【緊急寄稿】ロシア・ウクライナ侵攻からの気づき(2)―「戦場の霧」で試される、ロシア・日本・国際社会(柳澤協二氏)
■ロシアが陥っている「クラウゼヴィッツの罠」
ロシア軍がウクライナに侵攻してから1週間経ちました。私は、両軍の圧倒的な戦力差から見て、ロシアは数日のうちに首都キエフを陥落させるのではないかと思っていました。ウクライナのゼレンスキー大統領は、当初、無駄な殺戮と破壊を避けるために停戦を呼びかけ、ロシアに”降伏する”かに見えました。停戦条件をめぐって、ロシアは、ウクライナの武装解除と中立化を要求しました。それは、無条件降伏の要求に他なりません。ウクライナは、これを拒否し、むしろ徹底抗戦の姿勢を強めています。
ここでは、少し軍事的な観点で考えてみましょう。
ロシアは、ウクライナ政権によるロシア人への迫害を宣伝し、サイバー攻撃やミサイル攻撃と空爆でウクライナの軍事拠点を制圧し、戦車や装甲車の地上部隊で都市を占領すると見られていました。政治と軍事の両面に働きかける戦い方を、”ハイブリッド戦争”とも呼んでいました。だが1週間たっても、原発や2~3の都市を占拠したにとどまっています。
欧米の分析では、補給が滞っていると言われています。戦車の”燃費”は1ℓあたり数百m以下ですから、膨大な補給が必要です。路上に放置された多くの装甲車両が、補給不足を表しています。私が見る限り、空爆と地上部隊の連携もとれていない様子です。
推測ですが、ウクライナ軍が大規模拠点を持たずに散開しているので、ロシア軍は、どこを爆撃していいのかわからないのかもしれません。そこで、やみくもに市街地を爆撃するようなことになる。
これは、原発への攻撃も含めて、「民間人や民間施設を攻撃してはいけない」という国際人道法(戦時国際法)に反する行為です。国際刑事裁判所は、捜査を始めることを決定しました。
ロシアの計算違いは、作戦の期間が短いと思って補給の所要量を過小に見積もったことかもしれません。
武力で相手を屈服させるのが戦争です。建物を破壊しても、抵抗する人を物理的に排除・抹殺するか、”抵抗する心”を支配しなければ決着はつかない。そのため、地上に兵隊を置き続ける”占領”が必要です。戦争は、簡単には終わりません。
湾岸戦争で米軍は、ウクライナに較べれば圧倒的に狭いクウエートで作戦するために、「山を動かす」と言われたほどの物資を集積しました。そして、攻撃側にとって一番弱い部分が補給です。アフガニスタンで米軍や政府軍がタリバンに悩まされたのも、補給の車列が襲撃されることでした。ウクライナも、橋を破壊して補給を妨害しています。
“心の支配”の面では、ロシアの侵攻がウクライナの抵抗心を駆り立てました。イラク戦争でバグダッドを占領した米軍は、民衆に歓迎されました。一方、ロシア軍の兵士は、ウクライナの人々の罵声を浴びてたじろいでいます。サダム・フセインは独裁者でしたが、ウクライナには、プーチンが戦争の理由にした「非人道的な独裁」はありませんでした。これでは、兵士の士気は上がりません。士気の落ちた軍隊は、略奪するか、命令をサボタージュします。
これは、近代戦争学の開祖であるカール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780~1831)が言う"戦場の霧"です。つまり、戦争とは、人間の集団作業の中で最も錯誤の多い事業なのです。
クラウゼヴィッツは、「攻撃に対する防御の本質的優位」も指摘しています。ミサイルの撃ち合いだけなら"攻撃優位"かもしれませんが、占領を目指す戦争では、攻撃側は疲弊するのです。
私は、ロシアが戦っている戦争は決して”ハイブリッド戦”と言われるような先進的なものではないと考えています。まさにクラウゼヴィッツが理論を構想した時代から変わらないアナログな戦争であり、"戦場の霧"・"防御の優位"という罠にはまっているように思えてなりません。
■戦争と向き合う「作法」とは―日本のウクライナ支援のあり方を考える
日本がウクライナに防弾チョッキを提供するというニュースが飛び込んできました。武器輸出3原則はすでに撤廃されていますが、紛争を助長してはいけないという精神は受け継がれています。悩ましいことは、防弾チョッキが"武器"かどうか、紛争を助長するかどうかという解釈論ではなく、日本がどこまで本気でロシアと対決するのかということです。
NATO諸国がウクライナへの武器支援に踏み切ったのは、理解できます。ウクライナ危機は、何よりも冷戦後の欧州秩序の問題です。戦争当事者への武器供与は、ロシアから見て敵対行為です。そこには、ロシアがNATOを攻撃すれば「受けて立つ」という政治的意志があります。NATOにその覚悟があるのかは、わかりませんが。少なくとも、日本にその覚悟はない。
その覚悟なしに、「殺傷兵器ではないから、これくらいいいだろう」という程度の認識なら、やらないほうがいい。発電機や医薬品は"民生品として"大いに支援すべきだと思いますが、防弾チョッキにどれほどのニーズがあるのかわかりません。また、防弾チョッキが、「次はレーダーやミサイル防衛も」とならないための"歯止め"も必要です。
もっと悩ましい問題は、ウクライナの人々が命を懸けて抵抗している。当然、戦争被害は拡大します。しかしそれは、どういう生き方をするかというウクライナの選択です。「人が死ぬのを見たくない」という理由で無抵抗を呼びかけるのは、人道的なように見えて、実は傲慢なことです。プーチンがお為ごかしに言っていることと変わりません。平和主義者でも独裁者でも、他人の生きざまに干渉する資格はありません。
義勇兵という話題もありました。「人質になったら困る」というのは、国の政策の都合です。本質的な問題は、日本の有事ではないときに、「義憤に駆られて他国で人を殺す行為」を、日本の法秩序や道徳がどう評価するかということだと思います。外国で許されるなら国内でも許されるのか。日本には、それを裁く文化がないのです。
ウクライナを支えているのは"武器を持って戦う"だけではなく、"戦車の前に身を投げてでも戦車を止める"という"母なる大地への愛"だと思います。義憤だけでは多分、足手まといになってしまう。正義感は一種の自己満足ですから、殺人を正当化する理由にはならないし、それで戦場のストレスに耐えられるとは思えません。戦争を、民間委託や自己責任にしてはいけないと思います。
ウクライナには昔から、モンゴルやトルコ、近い時代には共産党に迫害された歴史があって、他国の支配を受け容れない戦略文化(国民性)もあるでしょう。我々は、それを共有できません。我々の内にあるものは、"理不尽な戦争を許さない"という普遍的道徳感だと思います。だから、国際世論で包囲することが、我々にできる最大の支援になるのではないでしょうか。
■動き出した国際世論の包囲網
前回の寄稿で、国連総会の場で戦争批判の国際世論を喚起すること、プーチンを追い詰める"本気の経済制裁"が必要、という趣旨を述べました。今、世界はそのように動いています。国連総会では、ロシア非難決議が圧倒的多数で可決されました。中国、インドは棄権しました。ロシア、米国との関係性のなかで自国の国益を優先した判断だと思います。
中国の論理は、「NATOの東方拡大がロシアの安全を脅かしてきた歴史的経緯」を見るべきだ、というものです。前回述べたように、NATOの東方拡大を含む冷戦後の欧州秩序について、真摯な対話がなかったことは事実です。しかしそれは、戦争を正当化する理由にはなりません。中国は、南シナ海や台湾に関する自国の主張のためにも「歴史的経緯」を強調したのだと思いますが、それでも、ロシアの侵略自体を支持することはできませんでした。
これは、バイデンが先週の一般教書演説で述べたような「専制主義に対する民主主義」という価値観の勝利ではなく、"大国の横暴を許さない"という普遍的な道徳律の勝利です。そうであるからこそ中国も、反米の立場からロシアを支持することなく、中立的な立場をとらざるを得ないのだと思います。これは、「うかつに台湾に侵攻すれば国際世論の支持を得られない」との教訓になったと思います。
プーチンは、戦略核部隊に緊急体制への移行を命じたと報じられています。核の不使用を求める国際世論作りが正念場を迎えています。この夏の核不拡散体制(NPT)見直しの会議に向けて、日本の、そして世論の役割が大きくなっています。
■変化の兆しか―今なお続く戦闘に寄せて
今回はここで止めます。次は、ウクライナが台湾情勢に与える影響を考えてみようと思います。停戦の見通しは立ちませんが、一日も早くプーチンがあきらめることを願っています。
一点追加すれば、プーチンがウクライナ東部2州の主権承認を停戦条件に追加しました。「ここで手を打つ」というサインかもしれません。国際社会は、「そこで手を打て」と言うのでしょうか。あるいは、そんなものは単なる領土割譲にすぎないのだから「もっと戦え」と言うのでしょうか。
悩ましい課題が続きます。
【執筆者紹介】
柳澤協二(やなぎさわ・きょうじ)
東京大学法学部卒。防衛庁(当時)に入庁し、運用局長、防衛研究所所長などを経て、2004年から09年まで内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)。現在、国際地政学研究所理事長。
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