動機|発達障害の家族と生きるは己を高める滝修業のごとし
至難の業である。正気の沙汰ではない。
今回の同居を決意するにあたって、その大前提として私はそのように思っていました。
それにもかかわらず、なぜ私が同居に踏み切ったのかというと、直接的なものがひとつと間接的なものがひとつ、それぞれ動機がありました。
直接的な動機としてはそのまんま。
おかんの残りの人生を、少しでも幸せなものにしたいということでした。
間接的な動機は、ずばり自分のため。
とても手に負えないと思えるような苦境を乗り越えた先にある成長を手にしたい。そしてそれを糧として、もっともっと世の中のためになるような大事を成したいというものでした。
そして成果はあったと思っています。
昨日も書きましたが、今回100日あまり同居したことによる効果は小さくなかった。私はそう信じています。
もちろん、同居を解消しても近くに住まわせますのでまだまだ終わりではありませんけどね。同居という形態からは環境が変わりますが、修行としてのこの取り組みはまだまだ続きますから。
そういう意味では、同居を解消しても、2つの動機からなる取り組み、その果てしない挑戦は続きます。to be continued···です。
今日あったことを書くのではなく、こういう投稿をしているということはですね、そうです、今日は何もなく平和でした。もちろん、仕事なんかでは大変なこともありますけども、おかんに関しては平和でしたね。
というわけで同居111日目はそんな感じ。
土日、どうか何も起きませんように。笑