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目から鱗?事実の真相|発達障害の家族と生きるは己を高める滝修業のごとし

54日目。何を書こうか。

過去の投稿にも書いたことありますが、7歳から母ひとり子ひとりになり、19までの12年間ほど2人で暮らしてました。
ただ、昔の母とは、ほとんどまともに会話ができることはありませんでした。
こちらが話しかけても返事をしないで無視するか、ヒステリックに叫んで毒を吐き散らかすか、さもなければ頭痛めまい吐き気で倒れるか。ほとんどその3パターンのどれかでしたから。ほんとにもう手のつけようがない状態でした。
その後私が50歳になるまでの約30年間も、会えば必ずおかん発狂wみたいな感じで対話などできず、絶望的な気分で家路に着くのが常でした。

なので、正直、今回同居をはじめてからの50日余りの期間のほうが、それまでの43年間よりもよっぽど話をしました。過去トータルの倍?3倍?もっとかな。ひょっとしたら10倍以上かもしれません。それくらい、昔は会話が成り立たなかった。同時に同居後は会話(らしきもの)をしてますね。

それで初めて、またはより深く理解できたことも多々あります。
例えば、目はいいんだけど何も見てない、いや見えてないのかな、いやいや見てるけど見てもわからない?、理由はともかく、とにかく見ていない。何も。さらには、話が聴けない。本当に聴けない。だから聴かない。珍しく聴いたところで理解ができない。だからやっぱりちゃんとは聴けない。耳はわるくないのに。
あと、まあ、見てないし聴いてないからといえばそれも関係あるかもしれませんが、記憶というものがほとんど機能していない。驚いたことにほとんど、まったく。昨日のことなど当然憶えてないし、3分前のことも憶えてない。いわんや、私が子どもだった頃のこと、一緒に暮らしていたころの記憶などまったくない。以前から何度も書いてますが、彼女はボケてません。

そのへん確認しようがなかったんで、どうしても認識が浅かったんですよね。上に書いたように、ほんとに会話できない人だったんで。薄々そうかなとは思っていましたが、確信に至るほどサンプルが揃わなかったわけです。

でもここにきてからのおかんの努力と頑張りにはなかなか目を見張るものがあり、ものすごく会話しようとしてて。できてないんですよ、できてないんですけど、しようとしてて。なので、残念ながら会話にはなってないけど、なってないんだけどなってないなりに、会話「のような」時間をたくさんとってます。

で、わかってきた。見るもの、聴くことの全てが、本当にわからないんだということが。
見たこと聴いたことの全てが、ほとんど記憶には留まらないんだということが。

なんかいろいろすっきりしました。
過去振り返って、あれもこれもどれもみんな、悪魔なのか、鬼なのか、と驚き、悲嘆に暮れたこともすべて、ただ悪気なくわからなかった。または憶えてなかった。ただそれだけのことだったのか、とすっきりしました。ある意味で。

今日は過去の私とおかんの確執と、目から鱗の事実によってその確執ももはやほんとにどうでもよくなってきた、という話を、半分昔話を交えて書きました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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