見出し画像

休学に至るまで ①M1編

これを話すにはそもそも大学院に入学するところまでさかのぼらないとなので、長くなりますがお付き合いください。

1.大学院に入る

手短に言うと大学院で外部院進&転専攻しました。

子供のころからの夢でどうしても学びたい分野があり、大学入試ではむりだったので最後のチャンス!と思い必死に勉強して希望の専攻に入りました。
もといた研究室は仲間にも恵まれ、学科の友達も大好きでしたし、我ながらなかなか勇気のいった決断でした。

そして前途洋々大学院に入学した私でしたが、研究室に入って早々違和感を覚えます。

研究室の先輩方にやけに活気がないのです。みんな死んだ魚みたいな眼してる…

やる気満々で入学した私は(なんかやる気のなさそうな先輩が多いな……)となにも知らずに生意気なことを思っていました。

2.入ってすぐの研究テーマ決め

自分に研究能力など皆無だということも露知らず、やる気満々の私は難易度を考慮せず、自分の興味だけでテーマを選びました。

研究室にはそのテーマが専門の助教がいらっしゃり、その方が主に私の研究を見てくださることになりました。

3.M1前半

大学院に入って早々5,6月くらいにはもうインターンの応募を始めなくてはいけない現実に直面します。

転専攻したので右も左も分からず、とにかく図書館や本屋で参考書を漁っては基礎となる科目を勉強しつつ、インターンに応募するためのES執筆に追われることとなります。合間合間には学部生の授業に潜り込んだりして、そこそこ楽しく院生生活を送っていました。

インターンの応募でも本選考並みにガッツリ2500文字くらいESを書かされることに驚きながらも、インターンに参加できないと本選考に出遅れるらしいと聞き、必死に書いては提出してました。

7月にはESが通過した企業の面接に追われながら、教授と助教とB4の後輩に混ざって実験に参加し始めます。
なにせ院からの新参者なのでB4の子達の方がよっぽど詳しく優秀で、いろいろ教わりながらなんとかかんとかやっていました。助教がとても良い方で、とんちんかんな私にも根気強く手とり足とり教えてくださいました。

研究室には研究室輪講というものがあり、そこで研究の進捗を発表します。その頃は自分の研究テーマを決定するべく教授から関連論文を渡され、それを読んではその内容を発表していました。

このあたりから自分の不出来さに気がつき始めます。(まわりの優秀さといった方がいいかもしれない)

論文を読んでもほーんそうなんだ、としか感じず、なにが課題か、なにを研究すると意義があるのか、なにがおもしろいのか全く分からない…
B4の子達はビシッと課題点を見抜き、着々と進んでいきます。
やっと方針が見えた!と思い「○○の△△について研究しようと思います」と教授に報告すると「で?それじゃできないでしょ?」「ほんとにできるのかねぇ~」とひたすらツッコまれ、教授が言っていることも理解できず、なにをどうしたらよいのかこんがらがって振出しに戻るというのを繰り返していました。

そうこうしているうちに8月になり、長期インターンに参加したり実験をしたりしているうちに、お守り役の助教が外部機関に移動されることになり、頼れる存在を失うこととなります。

4.M1後半

なんかずっと迷走していて記憶があまりない。

論文を読んでは研究方針を輪講やミーティングで発表するのだが「言っていることが分からない」「こないだと言っていることが違う」とひたすらダメ出し。かといってなにかアドバイスしてもらえるわけでもない。散々調べてもわからず、詰まっている部分を質問しても「そんなの○○見ればわかるでしょ」「自分で調べて」と言われるだけで解答は返ってこない。とにかく嫌味っぽく何を言っても鼻で笑われるので相談に行くことが苦痛でした。自分ができていないからだ、もっと自分でちゃんとわかるようになってから質問に行かないと、と必死に毎日試行錯誤していました。一人で何とかしようとすればするほど教授から足は遠のき、報連相を欠く私に対する教授の不信感はますます強くなり、態度がきつくなる…という悪循環にはまってしまいました。

もうどうしたらいいのかわかりませんでした。

研究が進んだと思ってもそれは蜃気楼で、ずっと同じ沼の中でもがいていただけの自分に気がつく。その繰り返しでした。

1月には冬の長期インターンに参加しました。
しかし運の悪いことにインターンと、先輩方の修論発表の練習日とが被り、M1は出席を義務付けられていたのに出席できず、教授から長文でお叱りメールをいただくこととなりました。

「あなたは指導を受ける気がないと判断します」「これまでも修士の学生としての義務を果たしているとは到底思えません」等々

研究も進んでいない、報連相もできていない私が当然悪いです。

でも、どうしたら研究方針が決まるのか、研究が進むのかわからない。助けてくれる人もいない。

私はどんどん沼の底へ沈んでいきました。