周囲の理解がある=働きやすいではない、と私は思う。
6歳と3歳の男児を育てながら、ローカルなシティホールで働くミドサーです。3月末で14年間働いた職場を退職予定、未経験職種への転職を控えています。
最近は、退職に向けて周囲への報告をぼちぼち始めています。個々に退職理由を説明するうえで、どの切り口で話したら理解されやすいかを常に考えています。そこで、育休中も転職活動中も考えてきた【働きやすさ】について、新たな気づきがあります。
それは、休みやすい職場、理解が得られる職場だから辞めなくていいのでは?という周囲の問いに対する私なりの答えです。退職を報告すると、今の職場は休みやすいからいいじゃない。育児中の女性にも働きやすいし続けている人もたくさんいるよ。と言われるのです。
確かに休みやすいのは事実だと思います。子どものことで急な早退や休暇へも理解も得られやすいのですが!私がモヤっとしていたのは、根本的には本来働くべき時間を免除されるだけで、仕事量は変わらないのです。なぜなら、私に割り振られた【担当業務】があり、チームでする仕事とは言え、それらの業務はほぼ属人化しているのです。この属人化業務にはメリットもあり、規則的に毎日働くうえではスムーズな遂行に繋がるし、上手くいけば成果も見えやすいと思います。そして、これがないと私は何のために仕事しているんだろう?私がいなくても、この職場は回る、と思い始めてしまったりします。大事なことでもあるんです。
ただ、毎日時短勤務で働いており、かつイレギュラーな休みや急な早退が頻繁に重なる私にとっては、この属人化業務が負担になってきます。なぜなら、休みを取っても業務時間中の、私が本来いるべき時間を免れるだけで仕事量自体は大して減らない。そのとき必要な最低限はチームでカバーしてもらえるけど、それ以外の穴埋めは自分でするか、人にお願いするかしか仕事を終わらせる術がないのです。
このモヤモヤは、子守りを誰かに頼んだ時も一緒だと気付きました。子守りをお願いできることは確かに助かります。でも、だからと言って母としての私の役割が極端に減るわけではないんです。その前後で準備、フォロー、子どものメンタルケアなどの細々した調整に気を張っているんです。
幼稚園や預かり保育などの社会生活を除いて子守りを夫にお願いすることは週1回程度。それなら、その調整もそう大したことではないし、自分の余暇のため(美容室、エステ、資格試験、転職活動の面談、商談など)なので、その時間をゲットするために頑張れます。
でも、仕事に関しては、いなくてはならない時間を「免れる」(時短勤務and年休取得)ための調整を日々必死になってやっていると、疲れてしまいます。それは、仕事が週に5日と大半を占めているからだと思います。
そんな日々が続いていくと、なぜ私ばかりこんなに気を遣わなければならないのか?仕事を休んで子どもの世話をすることでこんなに謝罪しなくてはいけないのか?本当に私がする必要があるのか?とたくさんのはてなマークが浮かんできます。しかも、この属人化業務はこの後年齢を重ねるにつれ役職や責任とともに重くのしかかってくる一方だと思います。
そうした経験に基づいてたどり着いた結論は、周囲の理解が得られやすい=働きやすいとは、違うのだと私は思いました。確かにそれを働きやすいと感じる人もいると思います。私は、周囲の理解を得るために事前事後の調整などに躍起になりすぎた結果、自分が疲弊したことに気がつき、その大きなエネルギーを他に回すことに決めました。これまでの職場で気を遣ってすり減らすのではなく、もっと私が時間的コントロール権を取れる職場に環境を変えたほうが私らしく働けると思ったのです。
多くの人がやっていること、思っていることと、自分が納得することには違いがあります。
私ってマイノリティかもしれないと思う、今日この頃。でも、自分なりの心地よさを求めて考え、行動し続けます!
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