「ついたち」
各月の一日目「ついたち」
次は「ふつか」、「みっか」、「よっか」、「いつか」と続きます。
このように仮名書きで並べると、「ついたち」だけ言葉のでき方が違う。
ふつか以降はひ、ふ、み、よ・・・という、数を表わすとこ大和言葉に「日」という意味の「か」をつけた呼び名で理にかなっています。
そんな中で、なぜ一日目だけは例外的な言い方になったのか?
はるか昔に生まれた言葉なのでその理由を知る術はありませんが、こんな話を見つけました。日本の言葉の由来について丁寧に書かれた本の一説より。
昔は月のはじめを「月が立つ」という意味の「つきたち」という言葉で表しました。この月は暦(こよみ)の月でもありますが、空に浮かぶ月でもあります。旧暦では月の満ち欠けを基準に暦の月を決めていたからと考えると納得できます。
つまり、十五夜の空に丸々と輝いていた満月が日ごとにほっそりしていき、「今日でもう見えなくなる日」がその月の最終日。
そして翌日…すなわち「さあ今日からは少し膨らんでいくぞ(新月)!」
という日が新たな月の始まりの日なのでした。
先祖たちはこの日を月が立つ日と捉えて「月立ち」と呼び、それが「ついたち」になったわけです。今日から月が立つ。だから「ついたち」
・・・そう思うとなんだか気分がシャキッとします。言葉の意味を知るって不思議です。一気に世界観が深く、豊かになる気がします。
ちなみに、旧暦の時代には月の最後の日、お空の月が今日でもう見えなくなる日、つまり月が籠る日とみて「月籠り(つきごもり)」転じて「つごもり」と呼びました。太陽暦を採用している現代では、残念ながらこの「つごもり」も「ついたち」も空にある月の姿とは重なりませんが、それでも「月が籠る」日の次に「月が立つ」日が訪れるというイメージを心に描けば、月の変わり目を新鮮な気分で迎えられます。
実は今、天体で月の満ち欠けについて学んでいるところなので、科学的な視野で理解するのも面白いですが、こうした日本の言葉の中に、「自然の姿(原理)を基準にして時を決めていた」という物語が感じられてとても嬉しい発見でした。子どもたちも、ただ教科書にある原理原則を”知識” として吸収するだけではなく、身近な日本語の言葉の奥に、実は先代の人たちがどう自然と関わって生きてきたか、という歴史や想い、そして感性をじんわり感じ取っていたように思います。「へぇ~知らなかった!」「なんか、面白い」と口から洩れてきた言葉に、学びの繋がりの瞬間を感じます。
毎月、一日には「よし、今日から光満ちていくぞ」なんて思える新鮮さがあるのは、日本の自然を慈しむ心が成せるものなのかもしれません。
話の角度が大分変わりますが、アラスカでは毎月1日にはおまじないをする習慣がありました。起きてすぐに誰とも話さないうちに(ここがミソ)
「ラビットラビットラビット!」と3回唱えるのです。
教えてくれたのは日本語教師の相棒、カーラさんで、彼女曰く、英語っぽく発音するとなお効果があるらしい。
今でもこのおまじないが何となく心に残っていて、どの学校に赴任しても 生徒たちとアラスカでの異文化やこうしたジンクスについてお話します。
すると、子ども達はすごく喜びます。そして、とっても素直なので毎月1日には「今月、俺、言えたよ」とかそれを聞いて「あ~言い忘れた!」なんて可愛いやりとりをしています。1月1日は特に「ゾロ目だからイイコト倍増しそう!」と気合いを入れて朝起きるんだという子が多かいようで。 中学生、かわいいです(笑)
私も2024年のついたちは、朝日をしっかり目にして、
忘れずに「ラビットラビットラビット」言います!
皆さんにとってよき新年のついたちとなりますよう。