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わやわやブログ(11)オーナー編

命には必ず役割がある

コロナの影響があり
サイゴン、わやわやもやはり
その影響から逃れられません。

店主として
どうしなければならないのか

コロナになって思ったのは

先も見えないこの状況なのだから

毅然としなければならない

ということでした。

トップがぐらつくとみんな不安に思います。

いろんな意味でこんな状況は初めてです

聞いても、自分で考えても方策は見つかりません

何もできない状況、何をやってもダメ

そんな声が聞こえて来ました。

何をやってもダメか

でもそれだと成長できない

何をやってもダメなら
何をやっても良いよね
そうだ
やりたいことをやってみよう

自分の出来る範囲内でやりたいことをやってみよう

そうスタッフみんなに告げました。

後の責任は全部取る。

そんな事をコロナ発生後の4月にみんなに言いました。

そのあとスタッフみんなは自立性を持って
いろんな挑戦をはじめました


ファーブルの言葉だと思うのですが

自然界の生物や昆虫は、与えられた役割?カテゴリーのような
生まれながらのものを持ってて
それを越えずに生まれてそして生きて死んでいく

昔、本で読んだ記憶があります

ファーブルの昆虫記知ってますか

その中フンコロガシを観察した思い出が語られてます。

ファーブルが育った村は家畜のフンだらけだったが、それを汚いという人はいなかった。

家畜によって人間が生かされていることをよく知っていたから
全ての生き物は平等であり、それぞれの役割がある。

それがファーブルの信念だったんですね

命には必ず役割がある
全ての生き物は生きて、そして死んでいく。

人の生き方もそうあるべきだと本を読んで思いました。

しかし歳を重ねて生きて来て
世の中を眺めてみると

快適な生活というかエアコンをつけて
車に乗って、スマホを使い、牛ではなく処理された牛肉を喰らい

人は自分達人間の範疇を越えたと思い込み
自然から離れるたと錯覚し
その代わり大切なものを見失ってるようにも思えるんですね

人間も間違いなく自然界の生物です

自然界の一員として
死は自然の摂理として受け入れなければならない。

そうでなければ本来の大切なものを見失うように思うのです

ところが人間は可能であれば永遠の命を得たい。

と願ってる。

そして、それがどれだけ愚かでエゴなのかを知らない。

明日死ぬのであれば、常に死を恐れず自然の摂理だと受け入れ覚悟をして日々を過ごす。

その先に見えてくるものがあり、それが何なのかは
人から教わる事では無く、自ら探す事であり、それが人生の目的だと思うんです

私は青森という土地に生まれ
はじめは青森という土地のマイナスな面ばかりを見つめて
軽蔑したり忌み嫌って来た時期もあり
そんな中で自分の出来る範囲内での挑戦をしたりして
青森で暮らしていくうちに
以前思っていたような感じの青森の印象はなくなりました。
高校球児がその日々を誇りにする様に
自分がかけた想いがそのものの価値につながる
今ではそれがわかるようになりました。

コロナというのは本当に
いろんなことを投げかけて来てるように思います。

困難な状況ですがそこから悟ることはたくさんありますよね

挑戦することがいろんな意味で
みんなを強くして大きくしてくれると信じてます。

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