子どもの物語づくり
今日は午前中、用事があって祖師ヶ谷大蔵駅を使った。
改札を入ってすぐ、
駅の柱に色んなウルトラマンの写真がサインとともに写っていた。(写真なし)
昔円谷プロが祖師谷大蔵にあったから、らしい。
そんなもんか…と思って通り過ぎようと思ったが、
連れがトイレに行きたいというので、
しばらくウルトラマン達の柱の前で待つことになった。
いざそこで待つと、通りがかった幼稚園〜小2くらいの男の子が全員ウルトラマンに反応している事に気がつく。みんな「シュワッチ!」と言うのだ。
そして、喜んで親に記念写真を撮られている。
もう大人になった自分からすると、ただの柱のデコレーションにしか捉えられず、興味を惹かれることはあってもそこで一緒に写真を撮ろうとは思わないその場所が、男の子がいる家族からすると「ウルトラマンと出会った場所」になるのかと思った。
そして、ウルトラマンの声を「シュワッチ」と表記して子供たちに伝えるメディアが現代においてもまだ存在している。
それも凄い。
話の切り換わり。
午後は近所まで七五三のお宮参りをやってたので寄ってみた。誰にも招かれていないので完全に手持ち無沙汰で少しぶらぶらしてすぐ帰ったが。
地元だと階段を登った高いお寺に参るイメージがあるので、低地の住宅街から地続きの神社にお参りしている景色は新鮮だった。
ちなみに七五三のお宮参りは神社でもお寺でもよいらしい。
神社は2,3組の家族がいるくらいで、そこまで賑わっている訳ではなかった。
ちゃんと晴れ着を着た女の子が、石畳に座って手元の石をもてあそんでいる。髪飾りをつけた頭が重そうだった。
自分が子供のときは、人もまばらなお寺で一人だけ子供用のスーツを着ているのが恥ずかしくなり、すぐ帰った記憶がある。せっかく着たスーツをすぐ脱ぐときの罪悪感も覚えている。三歳か五歳にして、「なんか浮いている」という状況に羞恥を覚えるほど社会順応性が高かったとも言える。
けど今思い返すと、お寺が閑散としてようが、そんなことお構いなく親もばっちりスーツを着て、一緒にお参りしてくれていたのだ。
大人の役割はそういうところにあるのだと思う。
子どもにとっての「有名人」との邂逅に同じ目線で興奮する一方で、祝うべき慣習に従い、仰々しくあらたまって子の成長を祝う。子どもがその時は居心地悪く感じるとしてもだ。
発達科学や、児童学、果ては宗教規範に関する話にも繋がりそうだから複雑だけど、そんな感じ。あと育児経験もないけども…
まとまりねえけどそんな感じです。
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