好きな瞬間と嫌いな自分
人の幸せを測る時、多くの人が判断基準としている物ってなんだろうか。
そう考えるといくつか出て来た。
お前って良いよな、結婚して子供も居てお金もあって、幸せそうだね。そんな言葉はよく耳にするけれど本当にそうだろうか。
僕は捻くれているんだろう。
Instagramを見ていると時折目にする、私幸せそうでしょ?俺幸せだぜ!
高級焼肉、ハイブランドのバッグ。幸せの尺度だせぇ〜。
そんな事を思う事は多々あるくせに自分も同じ事をしてしまう時がある。人に幸せを認められる事が幸せになってしまっている。
面白いと思う芸人が人それぞれ違う様に幸せと感じられるツボも違う。
なのに周りから幸せそうだね。と認められなければ納得出来ないなんてね、
この閉塞感の中でもがき続けている、同じ幸せにピントが合う人を探し続けているのに中々見つからない。
SNSに自分が感じた幸せを載せていいねが来ると嬉しい。それは同じ幸せを見れる人を見つけたから嬉しいんだよ。なのにね、気が付いたらブレブレになって人が羨ましがりそうな、いいねがいっぱい来そうな投稿をしてしまったりする。
ほんっとうにダサい。承認欲求って凄く嫌いなのに無自覚にその欲求を満たそうとしてしまった後はいつも自己嫌悪してしまう。
だからピンボケしない様に気をつけながら今後も目なのか、このカメラなのか、もしくはこのnoteなのか、僕の幸せを写すから、もし僕が写した幸せがハッキリと鮮明に見えた人が居たら教えて下さい。
そんな人と話している時が僕は幸せだろうから。