変化と悪化


まえがき

この記事を書く動機は今まさに変化か悪化かという状況に置かれているというところにある。
特定を避けるため詳細は省くが、勤務先にゆとりや余裕が全くない事からちょっとしたトラブルに見舞われているのだ。
「倒産しそうだ」と書けば「悪化した」という印象になるだろう。
「赤字経営になった」と書けば「赤字経営に変化した」という印象になるだろう。
どちらも事実なのだが、ここで先程ゆとりや余裕が全くないと書かせてもらった。わたし以外の社員には心のゆとりや余裕が全くないのだ。
つまり、悪化だと捉えている事になる。
この動機を踏まえた上で記事を読み進めてもらうと読みやすい文章になる。

変化についての考え方

物事は常に移り変わるものである。と聞けば「そんなの当たり前でしょ」と言う意見が出ることと思う。
しかし、いざ自分の身に変化の影響が降りかかると途端に意見が変わる。
例えば刑事ドラマで殺人事件を見ている時は当事者意識はないだろう。
だが身内が被害者になったらどうだろうか?考え方が変化することと思う。
これは変化が起きることを他人事として捉えており、自分は現状維持でいられると思いこんでいるから起きる現象だ。
現実はそうではないと言うことは読者の方々には周知のことと思う。
変化しないものなど存在しないのだ。

悪化についての考え方

悪化について考えてみよう。
まず言葉からして良い印象は受けない。
悪い方に化けると書くのだからそれはそうだ。
ところで世の中には「七転び八起き」という言葉がある。
悪化しても悪化しても諦めずに取り組めば最後はうまくいくという故事成語だ。
この言葉を思い出すと、悪化しても必ず破滅する訳ではないと言うことが分かるだろう。
「人生生きてりゃ儲けもの」という言葉もある。
しかし世の中には悪化したということにフォーカスを当ててゆとりや余裕を無くしてしまう人がいる。
ここがまえがきで書いたエピソードとリンクする。
こうなるとそれこそ悪循環になり、やがて破滅する。

結局何が言いたいの?

結論から言うと、物事はすべて変化し続けている事を認識しようという事だ。
何も身内が殺人事件の被害者になったり、自分が経営している会社が倒産したりした時に嘆いたり悲しんだりと感情的になるなと言うわけではない。
ただ物事は揺らぐものだからいつ何が起きてもおかしくないという事を認識してさえいれば良い。
そして変化した事が原因で他者にあたるのはと言うことを認識する事だ。

まとめ

・変化しないものなど存在しない
・悪化しても諦めなければ得られるものがある
・物事は全て変化し続けている

終わりに

記事を書いていて般若心経を思い出した。
この世は全て捉え方次第なのだと。
それほど曖昧なものなのだと。
ならば変化を楽しまなければ損であると考える。
悪化を楽しまなければ損であると考える。
どちらも本質的には同じなのだから。

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