繋がり
北海道で教員として7年を経た後に、結婚を機に神奈川県の採用試験を受け直して、赴任したのが2020年のこと。
あれから5年が経ち、今年度で勤めている中学校を離任することとなった。
先日、離任発表があり、生徒たちも誰が離任するのかを知るところとなった。私は今年3年生の担任であったため、共に卒業する気持ちなのでクラスを持っていた3年生への未練はない。たったひとつの心残りは部活の子どもたちである。
現在、男子バスケットボール部の顧問である。日頃から毎週末はいろんな大会の審判活動もあり、行けなかったり行けたりと、あんまり子どもたちと密接に時間を共にできなかった印象である。その点は後悔でもあるが、ことスポーツや好きなことに関しては、男の子たちは少し教えたら放っておいても勝手に研鑽し合い、どんどんうまくなっていく生き物である。少しのヒントをあげるとそれを好きにアレンジして、めきめき伸びていく様子を見つめながら、私がこまごま世話を焼かなくても、この子たちはある程度自由を与えた方がうまくやっていけるようだ。私がいなくても、寂しがることはないだろう、大丈夫!なんて思っていた。しかしそれが大きな間違いであることを思い知らされる。
離任の発表を終えた後、部活のために少し早く体育館へ向かった。扉を開けると、キャプテンが早くもひとりでシューティング練習をしていた。愛嬌のある、しかしズルっこい一面のあるキャプテンは、いつもならあまり寄り付かずにそのまま黙々とシューティングに集中し続ける。
しかし、このときばかりは、ものすごい勢いで駆け寄ってきて「先生!なんでですか!!」とストレートに言葉にしたのだ。それを耳にした瞬間、不覚にも涙がほろりと出そうになった。まさかそう思っているとは思わなかったからである。
そして、私も心の中で「なんでですか!」と思った。いつも関係ない顔して、あっけらかんと楽しくやってるように見えていたのに、そんなこと言うなんて反則ではないか。不器用な形ではあるが、素直に寂しいということがわかった。
そこには確かに互いへの想いが、繋がりがあることを再認識した瞬間だった。
キャプテンとは、毎日、目の前にいながらにして、ちょっとしたすれ違いがあったようだ。これだけ長い間教員をしていても、こうしたエラーがあるものか、と自分を不甲斐なく思う。彼は、才能もセンスもあり、プレーに光るものがある選手なのだが、いかんせん物事にルーズでだらしがなく、面倒事はサボりがち。それがここぞという時のプレーにも影響するものだから、日頃から「もったいない」ということは伝えていた。
自己中心的に見える彼の行動を、思わず叱ったことも多々あった。叱るとつかず離れずな距離を保つ彼を見ていて、溝ができてしまったように思っていた。でも、私は知っている。
「荷物汚いよ、道具を大事に扱えない人はプレーも大事にできないよ」チームの不注意はまずはキャプテンに躾の言葉を向ける。すると「別に俺がやったんじゃないし」と言いながらも、翌日は荷物がきちんときれいに並べられていたことを。
脱ぎっぱなしのジャージ見つけて「だらしがない。踏んで怪我したら危ないから、たたんで安全なところに置いてほしい」と言うと「別に、そんなの大丈夫ですよ」と言ってその時はわざと放っておくのに、ある瞬間にふと見ると、きちんとたたんで置いてあったことを。片付けをチームメイトに任せきりにして何もしていない様子を見かねて、「リーダーが率先して動いてほしい」と伝えると、ムスッとするものの翌日には一番にモップを手にして掃除していたのを。ゲームでうまくいかなくて彼がイライラしている時も「苦しいときにキャプテンがどう振る舞うかが大切」「どんな言葉を仲間にかけるかで、流れは確実に変わる」と言うと、「そんなの、無理っすよ」とその時はふて腐れつつも、今では声掛けが増え、苦しさやいらだちを顔に出さないように努力しているのを。
なんだ、ちゃんと耳に届いているじゃないか。
ちゃんと繋がっていた。
自分のことになると、なぜ人は途端に自信がなくなるのだろう。私の場合はあまり行けなかった引け目があったからだろう。たまに顔を出す人間がとやかく言って、ウザがられているのかも、と。全く自己中心的なのは、どっちなんだか。
逆にキャプテンは、あまり顔を出せない私に対して、もとより寂しい気持ちがあったのかもしれない。だから、そっけない反応をするくせに、言葉はしっかりキャッチして行動で示してくれていた。不器用で、一生懸命で、まったくいい子ではないか。
目の前の一人の人を色眼鏡かけずによく見つめ、奥にある想いを見抜くこと。それができて初めて 内なる ”繋がり” =信頼を生み出す。
去る間際に大切な落とし物を拾えてよかった。
またひとつ、ひとりの生徒に大切なことを教えてもらった。