マチアプについて、恋愛について

最近、マッチングアプリを始めた。
あれは面白い。

自分自身の感情について。

基本的にこの系統のアプリは、男性が頑張るものになっている。

男性が課金し、自分に好意を向けてもらえるよう工夫し、デートに誘う。
そもそもここに懐疑的であったから、そして自分を傷つけたくなかったので今までやって来なかった。
いまは異性との出会いであったり、傷ついても別にいいかの精神になったので始めた。


そこで思ったのがコミュニケーションについてだ。異性とのコミュニケーションでいちいち感傷的になってはなにもできない。と思った。繊細すぎる。

だが一方で、この感傷が自分のアイデンティティであるような気がしてしまった。
「細かい言葉遣いから一喜一憂する、この繊細さは今の若者にはあるまい」

これが負け惜しみ的発想なのか、違うのかはわからない。
ともかく、この感傷を自分は大事にしたいらしい。だけどもマッチングアプリでの成功を収めるためには、愚鈍にならなければいけない。

容姿が優れているわけでもなく、天才的なトークスキルがあるわけでもないからだ。
畢竟、取るべき作戦は数打ちゃ当たる理論である。
ひたすらに数をこなし、反応がいいものと悪いものを見て、改善する。

これをこなすには、返信が来ないことへの寂しさや、誘いを断られた時の悲しさに慣れることが必要だろう。


だが今の自分にそれをこなすことは難しい。
変化が必要だ。

変化を憂う自分もいる。

どうするべきなのか。比較したときにどちらがベターなのか。



対人関係への考え方の変化を受け止められない限り、恋愛は難しいのではないだろうか。

言葉遣いの機微を一喜一憂し、その純朴さがらしさだと思っているが、それは本当に価値があるものなのか。

成長と捉えることもできる。
ただ、変化することで微細な感情が失われ鈍くなっていくことが怖い、そう感じているのは確かだ。

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