心の奥の深い処|発達障害の家族と生きるは己を高める滝修業のごとし
104日目。
おかんは今日、一人で病院に行きました。
一人で暮らすことを前向きに受け入れ、そのために今からできることを自分なりにやっているようです。
夕方、散歩に連れていき、そのまま外で夕食をとって帰る途中、ずっとシャボン玉飛んだを口ずさんでました。なぜか、帰宅後もずっと。物寂しいトーンで、前向きな表情で。
私は、今回同居に踏み切ったこと、そこまでの準備、準備にかけた手間や労力、お金、同じく同居してからのそれらすべて、そして同居を諦めたこと、それに伴うもろもろ、そのすべてに対して後悔はありません。やり切れた。できる限りのことをした。そう思っています。
ですが、いや、だからこそなのか、一抹の寂しさ、悲しみはある。やはり、うちの親子の限界というか、現実を思い知ったという意味での切なさは小さくはないのでしょう。心の奥の深いところで、静かに泣いている。言語化するとすればそんな感じになるでしょうか。
世界が、今よりもっと世界が、よりよい世界になるといいな。そういう思いが、これまでも私を何かに駆り立ててきて、私を作り、私の作るものを作ってきて、今の私が、私の人生があるわけですが、その原動力は不滅です。これからも。死ぬまでずっと。
なんてね。