信してまいります!

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