祝🎊同居50日|発達障害の家族と生きるは己を高める滝修業のごとし
まあ、見とけよ。
今は悪魔やけど、もうちょっとでかわいいおばあちゃんになるから。
そんなに時間はかからへん。
絶対になる。
絶対にな。
それまでみんな、辛抱してくれ。
朝、オフィスにきていたメンバーに私がそう言ったのは、あれは同居して1週間くらいの頃だったでしょうか。
私には自信がありましたから。
必ずそうなるという自信、そうできるという自信が。それは、おかんはなんとしてもそうなるべきで、私はそうなるように労を惜しまず全力を尽くさなければならないという信念というか覚悟を持っていたと言い換えてもいいかもしれません。
おかんのプライバシーがありますので(え?今更?ww)詳しくは書けませんが、おかんの歴史を若い頃から振り返るともう不幸しかない。不幸一色。まじりっけのない純度100%の不幸。
まさにピュア不幸。
で、私は見聞きしていてこう思うんです。
なるほど、かわいそうだな。
かわいそうやけど、
おかんが全力でわるいな、と。
子どもの頃から思ってました。ずっと。
いささか極論かもしれませんが、なんだかんだ言って、身のまわりに起こる全てのことは自分が源泉ですからね。因果応報とも言いますね。作用反作用と言ってもいい。自分が源泉となり、相手の言動は変わるし、その積み重ねで起きてくる全てのことは変わるわけで。
おかんの場合はもう、子どもの目にもわかりやすくそれでしたから。わる気はないんですよ。本人に他意はないんです。まっまくそんなつもりはない。そんなつもりなく、このうえなく理不尽で不愉快な振る舞いになる。
まさに自業自得でした。
しかし、私にとってはたった一人の母親でしてね。しかも、母ひとり子ひとりの片親家庭です。わる気なく自分を、関わる人たちを不幸のどん底に突き落とすとはいえ、泣きながら、必死で働きに出ていたわけですね。私を育てるために。
死ぬまでに、幸せになってもらいたいじゃないですか。いや、私にはそうさせる義務すらあると思うじゃないですか。
なので、諦める気は一切ありませんでした。
雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、雨降って地固まり、今、50日目を迎え、それに近い状態になってきました。
かわいいおばあちゃん。
いけると思いますね。
たしかな手応えを感じてます。
節目の50日目にこんな投稿ができてよかった。
感謝しかない。
1に感謝、2に感謝、3.4がなくて5に感謝です。