「70〜80%の夜」行性

 トワイライトが好きです。

 トワイライトっていうか、トワイライトの時間に街が暗がりにどんどん沈んでいくカンジ、あれがわたしもいっしょになってどんどん沈んでいけるカンジがして好きです。

 安心するんだよなぁ、時間とセットの薄暗がり。トワイライトは薄”明かり”の方を指すみたいだけど(ライトだしね)じゃなくてその裏っかわの暗がりの方。

 家にずっといちゃってる日なんか、ああ、こんな運動もせずに体を持て余してるなんてなんだかモッタイナイなァなんて思う時がある。だけど、そんな時近くの土手に走りに行こうと思っても、太陽サンサンの真昼間には絶対行かない。なぜならもう太陽のサンサンに照らされて、建物も車も行き交う人もすれ違う人も、そしてめんどくさいことにそれらと同等にわたしまでも、クッキリハッキリ見えちゃうからである。みんな光反射しちゃってギンギン。モノもヒトも輪郭ハッキリで、なんかもう鮮烈すぎて疲れちゃうのである。

 しかもジョギングしながら、同じランナーの人とかフツーに散歩してる人とかとすれ違うの、気まずくないですか?え、気にしすぎ?そうかなあ。いや頭ではわかっているのだ、誰も自分のことなんか興味ないことなど。実際そうでしょう。しかしなんともめんどくさい、この生まれ持っての自意識過剰が、うわこの人、たまに体を動かそうとしてハァハァ言ってる、この半ヒキコモリをちらっと見るな(予測)、ホラ、うわ見たな(妄想)、なんて思ってしまうのである。しかもそれをすれ違うたんびに、いちいちいちいち思うのである。

 そんなことがあるから、ジョギングしに行くならいつも日が暮れるのを待っている。窓から外の景色をちょいちょい見る。夕焼けというものは、美しい。茜色に燃える景色も、はいではこれからわたくしは地球の裏側に行きますよ、みたいな、太陽渾身の最後の力を振り絞って、みたいな、その圧倒的な命の力強さに染められた世界といいますか、これは非常に美しい。でも、太陽サンサン苦手人間にとっては、これはまだ外へ出るには早いのである。まだです。どうか、沈んで頂きたい。早くとは言わない。ただ、あの夜に向かっていく暗がりアワーが訪れて欲しい。

 外を観察していれば、大概建物の光の反射具合と風の様子で、その時が訪れた時がわかる。太陽が出ていた時はその光をビンビン跳ね返していたものが、やがて太陽が地平線に沈み、世界を照らすのが残されたわずかの光になった時、反射するのをやめてただ照らされるだけになる。反射する意志をなくして大人しく暗がりに身を沈め始めるのである。風においては、なんだか寂しくなる。急に、ベランダに吊るしてあるプラスチック製の、洗濯物干し同士の風に吹かれて当たる音が、乾いた風鈴みたいなカラカラ澄んだ音になる。うん、なんだか寂しい。なんだか、悲しい。光、空気、音、総じて言うなら群青色に落ちて、落ちていくカンジ。そう来た来た。そろそろ今でしょう。そんな頃合いになってわたしはやっと、玄関の扉を開けて外に繰り出す気持ちになるのだ。

 ジョギングの服に着替えて軽くストレッチし、安いランニングシューズの靴紐をきつく結ぶ。そして半ば体当たりのようにして重いドアを開け、一歩外に出る。するとその瞬間全身を包み、一気に身体中を満たすのは、温かい安堵で心をほぐし、その心を解き放してくれる世界なのである。まだ昼間の熱がほんのり残った夜の空気、これから訪れる長い眠りに向けて静かに落ち着きつつある街。こちらが感じるものといえば、光ギンギン輪郭クッキリのモノではなく、風とか音とか空気とか、目を閉じていてもただいるだけで包み込んでくれるようなものである。当然人もそれに包まれ、肉体という塊も静かにそれに溶けこんで輪郭を失う。かくしてわたしの体も同様に、その暗がりの中で消える。

 そんなわけで、わたしはその暗がりに沈んで安堵を得るのである。そしてその暗がりに消えたまま、その空気を吸っては、内臓を通して湿った空気を吐き出すことを繰り返し、血を巡らせてただ地面を蹴るのである。

 走り終わって家に着く頃には、もう真っ暗である。真っ暗になっていく、その時間にいられることがいちばん最高だ。しかしだ。暗がりが好きといっても完全に真っ暗になってしまったら、それはもう好きじゃないのである。正確に言うと、好きじゃないのは、真っ暗になると出現する人口の光だ。トワイライトの時間は電気をつけずともその時間を過ごせる。が、完全に真っ暗になると、家中建物中電気をつけているというなんとも苦しいことが起こる。これがなんとも、苦手なんでェ。

 太陽はサンサンだったが今度は煌々、目にも痛いが体の表面にもなんだかイタイ。人間、火を使うようになってから光源を得て夜にも活動するようになりましたという説があるが、まあそれも我らが先祖の話だがそれはつまりそういうことで、本来暗くなったら活動なんかしないのである。夜勤で働いて世の中滞りなく動かしてくださっている方々には大変申し訳ないが、それがもう煌々と照らされてしまって、まだ寝るな、起きろ、なんて言われると(言われてない)、それはとてもとてもイタイ。イタイと感じてしまうのである。なんてったって動物だもの。夜遅くまで仕事したり、勉強したりして疲れるというのも、原因の一部にはそんなこともあるんじゃなかろうか。

 そんなわけで、わたしはトワイライトが、トワイライトっていうか世界が暗がりに沈んでいく時間が好きです。ライトっていうか、なんですかね、トワイもなんですかね、なんか他に当てはまる言葉ないですかね。この現象、この時間。日暮れかな?あながち間違ってはいないと思うけどなんか若干重たい気が。

 

 ……とかなんとか今まで言ってきたが、実際コレを書いている現在深夜の0時過ぎである。電気煌々。ブルーライト煌々。矛盾している。環境にも悪い。しかもあともうちょっとで1時である。これはオカシイ。

 なんですかね。結局夜型になってしまうと動物的にイタイこともやってしまって、だから心身によくないとか言うんですかね。

 

 なんて理屈をこねくり回している時間がない。寝なきゃ。



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